今週の山頭火句

今週の山頭火句 すわれば風がある秋の雑草  山頭火

2012年7月26日木曜日

『第8回山頭火俳句ポスト賞』を発表します。

一草庵「山頭火俳句ポスト」に、24年3月1日~6月30日の間に投句された俳句を選者の先生に
選んでいただきました。      

俳句ポストに投句された俳句は165句。うち、県外句は46句、東京、広島、名古屋、大坂、埼玉、北海道、千葉、茨木、岐阜、兵庫、徳島、高知など全国各地からの投句ありました。
そして今回はじめて、外国人の投句が4句ありました。

 表彰式は、「一草庵・夏の子どもまつり(8月5日)の日」に行います。

山頭火俳句ポスト賞

As the sun set
the earth's shadow
took that mountain   
      tim sampson(カナダ カルガリー)

 (訳 夕焼ける地球の影があの山に)  

(評)地球上の同時間、地域によって、「sun set」があれば、「sun rise」もある。つまり、影があれば光もあるという、自然界の、また、人間界の営みの摂理を詠んだものとして捉えていいだろうか。
 今回、「山頭火俳句ポスト」に初めて英語俳句の投句があり、俳句の国際化と、日本語訳することの難しさをしみじみ感じた。内容のみでなく、日本語訳に無理がないということで、この句を選んだというのも本音である。(白石評)

小西昭夫・選

【特選】母の忌の牡丹ひだまりごと剪りぬ      岐阜市 若山千恵子

(評)お母様の忌日である。庭に咲いている一番美しい牡丹の花を供えた。その牡丹の花をあたためていた日溜りごと供えるのだ。山頭火のお母様への思いも同じものであっただろう。

【入選】さみだるる一草庵の昼灯           松山市 岩崎美世

(評)梅雨である。一草庵も昼の灯を灯しているが、他に訪ねる人もいないのだろう。
こんな五月雨の日の一草庵では山頭火と二人だけで語り合っているような気持になる。昼灯がいかにもさみしい。

白石司子・選

【特選】草庵に硝子歪(いびつ)や春の雲        松山市 竹内幸子

(評)中七「や」で切れているが、「歪」なのは、硝子ではなく、草庵の硝子に映っている春の雲、また作者の内面という捉え方もできる。「もりもりもりあがる雲へあゆむ」前向きな自分もいれば、「歪」と感じる自分もいる。
はっきりとした形を成すことの少ない、「春の雲の」ような流れゆく存在としての、自分という人間なのである。

【入選】雲がくれもいいなぁ牡丹くれないに       松山市 山之内シゲミ

(評)生きることと真っ向勝負することも大切だが、時として、山頭火のように「雲がくれ」することもいい。「いいなあ」の口語がまるで嘆息のよう。そして白ではなく、「くれなゐ」の牡丹という設定が、一句全体に倦怠感を漂わせる。

本郷和子・選

【特選】万緑を吸引河馬の大欠伸           松山市 西野周次

(評)動物園の河馬だろう、自分で餌を探すこともなく、さぞたいくつで大欠伸の一つも出るというもの。周囲は輝く緑があふれている。河馬の口が開くと、何もかも吸い込まれそうなほど大きい。その大口が万緑を吸引するかのようだと作者は発想した。
河馬の大欠伸が見えてくる。

【入選】新緑や今日とは違う明日がある       松山市 村上邦子

(評)新緑を見ていると、生きる力のようなエネルギーを感じる。人間は生きている日々、山あり谷あり、悲喜幾多の連続である。雨の止まない日はない、夜の明けない日はない。
今日とは違う明日は必ずやってくる。この句には、希望「や前進、活力のようなものを含んでいる。季語をうまく生かした一句であろう。

熊野伸二・選

【特選】 万緑を吸引河馬の大欠伸          松山市 西野周次

(評)「万緑」といえば「万緑の中や吾子の歯生えそむる 草田男」を想起する。昭和十四年のこの句で「万緑」が季語として現代俳句の中に定着したという。その万緑を丸呑みするほどの河馬の大欠伸。無機質で機械的な響きの「吸引」の語句も、滑稽味を増幅するのに効果的だ。

【入選】帰りなむ故郷は遠し桃の花          松山市 戸田幹雄 

(評)歌謡曲に、故郷へ「帰ろかな、帰るのよそうかな」「帰りたいけど、帰れない」という歌詞がある。そして「ふるさとは遠きにありて思ふもの」で、たとえ異土で乞食になっても帰る所には非じーという詩もある。どちらも「故郷忘じ難く候」である。その遠き故郷へ「いざ帰ろう」の決意をした。はんなり優しい桃の花を見るにつけてもーである。