今週の山頭火句

今週の山頭火句 旅のかきおき書きかへておく  山頭火

2011年10月17日月曜日

72回を迎えた山頭火・一草忌。

山頭火・一草庵まつり、最後の行事は、山頭火の72回一草忌です。
祥日命日(亡くなった日と同じ月日)の10月11日に一草庵で法要を行う。

御幸寺の土屋住職が、忙しい中やって来てくれ、お経を読んでくれました
全員で、般若心経を読経しました。


子規記念博物館から山頭火の遺品「鉄鉢」「煙管」「煙管入れ」が届きました。
特別公開の山頭火の鉄鉢
「鉄鉢」は、年3回 
山頭火が松山へやって来た日、10月1日。
山頭火の命日、10月11日。
山頭火の一草庵入庵日、12月15日に、一草庵で公開されます。

蕪村が、約百年後、正岡子規に、一茶が約百年後に、荻原井泉水に見出されたように、山頭火も、百年後、再認識されるでしょうか。

梅原猛さんは、次のようにいっています。
宮沢賢治は昭和八年に三十八歳の命を閉じるときは、ほとんど無名であった。
しかし、今では宮沢賢治は二十世紀の日本を代表する文学者になった。
……
宮沢賢治ほどではないと私は思うが、種田山頭火も永遠に輝くものをもった俳人であったことはまちがいない。
かつて一世の俳壇を風靡した巨匠たちの句は今では忘れられ、当時前衛のまことに風変わりな乞食俳人と思われていた山頭火の句が年とともに多くの日本人に親しまれ、山頭火こそ二十世紀の日本を代表する俳人となってしまった。
彼の句に、人間の心の奥に語りかける永遠に古びないきらきらしたものがあったからである。
(1991年3月)

 そうこうしていると、俳優の榎木孝明さんが、一草庵に来てくれた。
松山三越で、水彩画の個展をしているらしい。180cm以上あるような背の高い、ダンディな人だった。
鉄鉢をもつ山頭火好きの榎木さん