今週の山頭火句

今週の山頭火句 ひらくより蝶がはなのうへ 山頭火

2013年11月3日日曜日

「樗堂・一茶・山頭火吟行バスツアー」 (三津の渡しの巻)

小林一茶ゆかりの地として、「三津」にやってきました。
春や昔、十五万石の城下だった松山、今は人口52万人の都市ですが、そこから車で約10分のところに、戦災をまぬがれた古い歴史の面影が残っているレトロな街、それが三津浜です。

 伊予鉄「三津駅」に到着です。

「明治21年(1888年)わが国最初の軽便鉄道が走る。
夏目漱石は、開通7年後の陸蒸気(おかじょうき)に乗った。
「坊つちゃん」騒動は、三津上陸より始まる。

“停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んで見るとマッチ箱の様な汽車だ。
ごろごろと5分許り動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。……“」


すっかりと、さびれてしまった三津浜商店街の入り口のお店「練や正雪」で、じゃこてんをご馳走。
八幡浜のじゃこてんに、負けていませんよ。1枚 100円。
マブソンさん、紗希さん お味いかがですか。

吟行は、説明はない方がいいというので、省略したのですが…ここで補足しておきます。

<辻井戸>という処へ、少し説明。

 寛永12年(1635年)桑名から松山藩主に松平定行が転ぜられたとき、
定行は三津の御船手(水軍)四百戸の水を確保するため、
この地に井戸を掘らせました。
これが辻井戸です、文字通り、四つの町の道が交差する場所であったため、
この名前がつきました。

<遠藤味噌醤油店>(特別に見学させていただきました。)

創業150年。古い町には、酒蔵と醤油屋が多い。
三津浜には、現在醤油屋さんが4軒残っています。
この遠藤さん辺りの路地風景が大変好きです、私はひとり、松山の倉敷と呼ぶことにしています。



マブソン青眼さん、早速お味噌のお買い上げ。

続いて、<荒瀬染物店>
 創業大正8年。松山で祭のパッピをつくる店はここしか残っていないそうです。
俳句できましたか、紗希さんと夏緒さん。バックは、荒瀬染物店。

 三津の鯛が味わえる俳諧ゆかりの家「森家」へちょっと訪問。

森家は、子規が唯一師事した俳諧の師・大原其戎の後援者。
其戎が発刊した月刊俳誌「真砂の志良辺」は全国で3番目の俳誌。
「虫の音を踏(み)わけ行(く)や野の小道」
(真砂之志良辺に載る、子規の句として初めて活字になった。子規、数年21歳)

いよいよ、「三津の渡し」に到着です。

応仁の乱は、何年に起りましたか。1467年、正解です。
「人の世は虚しい」と覚えました。
京都の人は、いまでも戦争と言えば、「応仁の乱」です。
11年も続いたのですから…。第二次世界大戦でも、3年です。

さて、「三津の渡し」は、応仁の乱が始まった時にさかのぼります。
対岸にあった港山城主・河野道春が、兵士の食糧を農漁村から調達するために、舟の渡しをつくったのが起源とされています。

小林一茶は、今から200年以上前の寛政7年2月5日、松山から三津入りをする。
樗堂の妻・虎女(俳号・羅蝶)の実家、三津の豪商・森方十の邸宅を訪れて、
2月5日から11日まで三津に滞在するのです。

三津の渡しを渡ったところにあった「洗心庵」に行ったことが
西国紀行(寛政7年紀行)に記録されています。

「五日 松山を出て、二里、三津濱、方十亭を主とす、
九日 人々と共に、小深里の洗心庵に会す、
      前文略
   汲みて知るぬるみに昔なつかしや
   旧懐の俳諧して浦辺を逍遥して、

    にな蟹となりて女に嫌はれな
    山やく山火となりて日の暮る哉
    梅の月一枚のこす雨戸哉

十一日 三津を出で又八反地村に戻る 途中吟 遠望

    凧青葉を出つ入つかな            」


その舟は、昭和45年万博の年、手こぎ舟からポンポン舟に替り、
「三津の渡し」として、海の道、松山市道高浜2号線を行き通っています。
定員12名の小さな舟が、対岸を往復。距離80m、時間は2分。
松山市の職員が運転、乗車料は無料。






