今週の山頭火句

今週の山頭火句 旅のかきおき書きかへておく  山頭火

2011年8月12日金曜日

『第5回山頭火俳句ポスト賞』の表彰。

『第5回山頭火俳句ポスト賞』決定発表
(投句期間 23年3月1日~23年6月30日)   

一草庵「山頭火俳句ポスト」に投句された175句(内、県外句は42句。)各選者の先生に優秀句を選んでいただきました。「一草庵夏の子どもまつり」(8月7日)の日に表彰式をおこないました。

 山頭火俳句ポスト賞              
奔放に脱ぎし庵の今年竹   松前町 郷田喜久江 

(評)「今年竹」は「竹皮脱ぐ」と同じ季語であるが、導入部の「奔放に」という語に、潔さ、若さと勢いを感じた。皮を脱いだ竹は、緑の鮮やかな若竹となり、ぐいぐいと空に向かって伸びてゆく。一草庵を訪れる人や、庵で活動する人々に活力を与える一句となった。 (本郷選)

小西昭夫・選
【特選】あじさいは雨に咲きわたしは雨を聴く   松山市 太田和博 


(評)句またがりの対句表現やあじさいと雨のA音のリフレインが心地よい。あじさいと雨は付きすぎの表現だが、後に「わたしは雨を聴く」と置いたことで、序詞のような働きをしている。そして、この句の求道的な深みを作り出した。


【入選】真っ直ぐな道ふるさとの麦の秋   東温市 井門敬之 

(評)「真っ直ぐな道」は作者の山頭火への思いであろう。一面のふるさとの麦秋を区切る道も真っ直ぐである。それは作者の望む生き方でもある。

白石司子・選
【特選】髭伸ばし逢いに来たぜよ山頭火 横須賀市 田口義明


(評)上五「髭伸ばし」は山頭火の姿をも髣髴とさせるが、作者自身の何かに対する疲労感からであろうか。そして、どうしても逢いたかった山頭火、また、訪れたかった終焉の「一草庵」。その思いが中七「逢いに来たぜよ」に集約されている。今の時代にあって、「ほんとうの自分の句」を作り、「ころり往生」した山頭火の生き方は、結果として理想的といえるかもしれない。

【入選】にゅうどう雲がまっている  松山市  堀口浩良


(評)夏の訪れを知らせる「にゅうどう雲」。十二音のつぶやきのようであるが、一句全
体からは、誰よりも夏の到来を心待ちにしている作者像が見えてくる。入道雲と共にあ
った、もう取り戻すことのできない夏であるが、山頭火の句「もりもり盛りあがる雲ヘ歩
む」という勇気も湧いてくる。


高橋正治・選
【特選】雨のやうな声柿の花    八幡浜市 都築まとむ

(評)内的な一瞬の間に印象された美を逃がしてはならない。
些細なものの中にある美を捉えることは真剣に生きている証である。

【入選】ときめいているから廻す白日傘    松山市 村上邦子

 (評)小さくとも幸福という姿。ときめきは心に美しい夢を与えてくれる、音楽が
  流れ、甘くて酸っぱい愛をもたらせてくれる。

本郷和子・選
【特選】ひきずる昭和蛍の夜    松山市 岩崎美世 

(評)作者はずっと昭和を生きてきて、平成の世にあっても「昭和」は、心の奥にずっしりと重く存在するのだ。良きにつけ悪しきにつけ、過去の時間は、作者の内面に色濃く影を落している。季語の「蛍の夜」によって、いっそうその想いが伝わってくる。

【入選】束縛のない淋しさよ遅日光   松山市 玉井淳子

(評)山頭火のような束縛のない生き方を、人々は願望するものである。しかし全く束縛の無いことは、生きる上で、ある淋しさと孤独感が付随するものであろう。「遅日」は春の季で、日の暮れなずむ頃の情景の中、言いようのない淋しさをうまく表現している。

熊野伸二・選
【特選】月に問い涙ぼろぼろ         松山市 堀口浩良 

(評)歳時記で「月」は秋の季語だが、自由律のこの句では季節は問わない。悩み、苦し
みを秘めた心で空を仰いだそこに美しい月があり、思わず世間に対して構えていたバ
リアが外れ、心に正直になって落涙する構図。本物の涙の雫ではなく、心象としての涙
であろう。

【入選】思春期の出口を探る桜桃忌    松山市 河野寿子

(評)「桜桃忌」は「走れメロス」「斜陽」「人間失格」などで知られる作家・太宰治の命日。太宰は、若いころから何度となく自殺・心中事件を繰り返し、最後には玉川上水で入水心中した。思春期の出口を探しきれなかった結果として見ると、この句の深さが解る。