今週の山頭火句

今週の山頭火句 ひらくより蝶がはなのうへ 山頭火
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2012年4月19日木曜日

一草庵「今月の山頭火句」(4月)

ひとりひつそり竹の子竹になる

 昭和9年「私はようやく『存在の世界』にかえって帰家穏座のここちがする」と日記にあるが、
其中庵という安住の地を得ての句。心穏やかな心境がでている。(ちとせ)

「山頭火は昭和7年9月20日、其中庵庵主となる。
この事実は、大満州国承認よりも、私には重大事実である」と日記にしたためる。
日々よい句を作っている。
  こころすなほに御飯がふいた  山頭火
しかし、翌年8年の5月頃から、山頭火の遊び心が顔を出し始めます。
昭和9年2月19日から27日、北九州へ旅立つ。
前日18日の日記には、「明日から東行前記ともいふべき、北九州めぐり、旅日記」と記す。

書・梅岡ちとせ

息子・健に、山頭火は「チチキトクスグコイ オオヤマ」の電報を出す。
会いに来た健に、「健か、すまん」
「今日はのう、信州から越後の方へ遠い旅をするので、一目でも会っておきたい思ったのだ」
山頭火は淋しく語り、そして、死を覚悟して旅に出るのだった。
昭和9年3月22日、井月の足跡を訪ねて東行の旅へ。
しかし、飯田で発病し、井月の墓参は果されず、4月28日其中庵へ帰ってくる。


 今月の山頭火句「竹の子の句」は、昭和9年7月1日の日記に出ている。
 晴、つつましくすなほな生活を誓う。
 △筍を観ていると、それを押し出す土の力と、伸びあがるそれ自身の力とを感じる。
 とあり、次の句も作っている。

    あをあをと竹の子の皮ぬいでひかる
   竹の子竹の子となった皮ぬいだ
   竹のこ伸びるよとんぼがとまる

  「草木塔」(山行水行)には、 「 ひとりひつそり竹の子竹になる」の句を、山頭火は選んでいる。
  庵に一人で住み、静かに現実を直視する。
 「ひとりひつそり」、「竹の子竹に」、このリズム感、誰がまねできようか。名句ですね。
 とり立ての美味しい筍を食べています。山頭火さんにも、差し上げたくなりました。

 この日の句には、
 うれしいこともかなしいことも草しげる
 もあります。この句も「草木塔」に選ばれています。
 
それでは、山頭火句の英訳を紹介しておきます。

Quietly, by itself -
 The bamboo shoot,
 Becomes bamboo.  ジェイムズ・グリーン
垣根に紅花常盤満作の咲く一草庵
   

2012年3月21日水曜日

一草庵「今月の山頭火句」(3月)

ふるさとは遠くして木の芽

 其中庵時代の句、古里も妻子も捨てた山頭火には、古里は心の中にありつゝも
帰るには遠い存在であっただろう。
「雨ふるふるさとははだしであるく」の句も読む者にも沁みてくる。(ちとせ)

この句は、今から80年前の3月21日に作った山頭火の句。


 日記によると、昭和7年3月21日
 彼岸の中日。晴れて、風が吹いて、この孤独の旅人をさびしがらせた、行程八里、
早岐(※長崎県佐世保)の太田という木賃宿に泊まる。(30・中)
   ふるさとは遠くして木の芽  とある。

 芽吹く木々を見ても、ふるさとは遠い。
  ふるさとに帰りたいけれど、帰れないのである。
 3月14日から20日まで、嬉野温泉、筑前屋に滞在している。

日記に、こんなことを綴っている。
嬉野はうれしいところです、湯どころ茶どころ、孤独な旅人が草鞋をぬぐによいところです。
私も出来ることなら、こんなところに落ちつきたいと思います、云々。

こゝに落ちつくつもりで、緑(※木村緑平)、(※田代俊和尚)、(※石原元寛)の三君へ手紙をだす、緑平老の返事は私を失望せしめたが、快くその意見に従ふ、俊和尚の返事は私を満足せしめて、そして反省と精進とを投げつけてくれた。
 とにもかくにも歩こう、歩かなければならない、ここですつかり洗濯した、法衣も身体も、或いは心までも。

 山頭火後援会なるものが出来て、旅に疲れた山頭火のために小さな庵をたててやろうという
動きもあり、嬉野結庵を申し出たのであったが、後援会の資金はそれほど集まっていなかった。
結庵は早いという返事であったのだろう、またひょうひょうとして、歩きはじめる山頭火であった。
 
