今週の山頭火句

今週の山頭火句 旅のかきおき書きかへておく  山頭火

2010年7月31日土曜日

『第2回山頭火俳句ポスト賞』決定。

投句期間 22年3月1日~6月30日

一草庵「山頭火俳句ポスト」に投句された164句(内、県外句は65句北は北海道、
南は鹿児島与論島からの来庵者投句あり)より、各選者の先生に優秀句を選んでいただきました。
7月31日「一草庵」にて表彰。

山頭火俳句ポスト賞(春季)
 玄関に筍ごろりあるじ留守  松山 小山 安義

(評)「あるじ」は、もしかしたら山頭火かもしれない。
「ごろり」と「あるじ」を平仮名表記にして、クローズアップさせているのもうまい。
もちろん、5・7・5で切れているが、「ごろり」は「あるじ」にも掛かっていると考えれば
諧謔味あふれる一句ということになる。一草庵の玄関にごろりと置かれた筍。
その筍の存在感が「あるじ留守」の静寂を一層確かなものとさせる。(白石選)

小西昭夫・選
【特選】 山頭火留守です明日は母の日    松山 新宅美佐子

(評)もちろん、山頭火は亡くなって久しいのだが、きちんと整備された一草庵は山頭火が
いつ帰ってきてもいい状態だ。そんな一草庵を見ていると、山頭火は、今日たまたま留守
なのだと思えてくる。明日は母の日。山頭火はきっと帰ってくるだろう。

【入選】 シスターの腰のロザリオ五月来る  松山 福岡美智子

(評)シスターの誰もが腰にロザリオをつけているのか、そうでないのかは知らないが、
 シスターとロザリオの言葉が重なることで、とても敬虔な気持ちになる。
そこへやってくる五月の新鮮なこと。

白石司子・選
【特選】 えぞ地からはるばる四国へ日射しじりじり       北海道 畠千咲子

(評)山頭火の「ひよいと四国へ晴れきつてゐる」の軽みの境地とは対極にある句といえるだろうか。
えぞ地からはるばるやってきた四国、また山頭火への作者の思いの集約が、「日射しじりじり」
であり、北海道を「えぞ地」としたことが、距離感だけでなく、時間の隔たり、
つまり、両者の歴史的差異みたいなものさえも感じさせる。

【入選】 落ちついて死ねそうにない青葉騒(あおばざい)  松山  藤田敦子

(評)山頭火の「おちついて死ねさうな草萌ゆる」をもじった諧謔味あふれる作品である。
寒かった時節は終わり、「桜騒」から「青葉騒」への美しく変容する自然を追いかけて、
落ちついて死ねそうにない作者。煩悩を捨てきれない我々からすれば、山頭火よりも
この「青葉騒」の句の方が、人間の本質をついているという考え方もできる。

高橋正治・選
【特選】 花石榴じゃんけんいつもグーをだし    松山 岩崎美世

(評)夕焼け小焼けの空の下、平凡の底の真実に安住する。グーは出発点であると共
に到着点でもある。

【入選】 一草庵裏へ回れば落椿            三重桑名市 中村仿湖

(評)終極を彩るひとときの存在の証のように落椿は靜かに語ってくれる。
ひとりの心に反応する。

本郷和子・選
【特選】 ついの住家の酒はうまいか  宮城県  中島直
 
(評)山頭火は行乞流転の後、終の場所、一草庵で酒を飲み句を作り、
自分の人生を悔いなく全とうしたであろうことが一句の裏側に詠まれている。
「うまいか」は問いかけと共に、同調、共感、願望などが含まれ心打つ。

【入選】 初蛍己が身に鳴る水の音   松山  岩崎美世

(評)初蛍に出会った作者の感動が伝わる。一草庵南の大川にも蛍がいるという。
川を流れる水音もしかり、作者の内面に水音は確かに存在しているのだろう。
「初蛍」によって生まれた美しい句である。

熊野伸二・選
【特選】 花の風一草庵を開け放つ            松山  岩崎美世

(評)満開の桜に風が戯れる。風に乗って空を舞う花びらもあろう。
「一草庵」にも、その風を通そうーとすべての戸、窓を開く。
「開け放つ」の下五が潔く、効いている。

【入選】 山頭火存(おは)すか庵(いお)の蚊遣の香 松山 福岡美智子

(評)山頭火は、昭和十五(1940)年十月十一日“コロリ往生した。
だから「庵におわす訳がない」とわかっている。
しかし、庵から漂ってくる蚊遣りの香を嗅ぐと「もしかして・・・」と山頭火の存在を
イメージ、あるいは期待する。