大山澄太さんの資料をもって、廣田女史が一草庵を訪問してくれた。
文芸誌「アミーゴ」で活躍されている方だ。
「アミーゴ」は、昨年の「俳句一草庵」吟行句会で訪れた長建寺で訪墓した劇作家高橋丈雄さんが主宰した同人雑誌です。
廣田さんは、澄太さんを囲む会「涼風会」(月1回開催)に参加されていたそうで、澄太翁から頂いた書や手紙を沢山見せてくれた。
涼風会の第1回は、あの書家・米山の日尾八幡神社の社殿で昭和27年7月13日に開催され、梅雨明けの涼しい風を浴びての会だったので、「涼風会」と命名された。
涼風会で、澄太先生は、山頭火を偲んでよく「延命十句観音経」を写経・読誦されていたそうだ。
澄太書の「延命十句観音経」を寄贈していただいたので紹介しておきます。
かんぜお-ん な-む-ぶつ
観世音 南無仏よ- ぶつう-いん よ-ぶつう-えん
与仏有因 与仏有縁
ぶっぽうそうえん じょうらくが-じょう
仏法僧縁 常楽我浄
ちょうねんかんぜお-ん ぼ-ねんかんぜお-ん
朝念観世音 暮念観世音
ねんねんじゅうしんき- ねんねんふ-り-しん
念念従心起 念念不離心
http://www.youtube.com/watch?v=kJSyUVOVygQ
「観音経」は520文字、結び78字の長文なので、代用として「十句観音経」42文字が読まれているそうだ。
『十句観音経』の意味
観世音菩薩よ。み仏よ。帰依いたします。
私は仏とともにある因や、仏とともにある縁で生かされています。
仏法僧の縁によって、常に楽しくきよらかな悟りの境地を与えてください。
朝に観世音菩薩を念じ、夕に観世音菩薩を念じます。
その一念一念はたえず心の中にあり、心が観世音菩薩から離れる事はありません。
とあるHPに紹介されていた。
勉強して、一草庵の山頭火居士に唱えてみたいものだ。
廣田さんの資料の中に、潮文社新書「草木塔」の扉にある山頭火の言葉のチラシが交じっていたので貸していただいた、紹介します。
昭和5年9月14日の行乞日記「私はまた旅に出た、…」の次に私が好きな山頭火の言葉です。
(そんな思いもあり、「男の隠れ家2010.11)」の山頭火欄に、この言葉を載せていただいたことを思い出しました。)
この言葉は、其中日記 昭和11年3月31日にあり。
ー(このみち)ー
このみちをゆく-このみちをゆくよりほかない私である。
それは苦しい、そして楽しい道である、はるかな、そしてたしかな、細い険しい道である。
白道である、それは凄い道である、冷たい道ではない。
私はうたふ、私をうたふ、自然をうたふ、人間をうたふ、
俳句は悲鳴ではない、むろん怒号ではない、溜息でもない、欠伸であつてはならない、
むしろ深呼吸である。
詩はいきづき、しらべである、さけびであつてもうめきであつてはいけない、
時として涙がでても汗がながれても、
噛みしめて味ふ、こだわりなく遊ぶ。
ゆたかに、のびやかに、すなほに。
さびしいけれどもあたたかに。ー 山頭火
山頭火の話、俳句の話、碁の話、政治の話など、あっという間の一草庵でのひと時でした。