嬉野温泉でのこと、井手酒造の「虎之児」を飲んで、こんな句を詠んでいる。
     湯壺から桜ふくらんだ
     ゆつくり湯に浸り沈丁花

ふるさとは遠くして木の芽」の句碑が
昭和57年山頭火生誕百年を記念して、防府天満宮に建立されている。



 昭和6年12月、第二の故郷・熊本にも落ちつくことのできなかった
うしろ姿のしぐれていく山頭火は、旅に出て、昭和7年春、嬉野温泉へ滞在。
嬉野にも落ちつくことが出来ず、関門海峡を渡って川棚へ。
川棚結庵を腹にきめ、設計図まで自分でこしらえるのだが、ままならない。
行きつく処は、盟友・国森樹明の世話で小郡へ。
武波憲治の離れ座敷を借りて、「其中庵」庵主となる。

長い漂泊の旅に疲れて、ふるさとを恋うる日が多く、ふるさとの句は多い。
俳人山頭火は、「ふるさと」を象徴して表現しているので、
読み手は、人それぞれいろいろなふるさとを心に描く。

    ふるさと遠い雨の音がする            昭和7年4月3日 平戸
  ふるさとはみかんのはなのにほふとき    昭和7年5月24日 川棚
    ほうたるこいこいふるさとにきた        昭和7年6月1日 川棚
    雨ふるふるさとははだしであるく             昭和7年9月4日   防府
   ふるさとのこゝにも家が建ち                  昭和7年8月2日  防府

 次のような、ふるさとの句もある。

  年とれば故郷こひしつくつくぼうし               昭和5年
  故郷の人と話したのも夢か                    昭和5年
  ふる郷の言葉となつた街にきた                昭和5年
  あの汽車もふる郷の方へ音たかく              昭和5年
    冬空のふるさとへ近づいてひきかえす           昭和5年
   おもいでは汐みちてくるふるさとのわたし場     昭和8年
   ふるさとの水をのみ水をあび                        昭和9年
   彼岸花さくふるさとはお墓のあるばかり         昭和9年
   ふるさとはあの山なみの雪のかがやく             昭和11年
    ふつとふるさとのことが山椒の芽                    昭和13年
    ふるさとはちしやもみがうまいふるさとにゐる     昭和13年

 山頭火が慕った、ほかいびと~井月のふるさとを思う句があった。
<井上井月  文政5年(1822年)?~明治20年2月16日(1887年3月10日)>
 山頭火もまた、同じ気持でないだろうか。

  寝て起きてまた飲む酒や花心  井月

(田中泯の踊るような”ほかいびと~井月”観てみたい、映画「たそがれ清兵衛」を思い出す。)
             http://www.youtube.com/watch?v=3AE_usuOuC0

それでは、山頭火句の英訳を紹介しておきます。

 Oh! my old  home
           in   the   distance;
                Here, new   tree   buds.  西村秋羅

  <<追伸・一草庵の風景の紹介>>

枝に花が梅のしづけさ 山頭火
 <一草庵の近郊に、早咲きの桜が咲きはじめました。>
浄土宗・不退寺の椿寒桜が満開です。

 
十六日桜(吉平屋敷跡)が、やっと咲きました。
  松山、吉藤の三島神社の薄紅寒桜、隠れた桜の穴場です。
  今、3月20日松山で一番綺麗な桜のようです。書家・米山の石文がさりげなく迎えてくれます。
  神社拝殿には、左に日本たちばな、右に桜が配置。
  たちばなは、京都御所からの接ぎ木です。
右、上世神皇道 左、萬機先神事
吉藤・三島神社の薄紅寒桜

2012年2月6日月曜日

一草庵「今月の山頭火句」(2月)

この道しかない春の雪ふる
一草庵前・休憩室

「私は長い間さまよつてゐた、からだだけでなく心もさまよつていた」昭和九年の日記より。
やっと見出した『存在の世界』これが山頭火の求めた道ー。しかし、この道も雪に逢うのは厳しい。(ちとせ)

この句は、昭和9年3月14日の其中日記にある。
夕方、伊東敬治君一升さげて、国森樹明君牛肉をさげて、久しぶりに三人で飲む。
として、次の句も載っている。

 雪ふりかゝる二人のなかのよいことは  


書・梅岡ちとせ

この今月の山頭火句は、自選句集「草木塔」の”山行水行”篇に選抜されている。
其中庵の生活にも、落ちついてきたのであろうか。
「帰家穏座とでもいひたいここちがする。私は長い間さまようてゐた。
…ようやくにして、在るものにおちつくことができた。そこに私自身を見出したのである。
…私は詩として私自身を表現しなければならない。それこそ私のつとめであり同時に私のねがいである。」
(昭和九年の秋、其中庵にて、山頭火)

「この道」とは、其中庵を生活の場とした句作の道のことだろうか。その道に春の雪がふる。
春の雪がとける道に、あたたかい、新らしい道を感じる山頭火がいるようだ。「春の雪」に思いがこもる。