  春や昔十五万石の城下かな   子規

秋の潮風を受けて
一茶も乗った「三津の渡し」を往復しました。

  秋や昔一茶ののりし渡し舟   


参加者は、こんな句を詠まれまれていました。


  三津浜の指呼の渡しや天高し   井門敬之

  秋風やふらんす人の一茶ゐて   田代夏緒

  舟はひと波は日を乗せ天高し   鈴木恭子


フランス俳人・マブソン青眼さん、エンジンの音にあわせて歌います。

2013年11月2日土曜日

樗堂・一茶・山頭火の吟行バスツアー、楽しかったなぁー!(庚申庵の巻)

秋のイベントの整理がやっとできました。
山頭火検定の合格認定式=11月3日の準備もできました。

遅くなりましたが、
まずは「樗堂・一茶・山頭火吟行バスツアー」=10月12日
の報告です。

いろいろな人からの写真が集まりました。
本当に豪華なメンバーでの吟行句会でした。

 「歴史とは、現在と過去との対話である」 E・Hカーの言葉からはじまります。
 (これは、「BS歴史館」からのパクリの言葉です。)

樗堂との対話は、「庚申庵」。一茶との対話は、「三津の渡し」。山頭火との対話は、「一草庵」。―でというのが、吟行句会のコンセプトです。

吟行バスツアーは、道後の子規記念博物館からスタートです。

道後公園の一茶句碑を見てもらいました。

寝ころんで蝶泊らせる外湯かな  一茶(酒井黙禅筆)


<西国旅日記>

  寛政7年(1795年)2月1日小正月のところに、
「道後温泉の辺りにて」として、この句を読む。
この年の2月1日は、今の3月21日にあたるから
蝶も舞ううららかな陽気であったろう、一茶33歳なり。

バスで「庚申庵」に向います。            「庚申庵」ができたのは、
寛政12年、1800年の庚申の年です。伊能忠敬が蝦夷地の測量を始めた年です。

一茶が樗堂を訪ねたのは、寛政7年。一茶33歳、樗堂47歳です。
松山へは、1月15日~2月5日までの20日間。
そして、松山を気に入った一茶は、翌年寛政8年の秋から、翌年の春まで松山に滞在
するのです。8月には、松山城で観月会をしています。今から218年前のことです。

庚申庵での説明は、庚申庵倶楽部の松井理事長に説明していただきました。




松井さんは、こんなお話をされました。

「樗堂は庵に床の間を設けなかった。句会で誰もが平等に意見できるよう、
上座や下座の概念をなくした」と。
早くも秋明菊が咲いている

そして、こんな句が参加者から生まれました。                


  秋明菊咲き上座なし下座なし  毛利敦美

(この句は、俳句交流会の式場で秀逸句として、二人の選者に選ばれました。)

句作風景を紹介しておきます。











バッタどな、もし?
















あの木枯らし紋次郎で、一斉を風靡された、中村敦夫さんも参加されました。
樗堂紹介の俳句を見て、こんな質問がありました。

 一畳は浮世の欲や二畳庵  樗堂

この句にすごく魅かれたそうです。二畳でも狭いと思うけれど、一畳でも私の欲だと
いう樗堂さんの哲学に感心されたそうです。




その1、庚申庵の巻を終ります。(この企画は、毎年秋に開催している「俳句一草庵」吟行句会を兼ねて実施しました。)


2013年10月10日木曜日

《俳句シンポジウム~樗堂・一茶・山頭火の世界~》

「樗堂・一茶・山頭火の世界 in まつやま」は
     平成25年10月12日(土)~13日(日)です。
 俳句シンポジウムは、14:00~15:30 となっています。

「一茶・山頭火俳句大会」の「俳句シンポジウム」を紹介します。

この企画は、山頭火研究者の第一人者だった故村上護先生の提案でした。
本棚には、村上先生の本がたくさん並んでいます。
本の扉を開くと、俳句を書いてくれていました。

      初旅やいのちの峠こして海  護

 大病(すい臓癌)後の句です。山頭火の顕彰に一生をかけられました。
世界が山頭火も認めています、これからますます評価されますよ。
句集というのは、なかなか売れないものですが、山頭火の「草木塔」は今でも世界で読まれています。松山の俳人は、山頭火を認めない人もいるようですが、来年は、松山で「一茶・山頭火俳句大会」をやりましょうよ。一茶を俳人と認めない人はいないでしょうと。

