今週の山頭火句

今週の山頭火句 旅のかきおき書きかへておく  山頭火

2021年7月12日月曜日

山頭火・朱鱗洞合同句碑建立にかかる寄付のお願い

  句碑建立に少しばかり、資金が不足しますので、寄付をお願いいたします。

 一口 5000円、2口以上ご協賛の方は、副碑を作成し、記名表記します。


振込口座番号を間違っていました。お詫びいたします。
正しい口座番号は、1366890です。
伊予銀行堀江支店 普通口座
口座名 特定非営利活動法人 まつやま山頭火倶楽部
締切は、8月30日とさせていただきます。





山頭火・朱鱗洞合同句碑の建立場所が決定しました!

山頭火没後80周年の最後の記念事業として、山頭火・朱鱗洞合同句碑の建立を進めていました。護国神社さまのご好意で、句碑設置場所が決まりました。感謝!感謝!

万葉苑手前の一草庵に近い処です。本年10月3日建立予定。



 山頭火の最後の面倒を見た髙橋一洵さんは、次のように言っています。

いつも5時までに起きていました。英霊を祀る護国神社の太鼓を寝て聞いてはバチがあたる

と顔を洗って机の上に線香を灯していたと。

 当時の護国神社の宮司さんも、このあたりで一番早起きは山頭火さんだと。

 護国神社の太鼓とともに起床し、参拝をし、句日記に護国神社参拝として、12句を残しています。

 句は、この中より選びました。

  蝉しぐれ英霊しみじみここにゐたまふ 山頭火

蝉しぐれをぬかづて聞く山頭火の真実の姿が目に浮かんできます。昭和15年8月29日の句。

朱鱗洞の句は、残された短冊の自筆を選びました。

  へうへうと人らすぎゆける風の中  朱

 遺稿句集「禮讃(らいさん)」身辺雑事大正2年の句。

 野村朱鱗洞は、松山が生んだ自由律俳句の天才です、山頭火をして「俳壇の啄木」といましめた人です。明治26年11月26日生まれ、大正7年、今のコロナのようなスペイン風邪にうつり、10月31日逝く。享年26。

少し朱鱗洞の句を紹介しておきます。きびしく切り詰めた短さの中に、凛とした抒情が漂っています。が

 いち早く枯るる草なれば実を結ぶ

 ふうりんにさびしさかぜがながれゆく

 ちんちろの遠い声かすれて

 しおさいほのかに月落ちしあとかな

 淋しき花があれば蝶蝶は寄りて行きけり

※句碑の石は、六角玄武岩の予定です。柱状節理ってご存じですか。     熔岩が冷却して、六角形のひび割れができた六角柱の岩石の集合体を柱状節理と言います。柱状節理の名所が日本にも沢山あります。北海道の層雲峡、福井県の東尋坊、兵庫県の玄武洞など。


          

この石に刻まれます。






2021年7月10日土曜日

会報「鉢の子」第50号 !

 会報「鉢の子」第50号が出来ましたので、紹介。

 <目 次>

 風の明暗 一草庵の山頭火    髙橋正治

 『髙橋さんの話』出版所感    金本房夫

 遺稿 山頭火の未発表書簡(八) 藤岡照房

 藤岡さんを偲ぶ         松井征史

 藤岡先生のこと―場所と思い出ー 髙橋孝伯

 十六夜柿の会三月句会      髙橋正治

 俳句ポスト賞・俳句一草庵賞   太田和博

 『髙橋さんの話』送付礼状  


    





 63年ぶりに再刊出版された『髙橋さんの話』が、好評です。
 限定500部、残り少なくなりました。定価500円
 窓口 松井征史 〒790-0845 松山市道後今市9番7号 
    ℡090-9454-4330

※ 髙橋一洵さんは、山頭火の最後を見守った人です。
  一草庵日記(昭和15年8月9日)によると、
 ”一洵は何時帰るー奥さんも知らんといふ、のんき坊主、ものを苦に病まぬ風来坊、
 どんぐり先生、東京へころげていつて人に踏まれて、きょろんとしてござる姿が目に
 みえる。”
  『髙橋さんの話』の中に、「賢者の贈物」の一文がある。
 オーヘンリーの短編の「賢者の贈物」ですね。
  妻は、自分の黒髪を切って売ってしまう、そして時計の鎖をクリスマス・プレデント
 として買う。夫は、大事にしている金時計を売って妻のために、髪飾りを買って贈物に
 する・・・。
  贈物を贈る人々の中で、この二人のような人こそ最も賢明なのである。どこにいよう
 とも、かれらこそ賢者なのだと。
  髙橋さんを生き方を目の当たりに見て、オーヘンリーの「賢者の贈物」を思い出したと
 いう、そして、心にきくきまで賢明な一生を生き抜いた人ではなかったろうかと締めく
 くる。是非、読んでみてください。

2020年度活動報告

 令和3年度書面総会にて報告。