今週の山頭火句

今週の山頭火句 旅のかきおき書きかへておく  山頭火

2018年10月19日金曜日

「第26回山頭火俳句ポスト賞」の表彰です。

山頭火俳句ポストの表彰も26回を迎えす。 

表彰式は、10月8日(祝・月)「山頭火一草庵まつり」開催日

におこないました。 

平成30年3月1~8月31日に俳句ポストに投函された句です。
               
                                              
一草庵の「山頭火俳句ポスト」に投句された俳句は、182句。
(内、県外句は11句。)札幌市、群馬市、町田市、京都市、豊中市、姫路市等。
各選者の先生に優秀句を選んでいただきました。 
                                     
  



山頭火俳句ポスト大賞
風と遊んで小川のさざ波        京都市 坂口智之
   【評】風と遊んでいるのは小川だろうか、作者だろうか。どちらにも読めるが、
 どちらにしろ山頭火の放浪の人生が重ねられているだろう。放浪の中で山頭火が得た
 束の間の安らぎである。しかし、「さざ波」は小さな争いごとの比喩にも使われる。安らぎの先にある
 人生のわずらわしさも予見させ懐の深い句になっている。(小西)
       (京都からご夫婦で、表彰式へ来てくれました、こちらの方が、感謝です。)

山頭火一浴一杯賞
 だまし絵のような蛙の国にいて      松山市 岡崎 


【評】「だまし絵」、「蛙の国」から想像される蛙、兎、猿などを擬人化した鳥獣

戯画の世界、また、松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水のをと」、小林一茶の「痩蛙

まけるな一茶是に有」、金子兜太の「牛蛙ぐわぐわ鳴くよぐわぐわ」などの句。

掲句のような「蛙の国」に行けば、蛙と戯れている今は亡き俳人たちに会えるだろ

うか。(白石)


山頭火柿しぐれ賞
誰しもの子宮の記憶春眠し       松山市 岡崎和     
【評人間は生まれてくるまで、だれもが母親の子宮の中にいた。その記憶は現実に

あるはずもないが、春眠の中では、その心地良さが即、母親の胎内にいて羊水に浮いて

いる感覚と想像したのであろう。季語によって一句は秀句となった。(本郷)

小西昭夫選
【特選】
 恋は待つもの紫陽花枯れても    札幌市 伊藤哲也

【評】「恋は待つもの」という断定がいい。しかも「紫陽花が枯れても」待つのだ。


ひたすらに待つ。九十九パーセントは成就しない恋の一パーセントに掛けるのだ。

切ないがこれが恋というものの本質かもしれない。

【入選】
あじさいの白を剪る眩しさも剪る  松山市 田村七重

 【評】庭にたくさん咲いたのは白いあじさい。そのあじさいを活ける。光がさしていたのだろう。あじさいを剪るとき眩しさを剪るように感じたのだ。そこがお洒落。白がよく効いている。
【入選】
ふるさとをいつぱい喰つて夏終わる 四国中央市 星川さと子
【評】帰省子が詠んだ句ともそれを見ていた親御さん等が詠んだ句ともと れるが、
どちらにしても帰省子はふるさとの料理や人情や風土を腹一杯食ったのだ。
帰省子にとって故郷を去ることは夏が終ることなのである。

白石司子選

【特選】
 骨堂は深海桜の実を踏めり     松山市  岡崎 唯
【評】春に美しく咲く桜の花はやがて散り、「葉桜」から、「桜の実」へと結実、
また、人間もいずれは骨となり、「骨堂」へという「生」と「死」、また、骨堂は
「深海」という「暗」から、桜が実となる「明」の世界へという、対比の見事な句で
ある。そして、「踏めり」という行為からは、故人の人生そのものを踏み締めている
ような、噛み締めているような感じも伝わる。

【入選】
 山頭火になった気分で山登り     松山市 石田心美(14歳) 
【評】海よりは山が好きだった山頭火。いつもとは違って「山頭火になった気分で山登り」して君は何を見、何を感じたろうか。「分け入つても分け入つても青い山」、「もりもりもりあがる雲へ歩む」というような世界だろうか。無季句だが、一句全体からは、明るい春、そして、夏を感じる。

【入選】
 持てあますセンチメンタル夏の果て   松山市 黒河陽子 
【評】ある程度の年齢に達すると、暑くて長い夏もやっと終わったという安堵感みたいなものの方が強いが、掲句の作者は、終わって欲しくない夏が過ぎ去ったことに対するセンチメンタルを持て余しているのである。それは過ぎ去ってしまった青春への感傷でもある。

本郷和子選 

【特選】
 炎天に息を止めたる草木かな       松山市 古澤登美子
【評】この夏の猛暑では、外にでることさえ苦痛であった。草や木の植物は炎天下でじっと耐えているのであるから、息を止めたいほどの暑さであったろう。息を止めたと断定して句にした。植物は息を止めても枯れはしないのが俳句である。


【入選】
だまし絵のような蛙の国にいて    松山市 岡崎 
  【評】だまし絵のような国は蛙の世界なのだろう。はて、だまし絵となると、
   どんなものなのか不明であるが、作者の頭の中に、想像上では、あやふや
で、とらえどころのない、確定できない図があるのだ。飛躍した発想力で
作者は蛙と同化した。
【入選】
どの山も丸丸太り笑っとる      松山市 深津健次 
  【評】今の世に山頭火がいたらこのような句を作ったかも知れない。春の山がふっくら、丸く、木々の緑を太らせて、生き生き大らかに見える景である。山笑う季語を上五と下五に離しているが「笑っとる」の語は、伊予弁のおもしろさで締めた。

髙橋正治選 
【特選】
蛍の夜老婆の長きひとりごと       松山市 岩井悦子
【評】それぞれの運命に約束された生命の長さを生きる。努力も精進も限
界がある。小さき者に小さきままに自然の命がある。短いひとりごとでな
いがいい。
【入選】
高し眼鏡かけたりはずしたり   松山市 田村七重 
  【評】繰り返しながらも穏やかなその場の空気を味あわせる。不完全な視
  力を調整する秋の日々。見上げれば、ひろがる秋の空はどこまでも高く、爽快なり。
 【入選】
蜜豆と色を分け合う窓の風      松山市 岡崎天 
  【評】蜜豆は涼しい色とりどりの食べ物。窓の風と色を分け合う遊び心がいい。女性ならではという所がある。美しい光りも眼をつむっていては見えない。