今週の山頭火句

今週の山頭火句 旅のかきおき書きかへておく  山頭火

一草庵について


 一草庵の変遷                             


師・井泉水の揮毫による扁額
 
 昭和14年10月1日、山頭火は、終の住処を求めて四国松山の地に降り立ちました。山頭火は、大山澄太から紹介され松山時代の山頭火を支え続けた高橋一洵・藤岡政一らの奔走により、12月15日「一草庵」に入居しました。一草庵は道後温泉にほど近く御幸寺山の懐に抱かれるように、今でも閑静なたたずまいを見せています。もともとこの建物は、宇和島市出身の映画監督・伊藤大輔が、妹のために建てたもので、当時御幸寺の納屋として使われていました。山頭火はこの庵で、昭和15年10月11日まで、新しい俳句を作り続け最後の充実した約300日を過ごしたのです。
御幸寺山と一草庵東隣の護国神社
秋の山御幸寺と申し天狗住むと子規は詠んでいます。
 山頭火の没後も何人かの人が居住しましたが、しだいに老朽化が進みました。山頭火の足跡を残したいという人々は、昭和27年10月、当時の愛媛県知事・久松定武を会長とする財団法人「俳人山頭火顕彰会」を組織し、浄財を募って庵を再建しました。
 昭和55年、一草庵は松山市に寄贈されその管理するところとなりました。
 平成7年から5月と11月に3日間づつ、それに加えて平成18年からは10月に2日間庵の内部を公開していました。
中央奥が一草庵・右が休憩所
平成19年松山市の「坂の上の雲・フィールドミュージアム」構想により一草庵周辺の整備が進められ、隣接する用地を取得して休憩所等の施設も整えられました。庵の庭はいつも自由に観覧できます。
また、庵の内部は、平成21年4月より毎週土曜、日曜、祝日に一般公開され、「一草庵案内人」の説明を聞いたり、ゆったりとくつろいだりすることが出来ます。松山市の委嘱を受けた「NPO法人まつやま山頭火倶楽部」が中心となり、市民ボランティアの一草庵案内人や地元の「一草庵管理協力会」とともに山頭火顕彰活動が進められております。

休憩所内部


一草庵内部(六畳間) 山頭火の位牌がある

山頭火も眺めたであろう松山城が見える
 
一草庵より休憩所を望む

  
一草庵パンフより