その村上先生の大学での卒業論文は、坂口安吾だったそうで、安吾忌には必ず参加し、裏方で支えていたそうです。
今私は、村上護編”俳句の達人30人が語る「私の極意」”を読んでいます、名著なり。
「俳句文庫」全30巻の巻頭対談「わが俳句を語る」をまとめたものです。聞き役の名手ですね。
 残された句集「其中つれづれ」に、その裏付けされた俳句の心がにじみ出ています。

さてさて、
樗堂は、旧暦8月21日(新暦10月4日)御手洗島の二条庵で没す、66歳、今年は没後200年です。

子規は、俳句の分類をし、「樗堂は松山第一寧ろ四国第一というべきもの」とし、次のような樗堂の俳句を選んでいます。

  涼しさのひとりにあまる庵かな
  我がしなバ庵を譲らんきりぎりす
  秋かせや鏡の翁我を見る

平明の中に含蓄のある句として賞讃します。
何故か、一茶の句を連想してしまう。
一茶は寛政7年正月15日。
観音寺・専念寺の五梅に紹介され、松山の十六日桜の見物にでかける。
そして樗堂を訪ねる、一茶33歳、樗堂47歳なり。

その一茶は、1763年5月5日長野県信濃町柏原の農家に生まれます。本年は生誕250年。
一茶は、江戸の文化文政の時代に全くの無名ではなかったが、葛飾派の一俳人でしかなかった。
子規は「信濃に一茶という畸人あり」と評するのみでした。

 一茶を世に出したのが、荻原井泉水です。大正14年に出版された「芭蕉と一茶」の本は、俳人のみならず、一般の人を驚かせたのです。


 一茶は、寛政時代に諸国行脚して「西国紀行」を残す。7年間の旅でした。寛政7年、伊予松山を訪れるのです。気に入って、翌寛政8年の秋から翌年の春まで、樗堂を訪ねて松山に滞在するのでした。










 それから145年後の昭和14年に、種田山頭火という放浪の俳人が、

  秋晴れひよいと四国へ渡って来た 

と詠んで松山にやって来るのです。そして1年後昭和15年10月11日に「一草庵」でコロリ往生するのです。

今回の「俳句シンポジウム」は、俳都・松山を訪ねた一茶と山頭火を取り上げます。

二人とも俳句一筋に生きて、約1万句以上の俳句を世に残します。
そして、同じく約1年の月日を松山で過ごすのです。

 俳都・松山に残る江戸時代の俳句の庵が、樗堂の庚申庵です。
1800年、庚申の年に樗堂が芭蕉の幻住庵をイメージして造るのです。

  樗堂は、「庚申庵記」を、一茶は「七番日記」を、山頭火は「行乞記」等を残すのです。

その松山ゆかりの俳人を探る「俳句シンポジウム」が、
10月13日(日)に子規記念博物館講堂で開催されるます。

 94歳の金子兜太さんは、体調悪く、ビデオで出演します。
長野に住み、一茶を研究する「海程」同人のフランス俳人マブソン青眼さんが来てくれます。
村上先生に代わって、あの木枯らし紋次郎こと、中村敦夫さんが登場します。
現在、朗読劇「山頭火物語」の公演をされています。
 樗堂の話は、庚申庵倶楽部理事長の松井忍さんが語ってくれます。

松山でしかできない、日本に誇れるイベントです、皆様のお越しをお待ちしています。
当日券1000円です。(当日投句料を含む)
 当日投句受付は、11:30~12:30となっています。