京都・哲学の道の西田幾多郎の歌碑
「人は人吾はわれ也 とにかく吾行く道を吾行くなり」
のような力強さよりも、山頭火の句に、何故か人間味を感じる。

大山澄太さんが涙した山頭火の句を思い出した。
 わかれてからの毎日雪ふる  山頭火

(NPO法人でDVD化した大山澄太先生(91歳)の講演「俳禅一味の山頭火」より)
一浴一杯、一人一室、一燈一机、あんたのところが一番いい宿だといって
うしろをふりかえらず行乞にでた
 振りかえらない道がまつすぐ
の山頭火から、10日たって届いた句なんです。
家内と涙しながら読みました。

山頭火自筆の句みつかる蓮田善明の長男所有
 へふへふとして水を味ふ
http://kumanichi.com/news/local/main/20120120001.shtml
の記事が、熊本日日新聞2012.1.20に発表された。
折りしも、昭和9年3月23日の山頭火の日記にその記載があった。
「…澄太居を訪ね、澄太居に落ちつく、夫妻の温情を今更のように感じる。
…夜は親しい集まり、黙壺、後藤、池田、蓮田君。
近来にない気持ちのよい酒だつた、ぐつすりと眠れた。」

(斉藤清衛の弟子の後藤貞夫君、その先輩である広島文理大の蓮田善明、池田勉さんも
一緒に来てくれて大いに語り合った日のことは、小高根二郎著『蓮田善明とその死』にも
詳しくでている。=大山澄太)

※<活躍中の評論家蓮田善明氏は、初めて「三島由紀夫」のペンネームを使った小説『花ざかりの森』を称賛する。
三島由紀夫は蓮田から思想的影響を受ける。>
皆さんなりに、勉強してみてください。

それでは、山頭火句の英訳を紹介しておきます。
this is the only path
spring snow falling      宮下恵美子

2012年1月8日日曜日

一草庵「今月の山頭火句」(1月)

鉄鉢の中へも霰

昭和七年の句、熊本に落ちつこうとしたがが駄目で又もや漂泊の旅に出るのである。冬の厳しさの中での行乞。鉄鉢を打つ霰の音がこの短い句の中から痛いほどに感じられる。(ちとせ)

この句は、今から80年前の昭和7年1月8日に福岡県遠賀郡芦屋町で作られた。
最初は鉄鉢(てっぱつ)ってよく解らなく、普段目にすることのないものなので、余り鑑賞していなかったが、今では一番好きな句となった。
鉄鉢とは文字どおり「鉄の鉢」のことで、僧侶たちが托鉢の時に用いる容器である。
そしてこの<鉄鉢>は、仏道修行を象徴する、また山頭火そのものを象徴しているとも言える。
書・梅岡ちとせ

「草木塔」には、次のように紹介されている。

昭和六年、熊本に落ちつくべく努めたけれど、
どうしても落ちつけなかつた。またもや旅から
旅へ旅しつづけるばかりである。
         自嘲
 うしろすがたのしぐれてゆくか
 鉄鉢の中へも霰
 いつまで旅することの爪をきる

 鉄鉢の句は、昭和7年3月号の「層雲」に発表されるや、誌上で活発に論議される。
 批判的な論評も繰り返されるが、ついに山頭火はこの句を変えなかった。
 「…財布の底には二十銭あまりしかなかった。私は嫌でも行乞しなければならなかった。
 私は鉄鉢をかかえて、路傍の軒から軒へ立った。財法二施功徳無量檀波羅蜜具足円満
 その時、しょうぜんとして、それではいひ足らない、かつぜんとして、霰が落ちてきた。その霰は
 私の全身全心を打つて、いひかえれば、私の満心に霰を浴びたのであつた。
 笠が音を立てた。法衣も音を立てた。鉄鉢は、むろん、金属性の音を立てた。…」
一草庵、昭和16年3月21日建立(除幕10月12日)

 <自己流解釈を。>
冬の寒い日、托鉢してもどこの家も扉を開いてはくれない。
 一陣の孤独な霰が天から降ってくる。鉄鉢の中には白い米は一粒もない。笠に法衣にそして鉄鉢の中へも白い霰は音をたてて落ちる。「中へも」はそれだけではない、山頭火の心の中へもキーンという音を立てて響いたのであろう。山頭火は「無(む)にはなれるが、空(くう)はなかなかなれない」と思っていたが…。
 霰が鉄鉢を打った瞬間、「空」の状態を得た。霰をありがたいムチとしていただのだった。「空」とは?あの大空に浮かんだ雲のようなもの。雲は刻々とその姿を変える。そしていつの間にか消えてなくなってしまう。
世の中のものは無常なり、この世に存在するものは永遠不変なものはありえない。そのようなものにあれこれと思い患っても仕方がないと悟ったのかも。
鉄鉢の中に霰が落ちた、という目の前の刹那の風景から読み取る。鉄鉢の中へはお米だけでなく霰も降り込む、世の中とはそのようなものだと悟ったのであろうか、黒染めの法衣、鉄色の鉢に跳ね返る、白と黒の世界、その単純化された言葉に余韻が残る。

