今週の山頭火句

今週の山頭火句 旅のかきおき書きかへておく  山頭火

2020年7月31日金曜日

『鉢の子』第48号発行(山頭火の評論「芭蕉とチェーホフ」を発見!)

今日7月31日『鉢の子』の記事が、愛媛新聞で取り上げられる。
山頭火が東京時代「阿野合歓花」のペンネームで
書いたとみられる評論「芭蕉とチェーホフ」を発見。


  NHK松山放送局 8月17日(月)18:10~19:00の「ひめぽん!」
  で放送予定。理事長の藤岡照房さんが、取材をうけて語ります。

『鉢の子』第48号
 茂森唯士は、次のように「山頭火の横顔」を綴っています。
 山頭火を初めて知ったのは大正六年の夏、彼が熊本に転住してきて間もなくで、熊本の歌人仲間や五高の同行者たちと短歌会をやった時であった。・・・
歌つくりというより商店の番頭さんといった格好の風采のあまりあがらない男が出席していたが、それが山頭火であった。強度の近眼鏡をかけた特徴のある大きな眼が人なつこい中にどこか鋭い光をおびており、屈託のない大きな笑声をたてるのが印象的であった。
 大正八年の三月、私は五高の下級職員から文部省への転任の辞令を貰い、上京することとなり。山頭火と友枝寥平とで送別会を開いてくれた。・・・・
 二本松の石塘口の馴染みの料理屋に入った。気分満点の山頭火はカン高い明るい笑声をヒッキリなしにひびかせ、十八番の「桑名の殿様」を年増女中の三味線でうたった。その時山頭火の書いてくれた記念の歌が今だに私の記憶にのこっている。
  酔ひしれて路上にねむる一ときは安くもあらん起したまふな
 大正九年、山頭火は熊本の店と家族を捨てて突然上京してきた。ようやく東京市の水道局の事務員の口が見つかり、毎日弁当をもって丸の内に通い出した。・・・なにかしらの原稿料をかせぐために、私の勤め先で出していた経済雑誌に山頭火は「芭蕉とチェーホフ」という評論を書いたこともある。
 山頭火は早大文学時代からロシア文学を愛好していたが、トルストイやドストエフスキーよりも、どこかほのぼのとしたあたたかみの感ぜられるチェーホフが一番好きのようであった。