 ※ 愛媛銀行さんの協賛、水口酒造さん、土屋水産さん、大和屋別荘さん、かわさき眼科さん、愛麺さん、椿神社さんの支援をいただいています。

    主催は、一茶・山頭火俳句大会実行委員会です。
     委 員 長      一茶の寺・長久山本行寺山主 加茂一行
    副委員長    俳句誌「月の匣」主宰 水内慶太
   事務局長   「俳壇」編集長 田中利夫
     松山実行委員長  NPO法人まつやま山頭火倶楽部理事長 熊野伸二
     のメンバーが中心となって推進しています。

終りに、一茶のことなど。

 小林一茶の物語は、萩原井泉水の「創作・おらが春」
              田辺聖子の「ひねくれ一茶」
                             藤沢周平の「一茶」等があります。

 周平の「一茶」には、松山の場面も登場します。
 あとがきが名文でしたので、紹介しておきます。

 「一茶という人は、不思議な魅力を持つひとである。一度一茶の句を読むと、その中の何ほどかは、強く心をとらえてきて記憶に残る。しかもある親密な感情といったものと一緒に残る。これはいったいどこから来るのだろうかと考えることがたあった。

 われわれは、芭蕉の句や蕪村の句も記憶に残す。それは句がすぐれているからである。一茶にもすぐれた句はあるが、一茶の句の残り方は、そういう意味とは少し異なって、親近感のようもので残る。
  それはなぜかといえば、一茶はわれわれにもごくわかりやすい言葉で、句を作っているからだろうと思う。芭蕉や蕪村どころか、誤解を招く言い方かも知れないが、現代俳句よりもわかりやすい言葉で、一茶は句をつくっている。形も平明で、中味も平明でる。ちょっと啄木の短歌がわかりやすいように、一茶の句はわかりやすい。
 そしてそれは一茶が、当時流行の平談俗語を意識したというだけでは片付かない、もっと本質的な、生まれるべくして生まれた平明さのように思われる。」
            

 山頭火は、一茶の句を次のように観賞する。

「大の字に寝て涼しさよ淋しさよ―はさすがに一茶的である。いつもの一茶が出てゐるが、つづけて、淋しさよ―とうたつたところに、ひねくれてゐない正直な、すなほな一茶の涙が滲んでいるではないか。…」

 「いうまでもなく一茶は芭蕉的な深さはない。蕪村的な美しさもない。しかし彼には一茶の鋭さがあり、一茶的な飄逸味がある。」

2013年9月29日日曜日

「樗堂・一茶・山頭火吟行バスツアー」 素敵な企画ですよ。

《樗堂・一茶・山頭火の世界 in まつやま》 

平成25年10月12日(土)~13日(日) の開催日が近づいてきました。

12日は、「前夜祭」です。

「樗堂・一茶・山頭火吟行バスツアー」を計画していますので、

紹介しておきます。

 今から200年前寛政七年(1795年)、四国一の俳人といわれた栗田樗堂
(ちょどう)を、小林一茶は松山に尋ねます。おん年 一茶33歳、樗堂は47歳です。
今年は、樗堂の没後200年、一茶の生誕250年にあたります。

まずは、樗堂の草庵「庚申庵」を訪ねます。

一茶の史跡としては、松山市内から約15分のところにある港町「レトロな町・三津浜」を訪ねます。

遠藤味噌醤油店、荒瀬染物店、木村家を訪問。

一茶は、樗堂の妻・虎女(俳号・羅蝶)の里、三津の松田方十宅に滞在するのです。
そして、一茶は、「三津の渡し舟」に乗って、「洗心庵」へ。

 芭蕉の句碑
 「笠を舗(しき)て手を入れてしるかめの水」に感動し、

 「汲みて知るぬるみに昔なつかしや」と詠みます。
 
今も行き来する、松山市の海の道「松山市道高浜2号線」の「三津の渡し」に俳人一茶は乗ったのです。
その潮風を受けて一茶を偲んでみましょう。

一茶は、伊予松山が気に入り、翌年も松山を訪れて、都合半年以上松山で過ごすのです。
 もう一人、人生の最後を約1年間過ごした俳人がいます。
それが一草庵の庵主、俳人・種田山頭火です。