※布施の心の尊さを述べた偈文、「財法二施、功徳無量、檀波羅蜜、具足円満」(ざいほうにせ  くどくむりょう  だんばらみつ  ぐそくえんまん)。布施していただくお金や物は、財の布施であり、読経は法の布施これは共に布施である、その心がこの世の中に充満すればその利益は計ることのできない大きな功徳であるという意味。

山頭火句の英訳を紹介しておきます。 Teppatsu no naka e mo arare

Into my begging bowl,
  too ,
   hailstones.       八木亀太郎

この句を最初に英訳した日本人は、松山商科大学の学長をされた八木亀太郎先生だった。
アメリカ俳句の父ハロルド・ヘンダーソンに頼まれた、昭和43年のこと。

先生曰く、簡単に訳すると、その句は“私の鉄鉢の中へも 霰が降った”となるが、ヘンダーソン教授が指摘したように英語を話す読者には次のように翻訳したほうが理解されやすいと示唆している。

Striking(打つ)
  my begging bowl, too(私の鉄鉢にもまた)
     hailstones….(霰が)

八木先生のアメリカ人読者への英文を少し紹介しておきます。
 
A single glance shows that it is defective in form, lacking five syllables.
But it is so full of implication that it makes up for this formal defect.
Its significance is strengthened by its brevity. Chills run up my spine when I read it in the Japanese original.
The haiku is alive,every word asserts its maximum. It explains nothing,it is actual experience in the actual present. It expresses eternity in a moment, the universe in a particle; sound and sight strangely mingle in
its impact. This is the essence of haiku.
 
一見するとこの句は五つの音節を欠き、完全な形をなしていない。しかしそれは、含蓄にとんでいるがゆえに、この形式的欠点を補うに充分である。その意味が簡潔さによって強められている。
私はこの句を日本語の原文で読むと背筋がぞくぞくするのをおぼえる。俳句は生きている。
その一語たりとも他に置き換えることのできない言葉である。
 この句の内容は実際に体験したことで、説明することはない。しかしこの俳句の表現しようとした
ところは、霰の打つ瞬間における永遠であり、粒子のなかの宇宙であり、音と光景が奇妙にからみ
あう緊張感である。これこそが俳句の真髄である。

2012年、年の始の「一草庵風景」を紹介しておきます。
一草庵縁側からお城が見えます
一草庵前・大川の青サギ

2011年12月1日木曜日

一草庵「今月の山頭火句」(12月)

  自 嘲
うしろすがたのしぐれてゆくか


高倉健さんイメージの俳優・斉藤真さん
 昭和六年の句。句の末尾に「自嘲」とある。出家をしても捨てきれぬものを背負っている己を嘲ったのか、いや今の自分はまだ悟り切れていないと思う心が、悟りに近づいているのかも知れぬ。(ちとせ)

網代笠をかぶって歩く山頭火の姿を象徴しているような句だ。
この句は、昭和6年12月31日の日記にある。
日記には、「うしろ姿」とあり、層雲昭和7年3月号にも「うしろ姿」記す、一代自選句集「草木塔」で、ひらがなに改めている。



伊藤完吾氏によると、層雲発表当時は、さほど話題にならなかった。
師の井泉水でさえ、前書きの『自嘲」という言葉にこだわり、むしろ「留別」として
見送ってくれる友人への挨拶としたらよかったのではと。
山頭火は、一代句集に載せたときには、自嘲の文字に加えて、「昭和六年、熊本に落ちつくべく努めたけれども、どうしても落ちつけなかった、
またもや旅から旅へ旅しつづけるばかりである」とその深い思いを記している。


山頭火は大正十五年四月
分け入つても分け入つても青い山
と詠んで、味取観音堂を捨てて、行乞流転の旅に出たが、

7年後の昭和6年12月22日。
歩きつかれて第2の故郷・熊本に落ち付こうとし、「三八九」を発刊し新生活に入ろうとしたが、ままならならず、新天地を求めて長い旅に出るしかなかったのだ。
その旅は、安住の地も求めて、嬉野温泉、関門海峡を渡って川棚温泉に落ち着く、昭和7年6月1日までつづく。
そのとき、詠んだ句が
うしろすがたのしぐれてゆくか 
だった。
「青い山」から「しぐれ」の句へと変わる心境の変化が読み取れる。
師走の大宰府の町を、ずぶぬれとなりさまよう、
おのれのうしろ姿に浴びせられる世間の冷たい眼差しを感じている。

最後の仕事を終えて、うら淋しく帰るサラリーマンのうしろ姿さえ、連想できますね。

この句を有名にした、近木圭之介さんの昭和8年6月5日に撮影した山頭火うしろ姿の写真があります。
近木さん曰く
「昭和57年の秋、生誕百年を記念する山頭火展が下関大丸であった時、一人の女子大生が街角でふと目にしたポスター。
”普通の人の背中ではなかった。何か人生の重みを感じさせるうしろ姿だった。たまらなくなり、その足で観に来た。”
この言葉は、今もって私には忘れ得ぬ言葉となっている。」


