一草庵前・休憩室 |
「私は長い間さまよつてゐた、からだだけでなく心もさまよつていた」昭和九年の日記より。
やっと見出した『存在の世界』これが山頭火の求めた道ー。しかし、この道も雪に逢うのは厳しい。(ちとせ)
この句は、昭和9年3月14日の其中日記にある。
夕方、伊東敬治君一升さげて、国森樹明君牛肉をさげて、久しぶりに三人で飲む。
として、次の句も載っている。
雪ふりかゝる二人のなかのよいことは
書・梅岡ちとせ |
この今月の山頭火句は、自選句集「草木塔」の”山行水行”篇に選抜されている。
其中庵の生活にも、落ちついてきたのであろうか。
「帰家穏座とでもいひたいここちがする。私は長い間さまようてゐた。
…ようやくにして、在るものにおちつくことができた。そこに私自身を見出したのである。
…私は詩として私自身を表現しなければならない。それこそ私のつとめであり同時に私のねがいである。」
(昭和九年の秋、其中庵にて、山頭火)
「この道」とは、其中庵を生活の場とした句作の道のことだろうか。その道に春の雪がふる。
春の雪がとける道に、あたたかい、新らしい道を感じる山頭火がいるようだ。「春の雪」に思いがこもる。
京都・哲学の道の西田幾多郎の歌碑
「人は人吾はわれ也 とにかく吾行く道を吾行くなり」
のような力強さよりも、山頭火の句に、何故か人間味を感じる。
大山澄太さんが涙した山頭火の句を思い出した。
わかれてからの毎日雪ふる 山頭火
(NPO法人でDVD化した大山澄太先生(91歳)の講演「俳禅一味の山頭火」より)
一浴一杯、一人一室、一燈一机、あんたのところが一番いい宿だといって
うしろをふりかえらず行乞にでた
振りかえらない道がまつすぐ
の山頭火から、10日たって届いた句なんです。
家内と涙しながら読みました。
山頭火自筆の句みつかる蓮田善明の長男所有
へふへふとして水を味ふ
http://kumanichi.com/news/local/main/20120120001.shtml
の記事が、熊本日日新聞2012.1.20に発表された。
折りしも、昭和9年3月23日の山頭火の日記にその記載があった。
「…澄太居を訪ね、澄太居に落ちつく、夫妻の温情を今更のように感じる。
…夜は親しい集まり、黙壺、後藤、池田、蓮田君。
近来にない気持ちのよい酒だつた、ぐつすりと眠れた。」
(斉藤清衛の弟子の後藤貞夫君、その先輩である広島文理大の蓮田善明、池田勉さんも
一緒に来てくれて大いに語り合った日のことは、小高根二郎著『蓮田善明とその死』にも
詳しくでている。=大山澄太)
※<活躍中の評論家蓮田善明氏は、初めて「三島由紀夫」のペンネームを使った小説『花ざかりの森』を称賛する。
三島由紀夫は蓮田から思想的影響を受ける。>
皆さんなりに、勉強してみてください。
それでは、山頭火句の英訳を紹介しておきます。
this is the only path
spring snow falling 宮下恵美子