 それでは、バスツアーの最後に、松山ゆかりの俳人・山頭火の史跡「一草庵」を訪ねてみましょう。



バスツアーのゲストを紹介します。

「あっしには関わりのないこって・・」
の台詞、ご存知ですか。
そうです、あの木枯し紋次郎の台詞です。
山頭火に魅せられ、朗読劇「山頭火物語」
を演じている中村敦夫さんがバスに同乗してくれます。

紋次郎の主題歌「だれかが風の中で」を思い出して、
唄ってみませんか。

 歌 上條恒彦 作曲 小室等 作詞 和田夏十

  どこかで だれかが 
  きっと待っていてくれる
  くもは焼け 道は乾き 
  陽はいつまでも沈まない
  こころはむかし死んだ 
  ほほえみには会ったこともない
  きのうなんか知らない
  きょうは旅をひとり
  けれどもどこかで
  おまえは待っていてくれる
  きっとおまえは風の中で待っている

https://www.youtube.com/watch?v=l5Q5siU5bfw

(和田夏十って、市川 崑の奥さんでしたよね)

俳人としては、東京から、水内慶太(「月の匣」主宰、師・上田五千石)、神野紗希(「俳句甲子園」で活躍)、信州長野からマブソン青眼(俳句結社「海程」(金子兜太主宰)同人、一茶研究家)さん、松山からは「花信」主宰の福谷俊子さんが同乗されます。(「白桃」主宰の九州の伊藤通明先生は、体調を壊し来れないようです。)
 吟行終了後は、全日空ホテルで、
 東京・信州・松山の俳人を囲んでの合同俳句交流会を開催します。
特選の方には、山頭火の銘菓「柿しぐれ」を差し上げます。
アトラクションとして、俳人山頭火の琵琶曲、三味線による伊予節等の演奏を準備しています。


2013年9月25日水曜日

松山市広報番組に、「山頭火さん」が登場します。

松山市の「お宝さがしの番組」で、山頭火さんが登場しますよ。
是非、見てくださいね。
 放送は、eat(愛媛朝日テレビ)で放送されます。
      大好き!まつやま まちトレ おたからハンティング 種田山頭火篇
      9月26日(木) 21:48~21:54
      再放送 9月27日(金) 15:30~15:54
      放送後は、松山市のロビーにあるテレビで紹介するそうです。

 溌剌とした新人アナウンサー吉井万結(YOSHII MAYU)さんが、松山ゆかりの俳人・種田山頭火
へアタックします。



山頭火のクイズ大会がはじまります。

若手の山頭火ファン、山頭火風の恰好で高橋君、若い町娘は、渡部さん。


そして、山頭火のご意見番として、NPO法人まつやま山頭火倶楽部の理事長・熊野さんが出演します。

 「山頭火検定公式テキスト」より、問題が出題されます。

 問題1 山頭火の生まれた所は、どこでしょうか?

      ①愛媛県松山市 ②山口県防府市 ③熊本県熊本市

 問題2 山頭火の本名は?

      ①種田政一  ②種田正一 ③種田竹治郎

 問題3 山頭火が9歳のとき人生を変える事件が起きました
     その事件とは?

      ①父竹治郎が放蕩に走った
      ②家が倒産した
      ③母フサが自殺した

 問題4 山頭火が24歳の時、父と一緒に起こした事業はなんでしょうか?

      ①酒造業 ②本屋 ③額縁屋

 問題5 大正13年、山頭火は一生を変える一大事件を起こしています。  
      その事件とは?

      ①熊本市の有名料亭で無銭飲食をした
      ②熊本市で政治活動をして留置場に入れられた
      ③熊本市公会堂前で進行中の電車の前に立ちはだかった



 問題6 山頭火が行乞行脚の末、自ら終焉の地と定めた都市はどこでしょうか?

       ①熊本市 ②松山市 ③防府市

 このような問題がでると思われます。あなたも挑戦してみてください。

 松山市が取り上げてくれた問題は、10月12日実施の「第4回山頭火検定」の問題として出題したいと考えています。

2013年9月24日火曜日

山頭火の和菓子『柿しぐれ』を発売!