白樺を幽かに霧のゆく音か     秋櫻子

の句が、ある本に紹介されていて、

上高地の白樺の中を流れる霧を、作者は旅の一日、深く眺めいっていた。
―その耳に幽(かす)かに、実に幽かに、音を感じた。
白樺にふれゆく霧の、音なき声に聞き流れてゆく音であろうか。
「…か」という形は、この場合に適切な技巧であります。
と説明があったが、

「か」の一字は、山頭火のうしろ姿の句の方が、ずっと重たいように思う。

山頭火には「か」の句の名句が多い。

笠も漏りだしたか
石に腰を、墓であつたか
おとはしぐれか
焼き捨てゝ日記の灰のこれだけか

最後に、山頭火句の英訳を紹介しておきます。
   Self-reflection
The figure of  a man's back
     gradually  grows  faint
    in  the  icy rain          西村秋羅

2011年11月14日月曜日

一草庵「今月の山頭火句」(11月)

酔うてこほろぎと寝てゐたよ

行乞や知人から得たお金があれば、又、お酒に浸る。泥酔から覚めれば悔恨の念にかられる。
この繰り返しに、人間山頭火を見る事が出来る。
これが人の業の深さというものであろうか。(ちとせ)

昭和五年十月九日の日記に出てくる。宮崎県日南での作。
七日の日記には、「酔中野宿」と前書きして、「酔うてこほろぎといつしよに寝てゐたよ」と詠んでいる。
説明的すぎるので、「いつしよに」を削除している。
昭和六年一月号の「層雲」に発表された句。
澄太さんはいう、「修証義」を唱えていると、静かにお経をきいていたお婆さんが重そうな壺をかかえて、「あんたこれ好きか。」という。藷焼酎がぷんと匂う。
「うん」とうなずいて、鉄鉢を捧げた。なみなみと一杯になるまで受けて、その場でぐいぐいやった。
その先からさっぱりわからなくなった。耳元でこおろぎがしきりに泣くので目が醒めた。
夜空には星がまたたいていた。日記にはこんな句も綴られている。
      酔ひざめの星がまたゝいてゐる
      どなたかかけてくださつた筵あたゝかし
山頭火の句には、こほろぎに鳴かれたり、とんぼがとまったり、鴉、蝶々、みのむし、ふくろう、とかげ、
そして、さびしい道を蛇によこぎられる様子などが友達のように詠まれている。
どこかユーモラスで、その行き先に大きな世界を感じさせてくれる。

<参考>
 昭和5年の時代背景。
 昭和4年10月24日、ニューヨーク・ウォール街で株が大暴落、世界大恐慌が起こり、失業者が全世界5000万人に

 及んだという。昭和5年、小津安二郎の映画「大学は出たけれど」が大ヒットする。
 そして、昭和6年に満州事変が勃発。
 何故か、今の世界、今の日本によく似ていますね。

山頭火句の英訳を紹介しておきます。

   Oh, I slept、
   In drunkeness,
    With  this  cricket.            ジェイムズ・グリ-ン

2011年10月31日月曜日

一草庵「今月の山頭火句」(10月)

踏みわける萩よすすきよ

秋の七草の季節か、萩・芒・桔梗など愛でつゝ、その中を行く山頭火、
この美しい花野の季節がすぎれば、又、寒くてきびしい時を迎えねばならない、
自然の花や、山や川、野原を愛した旅人。(ちとせ)

 この句には、前書きがあります。
昭和二年三年、或いは山陽道、或いは山陰道、或いは四国九州をあてもなくさまよふ。
昭和三年十一月号の「層雲」発表句九句の中に出てきます。
へうへうとして水を味ふ の句もこの中に含まれています。

小野沢実さんが、この句を上手に解説してくれています。
「五、三、四音とリズミカルに簡潔にうたい切って、山頭火の心ははずんでいる。……
町並みをぬけて山道にさしかかり、そこで萩や薄と出会いを持ったのである。山頭火はそれに
時おり手を触れながら、今年も好きな秋がやって来たことを喜んだのだろう。
家々の門口に立つ時、山頭火は必ずしも人々の歓迎を受けなかったはずである。というより、
心を傷つけられる仕打ちにしなしば出あったろう。しかし、こうして大自然に迎えられ、だれをも
全く差別することのない数々の贈り物に触れることで、たちまち生気をとりもどしていったのである。
思わず知らず、大自然の中に歩み入る山頭火の足どりははずむのであるが、その歩むぶりを、
そのまま「踏みわける」ーーと簡潔直截にうたいだし。「萩よすすきよ」とリズミカに結んだのである。」

山頭火さんは、澄太さんにこんな話もしています。
「澄太君、日本の秋は結局萩とすすきだね。萩の花からこぼれる露をふんで山路を歩き、すすきの
原に沈む大きな夕日を眺めると。わしのような孤独な漂泊者は、いつ死んでもよいとさえ思うよ」