山頭火銘菓『柿しぐれ』が完成しました。9月24日から発売です。



「しぐれて柿の和菓子かな」という記事を愛媛新聞の正岡記者が書いてくれました。

 山頭火しぐれて柿の和菓子かな 
  
俳句になっていませんが、うれしさはこんな気持ちです。また何ともいえない甘みが最高です。
柿色の羊羹ふうのお菓子に、小豆がしぐれのように降り注いでいます。
箱の包装紙は、大山澄太さんの薫陶を受けた俳人で書家の梅岡ちとせさんが、俳画を書いてくれました。


 皆さんは、御存じですよね。
言語学者・新村出が、芭蕉にも宗祇にもない詩境だといった、山頭火の名句

 うしろすがたのしぐれてゆくか

 この記事のとおり、しぐれの俳人山頭火が、一草庵の柿の木を愛して詠んだ句

  しぐれて柿に葉のいよいようつくしく

 に因んで、『柿しぐれ』と命名しました。他にも次のような柿の句を詠んでいます。

  手にのせて柿のすがたのほれぼれ赤く
  見あげる柿の色づいて落ちそうな
  あれほどの柿の最後の一つとして落ちんとす

 今年10月12日、13日に開催される「樗堂・一茶・山頭火の世界inまつやま」
 での”一茶・山頭火俳句大会」の特選受賞者に副賞として差し上げたいと考えています。

この『柿しぐれ』は、山頭火道後の酒「一浴一杯」についでの、NPO法人企画商品の第2弾となります。


 一草庵の山頭火さんのご位牌にささげ報告をしました。
山頭火ファンの皆の熱意で、山頭火さんの銘菓『柿しぐれ』ができました、食べにきてくださいね、と。

歴史学者E・H・カーによれば、「歴史は現在と過去の対話である」そうです。
あなたも、このお菓子を食べながら、山頭火さんと語り合ってみませんか。

注文先:元祖しょうゆもち「白石本舗」 089-924-4507
     〒790-0811
       松山市本町4丁目1-6
   


2013年9月10日火曜日

「山頭火検定&山頭火テキストの電子書籍販売」のお知らせ!

週刊少年ジャンプが、創刊45周年を記念して電子書籍として、7月より配信・販売されていますね。

「山頭火検定公式テキスト(簡易版)の電子版は、すでに3月よりアマゾンで電子書籍として販売しています。
そして、8月より写真付き「正式版」の販売を開始しました。
遅くなりましたが紹介します。

※山頭火検定公式テキストとは、山頭火の教科書です。

 第4回の山頭火検定を10月12日(土)実施します。
より山頭火ファンを増やそうと「山頭火テキスト」を電子書籍として、世界に向けて販売することとしました。
ホームページ左上の「電子書籍」をクリックすれば、Kindleストアーにつながります。

 愛媛新聞の高橋記者が、こんな紹介をしてくれました。

 

ipadなどのタブレット端末でも読めますが、スマートフォンでもOKですよ。(AndroidとiOSアプリをインストールしてください。)
検定本の電子ブックの販売は、日本で初めてのはずです。
また愛媛の出版会社も電子書籍化を検討しているようですが、ほとんどが自費出版で、電子書籍として販売を開始しているのは、「山頭火検定」の本しかないようです。
 この電子書籍本は、マジカルサイトの松本さんの協力によりできました。

「第4回山頭火検定」のお知らせです。

 試験日 平成25年10月12日(土) 10:00~11:30

 会 場  みゆき会館
             (松山市御幸 護国神社隣 089-924-8965)

 検定料 一般 1000円 高校生 500円



以下、募集要項です。




山頭火ファンの方、どんどんお申し込み下さい。
受験者には、翌日13日に開催される「樗堂・一茶・山頭火の世界 in まつやま」の招待券を差し上げます。

このホームページに掲載の過去の「山頭火検定問題」をマスターすれば、必ず合格できますよ。

2013年8月27日火曜日

『一茶・山頭火俳句大会』 俳句募集中!

今年の10月12日~13日 『樗堂・一茶・山頭火の世界inまつやま」を開催します。
「一茶・山頭火俳句大会」を開催するため、事前俳句を募集しています。
皆さんも投句していただけませんか。





以下、俳句募集要項です。
ご連絡が遅くなって申訳ありません。9月1日(日)が締切りです。<当日消印有効>

申込先  〒116-0013
      東京都荒川区西日暮里3-1-3 本行寺 一茶・山頭火俳句大会係

作 品  四季雑詠2句一組(何組でも可) 有季定型・自由律どちらでも可。

応募料  1組につき1000円 現金書留または定期小為替を同封の上。
   


 選者の先生は、素晴らしい方々ですよ。
   有馬朗人「天為」主宰、大石悦子「鶴」所属、金子兜太「海程」主宰、
伊藤通明「白桃」主宰、神野紗希(俳人)、阪本謙二「檪」主宰、
佐藤文子「信濃通信」主宰、仁尾正文「白魚火」主宰、
冨士眞奈美(女優・俳人)、福谷俊子「花信」主宰、有光令子「花」主宰、
船越俊子「青海波」主宰、宮坂静生「岳」主宰、和久田登生「層雲」代表 

10月13日大会会場・子規記念博物館で
表彰式を行います。
俳句誌「俳壇」で優秀句を掲載します。
投句の方法は、左の内容を記載していただ
ければ OK です。

2013年8月23日金曜日

今年訪れるべきパワースポットはココ、一草庵。

今年おとずれるべき場所はココ!
47都道府県のパワスポ完全ガイドが、CREA 9月号(文藝春秋)に紹介されています。

愛媛県では、「一草庵」「秋山兄弟生誕地」『道後温泉本館 玉の石」でした。
ご覧あれ。

 種田山頭火終焉の地は、仕事の金運に効果あり。
 新規開拓や企画立案にも◎!
  (小林世征さんが、都道府県のベスト3をピックアップ)






  一草庵に取材に来た人の、スナップ写真を紹介しておきます。




一草庵でのパワースポット「山頭火物語」

山頭火は、妻も捨て子も捨て家も捨て、

    大正十五年四月、解くすべもない惑いを背負うて
    行乞流転の旅に出た、と前書きをし

  分け入っても分け入っても青い山

の句を詠んで放浪行乞の旅に出ます。途中、庵を結びますが、57歳までの15年間旅を繰り返し
終の住処、一草庵に辿り着きます。一草庵は、山頭火人生の終着駅なのです。

一草庵の入り口には、句碑があります。碑の下には、山頭火の”あごひげ”が入っているとのこと。

  鉄鉢の中へも霰

 ただの句碑ではなく、松山での山頭火墓碑のようです。
いつもは白いお米を入れてもらっている鉄鉢に、突如白い霰が入り音をたてるのです。
”鉄鉢の中には、白い米ばかりでなく霰もはいるのだ”と悟って、また放浪の旅にでるのです。
鉄鉢にも霰は入るんだ、これが人生、ああ無常!。

その山頭火の魂の入った句碑は、一草庵を象徴する柿の木を眺めています。
私には、山頭火が何かを話しかけているように感じるのです。

 一草庵の柿を愛した山頭火の句を紹介します。

 手にのせて柿のすがたのほれぼれ赤く
 しぐれて柿の葉のいよいようつくしく

母の自殺、父の放蕩、家業の破産、家庭の崩壊、弟の自殺等
波乱万丈の人生の終着駅・一草庵には、山頭火のパワーが潜んでいるはずです。
あなたには、それが見えませんか。

 一草庵を訪れた人に、こんな質問をしたことがあります。
硝子のコップに水が半分だけ入っています、あなたはどのように解釈しますか。
 その1. もう半分しかないのか。
 その2. まだ半分もある。

訪れた人に、柿の木にさわってもたって、今もっている悩みを山頭火さんに語ってもらい
ここにみなぎる山頭火さんのパワーを感じ取ってもらうのです。
そして心機一転、新しいパワーをもらって帰っていただきのです。


そして、帰りには、

 濁れる水のながれつつ澄む

の句碑に手をあわせていただくのです。

生きているといろいろな事がありますね。
山頭火さんは、人生を振り返って、亡くなる前、昭和15年9月8日にこの句を詠みました。
”濁れる水は、きっと流れながら澄んでいくと私は信じますが、あなたはどうですかと山頭火さんが
囁いているようです、というのが、パワースポット「山頭火物語」です。