山頭火句の英訳を紹介しておきます。

 Pushed  my  way  through
           O!  my  friends
                   a  bush  clover, and
                       pampas grass                   西村秋羅
(いつしか秋、萩とすすきが象徴する日本の秋、踏み分けて今日も山頭火は旅する。)

<追伸> 10月29日 「お城下ウォーク」の人たち、2100人が一草庵を訪れました。
 コースは、坂の上の雲ミュージアム ~ 愛媛大学ミュージアム ~ 松山大学温山会館
       ~ 一草庵 ~ ロシア人墓地 ~ 二之丸庭園 ~ 城山公園 (約8キロ)


南海放送ラジオが生中継をしていました。
Capyのお姉さんにインタビューされましたので、一草庵のことをPRしておきました。

「一草庵に来るとパワーをもらえるという人がいるんですよ。
一草庵はパワースポットなんです。
 山頭火さんは、お母さんが自殺、家が破産、妻と離縁、弟も自殺。
そんな苦悩を背負った、波乱万丈な人生を体験した人なのです。
人生の後半42歳から何もかも捨てて ひとり放浪の旅に出て15年
最後に松山にやって来て、この一草庵で、コロリと大往生した人なんです。
そのパワーが一草庵に潜んでいるのです。」

お城下ウォーククイズです。
「ここ一草庵を終の住処とした種田山頭火。戦前日本の俳人で自由律俳句の
もっとも著名な俳人の一人として知られています。
では、山頭火の本名は?
 ①種田貫一  ②種田巧一  ③種田正一     <ヒント あなたは正しい!>

2011年9月16日金曜日

一草庵「今月の山頭火句」(9月)

いつも一人で赤とんぼ         
いつも一人は山頭火だけだろうか。物の溢れている現代でも、人と人とのつながりの薄い現代人もいつも孤独感は拭えない。それ故に山頭火は、俳句を道連れに歩き続けたのであろう。(ちとせ)

童謡「赤とんぼ」の唄を思い出します。この曲にのせて、この山頭火さんの句を詠んでみたいと思ったりします。
いつも一人の山頭火さん、夕焼け小焼けをバックに群れをなして飛んでいる赤とんぼを、どんな気持ちで眺めたのでしょうか懐かしい、何故か明るい風景の中に、やっぱり淋しさを感じてしまいます。       
この句は、庵を結びたかった川棚温泉で詠んでいます。
今、一草庵には、スイスイと赤とんぼが飛んでいますよ。

 ある俳人は、「赤とんぼがひとつ、肩にとまっている。私の孤独を、赤とんぼがなぐさめてくれる」
そんな感想を述べています。
私たちの合言葉、それは「いつも皆で山頭火」。
山頭火句の英訳を紹介しておきます。
 I'm used to  being  alone
  the  red  dragonflies                 宮下恵美子


  曼珠沙華咲いてここがわたしの寝るところ  山頭火

 山頭火、下関川棚を去って、故郷の近く小郡で其中庵を見つけます。(昭和7年9月20日のこと。)
その時の句です。
一草庵にも彼岸花が咲き始めました。

赤い曼珠沙華、白い曼珠沙華と萩

H23.9.25撮影



2011年8月24日水曜日

一草庵「今月の山頭火句」(8月)

炎天をいただいて乞ひ歩く

松山では、少し朝晩涼しくなってきました。
この句は、大正15年「層雲」発表の山頭火句。
「乞ひ歩く」とは、行乞(ぎょうこつ)すること。山頭火はこの年10月、正一という名前を戸籍上「耕畝(こうほ)」と改める。そして耕畝という曹洞宗最下位の僧侶として、徒歩禅をはじめる。

行乞流転をはじめて、約2ヶ月。
九州・柳川で開業医をしている木村緑平を訪ねる。その後、炎天の中を行乞の旅にでた、ある日の句。
行乞をはじめて、俳句に専念できなかったのであろうか。この年の層雲発表句は、この句を入れて7句。

やっと托鉢僧らしい心境になれたのだろうか。
「炎天」という言葉に、厳しさを、
「いただいて」という言葉に感謝の気持ち、「乞ひ歩く」に謙虚で一生懸命さを感じる句である。




この間、一草庵で夏まつりを楽しんだ。

炎天をいただいて氷であそぶ子供たち


一草庵、庭の桔梗は咲き終わりました。
山頭火の句の英訳を紹介しておきます。

 Above my head-
 The burning summer sky,
   Begging and walking.               ジェイムズ・グリーン

2011年7月3日日曜日

一草庵「今月の山頭火句」(7月)

 鴉啼いてわたしも一人
鴉啼いている寒暮、「お前も一人か、私も一人だよ、みんな生まれる時も死を迎える時も、一人なんだよ」つぶやく旅人。しかし日暮れは、みんな明りの灯る家路をさしているのに……私は一人。(ちとせ)

 尾崎放哉は、大正15年4月7日小豆島南郷庵でさびしく没す。それを知らずひとり山頭火は、4月10日行乞流転の旅に出た。
 旅の途中で、その死を知ったのであろう。

この句には、放哉居士の作に和してと前書きがある。
師・井泉水は放哉の「烏がだまって飛んでいった」に和したといっているが、「咳をしても一人」のように思われる。
「咳をしても一人」は、無駄のない完璧な100満点の句で、頭のいい人が好きなようだ。
この句、ほんとうに一人ぼっちで、限りなく淋しい、そして、そこには誰もいない。 内なる世界へと深く深く入っていくようだ。

山頭火は、カラスの声に共鳴する。山頭火の句には、いつもコウロギや蝶々やドンボが登場し、小宇宙の世界が広がる。そして、あなたはどうですかと、問いかけてくる。
(松山でお会いした宗教学者・山折哲雄さんは、この句が一番好きですと
いっていました。)
山頭火の句の英訳を紹介しておきます。
 The cawing of  a crow -
  I also am alone.               ジェイムズ・グリーン


<一口メモ>
山頭火は、『層雲』へ大正9年14句を発表して以来、跡をたち大正15年層雲へ7句を発表し復活する。

分け入つても分け入つても 青い山
鴉啼いて私も一人
△さみだるる大きな仏さま
しとどに濡れて之は道しるべの石
炎天をいただいて乞ひ歩く
△日ざかりの水鳥は流れる
木の葉散り来る歩きつめる

この層雲発表句は、松山一草庵で昭和15年2月、自選句集「草木塔」をまとめた句稿では次のようになる。
△2句は削除され、「生死の中の雪ふりしきる」が追加挿入される。

分け入つても分け入つても 青い山 
しどどに濡れてこれは道しるべの石
炎天をいただいて乞ひ歩く
鴉啼いてわたしも一人
生死の中の雪ふりしきる
木の葉散る歩きつめる
この連作6句が、山頭火が復活する大正15年の句。
一草庵に咲く、ヒメオオギスイセン

誰が植えたのかわかりませんが、いま一草庵にヒメオオギスイセンが咲いています。
葉が扇のようで、花が水仙に似ているので、こんな名前が付いたそうです。
水槽に泳ぐ金魚のようにも見えます。

すっかり忘れていました。一草庵の中のカレンダーです。
メンバーの山頭火案内人の方がもってきてくれた、西予市にある野村学園の皆さんが作成された
「どろんこのうた」版画カレンダーです。
今年は山頭火のカレンダー、7月・8月はこの句の版画でした。
わたしも一人だと自覚しながら、杖を握って歩く若い姿の山頭火、からすも前をめざしてとんでいきます。
明るく、力強く、きれいに澄み切った作品です、見事に山頭火さんの句が表現されています。
励ましてくれるのは、「なでしこジャパン」だけでなかった。

2011年6月11日土曜日

一草庵「今月の山頭火句」(6月)

分け入つても分け入つても青い山

山頭火の代表句と言えよう。解くすべもない迷いを背負っての歩行禅。それは、山頭火の時代も現代も人に課せられたものなのかもしれない。現代山頭火の句が認められるのはその故か、山頭火は本当の俳人である。(ちとせ)

 有名な山頭火旅立の句、旅の俳人としての代表作。(大正15年4月、43歳)
この句は、「層雲」大正15年11月号に発表、「層雲」から姿を消して、7年ぶりの復活第一作。
そして、山頭火は、<生>と<死>、<濁>と<澄>、<酒>と<水>の解くすべもない迷いを背負って行乞流転の旅を繰り返し、いのちをかけて句をつくり、昭和15年終の棲家・松山で無一物中無尽蔵のコロリ往生を果たす。 
(一草庵に遺品として残ったものは、鉄鉢一つとひしゃげた煙管一つ。) 

この句は自由律というより、定型に近い破調の句といっていい。深い緑の中へ溺れこんでいくような、あるいは没入するかの律動感がある、「万緑」という季語を持ち出して策を表しても及ぶものではないと、俳人・青柳志解樹氏はいう。
季語がなくても、季語をつかっている以上に、夏の万緑の世界を歌い尽くしている。
また歌人・市原克敏氏は、
(からだが)分け入つても
(こころが)分け入つても 青い山
「分け入つても」という述語はリフレインの形態を取るが、隠れた主語は別のものである。(中略)
驚くべき仕掛けである ー 単なるリズムのためのリフレインでない。隠れた二つの主語を喚起しつつ、リフレインが心身一如を一句に現成している。
隠れた主語こそ山頭火のリフレインの秘密である、という。
この音楽的な響き、このリズムのよろしさこそが、山頭火俳句の決め球なり。
早稲田の二年後輩 、若山牧水の
「幾山河こえさりゆかば 寂しさのはてなむ国ぞ けふも旅ゆく」の歌に太刀打ちできるのは、
この山頭火の句しかない。高千穂峡に、二人の歌碑は建つ。

山頭火は、大正5年33歳で「層雲」の選者になる。
「私は最早印象だけでは - 単に印象を印象として表白することだけでは満足することができなくなりました。」俳句は「印象に即して印象の奥を探り、そこに秘められた或るものを暗示する象徴詩でなければならないのである」とする(山頭火、俳句に於ける象徴的表現)。
この考えは変わらないようだ。亡くなる前の一草庵日記(昭和15年10月3日)にも、私の俳句性は、印象の象徴化にあると記している。



一草庵にあじさいが咲きはじめました。

山頭火の句には、水の句、花や草の句、ふるさとの句が沢山ある。ふるさとは生地の防府を直接指してはいない。「青い山」の句を大山澄太さんは、矢部町から高千穂峡への山越えの道といっているが、それは山頭火にとっては高千穂峡である必要はないようだ。人それぞれに富士山でも、大山でも、石鎚山でも、裏山でも、スイスのアルプスでもいいように思えてくる。
そんなふうに考えているとこの「青い山」は自然の山河ではなく、混沌とした現代社会の迷路のようにも思えてくる。
あなたの「青い山」は何でしょう!

一草庵を訪れる人の中には、外国からの人も多い。山頭火の句の英訳を紹介しておきたい。
 passaing through passing through yet still green mountains   宮下恵美子

一草庵を訪れたリディア・ラズマスさん、子規よりも山頭火が好きというアメリカ在住のポーランドの人、墨絵をよくする。ある人を通じてその著「霰(Hailstones)」が寄贈された。
このように訳されていた。
 going deeper and still deeper - the green mountains   ジョン・スティーブンス

愛媛の愛南町僧都に住んでいたアイザクソンさん、子規の俳句を英訳した「牡丹かな」を著作。
その妻繁子さんは、山頭火の句をつぎのように訳している。
 one enters and enters, but still green mountains

※ 分け入つても分け入つても青い山 の山頭火の句は、全国の中学生の教科書に紹介されているようで、質問があったので、追記しておく。

 焼き捨てゝ日記の灰のこれだけか  いままでの日記を人吉で焼き捨てているので、
大正十五年に作った「青い山」の場所は、特定できない。

 木村緑平に宛てた山頭火のハガキに、「六月十七日浜町、二十二日滝下」とある。
 「滝下」という地名をもって、山頭火の行脚道を推察した人がいる。
 山頭火は日向路入りで、馬見原-三ケ所-津花峠-押方-高千穂三田井の順で行脚を続けて
 滝下にくだったのではないだろうかと。(山口保明著 日向路の山頭火)

 山頭火の青い山の句は、宮崎の津花峠での作句のようである。

池田遥邨描く「分け入つても分け入つても青い山」の絵をよくよく見ていると、
この場所へいって描いたのではないだろうかと思えてくる。

2011年5月7日土曜日

一草庵「今月の山頭火句」(5月)

  空へ若竹のなやみなし  山頭火       

昭和九年、其中庵という安住の地を得て、心穏やかな日を過ごせるようになった山頭火。この句は己自身の投影か、迷いも少しずつほぐれてきたのか。(ちとせ)


  一草庵広場に3月から「今月の山頭火句」を飾っています。
 山頭火顕彰の第一人者・大山澄太先生の薫陶を受けた俳人であり書家である梅岡ちとせ先生が、色紙に「山頭火の句」を、短冊に解説を書いてくれました。
 俳画もよくし、わさびの絵を添えてくれました。
 わさびが望む五月の空も、澄み切っているようです。 そして、今ではこの風景が一草庵に無くてはならないものとなりました。

(英訳 Into the sky,A young bamboo -Without pain. グリーン・ジュイムズ)



  この句は、「草木塔」の雑草風景に収録、昭和10年5月1日の作。
 高遠武馬氏(南蛮寺萬造、山頭火全集編者、法政大学教授)は、次のように解説していています。
 「5月の空、どこかに五月幟のはためく音さへきこえてきそうな爽やかな空へむかって、
 すくすくと今年竹が延び上ってゆく。それは、この世のけがれを知らぬ清浄無垢の象徴である。
 この身のいやらしさに比べてなんと清らかな姿であろう。あゝ、この若さがほしい、この力を我に
 与えたまえ-そういう山頭火の祈りの声がきこえるような句である。
 其中庵の裏側は竹藪になっていた。」
  一草庵の裏も、昔のままの姿で、やぶ椿の大木と竹林が残っています。

  こんな山頭火の句を見つけました。
    お寺の竹の子竹になつた
   若葉清水に柄杓そへてある
   青葉若葉のひとりです
   車窓(マド)から、妹の家は若葉してゐる
   柿の若葉が見えるところで寝ころぶ