今週の山頭火句

今週の山頭火句 すわれば風がある秋の雑草  山頭火

2013年3月29日金曜日

『第10回山頭火俳句ポスト賞』の発表です。


『第10回山頭火俳句ポスト賞』を発表します。

(一草庵俳句ポストへの投句期間は、 24年11月1日~25年2月28日です。)  

一草庵の山頭火俳句ポストに投句された俳句は、124句(内、県外句の数は24句)。
東京都目黒区・練馬区、東京都昭島市、千葉富里市、横浜市、神奈川海老名市、京都市、京都長岡市・八幡市、大坂枚方市、岡山市、広島市、山口市、高松市、香川県直島、熊本市、福岡久留米市など全国各地からの投句より、各選者の先生に優秀句を選んでいただきました。
 表彰式は、4月28日(日)の公開句会「俳句一草庵」の会場で行います。


山頭火俳句ポスト賞

合掌をほどきて蓮の花弛む     松山市 西野周次

(評)蓮の花と聞いて、まず連想するのは仏教。仏像は蓮台に座り、日蓮は釈尊の悟りの世界が「妙法蓮華経」にあると説いた。その蓮の花の固い蕾を「合掌」と呼びその開花を「ほどく」と詠む。
蓮の花に仏教を感じての表現である。開いた蓮華のはんなりと匂う様子が目に浮かぶ。(熊野評)


小西昭夫・選

【特選】 お正月道行く人はみなきれい   松山市 竹田大聖(12歳)

 (評)新しい服やお気に入りの服を着て、新しい気持ちで迎えるお正月。
そんな正月の目出度さが見事に書き止められている。道行く人もそうだが、自分もきれいなのだ。「きれい」というのは、俳句ではタブーに近い言葉なのだが、童心の輝きがそれを上回っている。

【入選】 とんぼあわてている電車の中  山口市 河野恵子

 (評)おかしい。こういうことってあるよなあ。何輌もある電車ではなく、
一輌だけの市内電車の感じ。窓を開けて走っていた電車にとんぼが飛び込んできた。電車から出ようとするが出られない。乗客はみんな笑ってみている。「あわてて」の擬人化が見事成功している。

白石司子・選

【特選】 キューピーいつも手を挙げており春である  松山市 村上邦子

(評)キューピッドの絵を模したセルロイド製のおもちゃキューピーは、そういえば「いつも手を挙げて」いる。「いつも」だから、もちろん季節は関係ないのだが、作者は「春」を感じた、いや、「春である」と断定。そう、いつも我々が気付かずにいる、そんなささやかなところに「春」はあるのかもしれないと掲句を味わいつつ思った。

【入選】 お正月道行く人はみなきれい  松山市 竹田大聖(12歳)

(評)多様化する現代社会において伝統行事への関心が薄れつつあるが、「お正月」だからこそ、「道行く人はみなきれい」といった感性は大切にしてほしい。例えば、「道を行く人みなきれいお正月」などとすると説明的になるが、「お正月」を上五にもってきたことにより、独特の華やいだ景や、作者自身の新たなる思いなどが先ず伝わってきて、お正月に対する感動を一層深いものとしている。

本郷和子・選

【特選】 弱気一喝底冷の閻魔の目    東温市 井門敬之

(評)底冷えのする日、閻魔大王の絵か、何かを見たのだろう。
いろんなことがあって弱気になっていた作者は、閻魔大王の目に睨まれて、まるで「なにをくよくよしているのか“しっかりしろ”」と大声で一喝されたような気がしたのである。七・五・五で導入部を「弱気一喝」と強く言い切ったところがこの句を一層インパクトのあるものにした。この句を読んだ私も、思わず背筋をピンと伸ばしたものだ。

【入選】 ガラス越しに草庵のぞく春の旅  京都市 中村優江

(評)旅人が、一草庵へ立ち寄った。
 一草庵はだれも居ず戸も閉まっていた。ガラス越しに覗いて、当時の山頭火の生活を想像してみた。静寂な春のひととき、ガラス窓に春の陽が差し込む縁側で、山頭火が昼寝していそうな気もするのだ。
 「春の旅」がこの句をやさしく温かいものにしてとしている。

熊野伸二・選

【特選】 敗戦忌もう我儘にいきようか   松山市 佐藤トラエ

(評)さきの大戦で、日本では300万人が死亡、全国の都市が焼夷弾攻撃で焼け野原にされた。すべてを失った国民は、ストイックな生活を強いられた。そして迎えた何十回目かの敗戦忌。齢も重ねて後顧の憂いもない。「もう好きに生きたい」と思っても文句はあるまい。我儘でいいと思う。

【入選】 球根を植えて逢いたき人のこと  松山市 谷美枝子

(評)球根はチューリップかグラジオラスか、はたまたヒヤシンスか。とにかく花を咲かせようと球根を植える。植え終った安堵感にかぶせるように、ふと、その花から、ある人を連想し「逢いたい」と思う。それは異性である必要はない。花のように美しい人なのだろう。


俳句ポスト子ども賞
                      
 天とく寺さくらきれいにさくのかな    松山市  竹田亜那(9歳)

 (評)桜がまだ咲いていない頃、天徳寺へ来たのでしょう。
  大きな桜の木は、まだつぼみで、暖かくなったら、きっと満開に咲き満ち
  て、きれいな姿を見せてくれるだろうと、期待している様子がよくわかり
  ます。


 <コメント>
  お正月道行く人はみなきれい  竹田大聖
 昨年の嫌なことなど、みんな捨ててしまっているのでしょうか。
 目の前の、今の一瞬をとらえた中に、大きな世界が見えるようです。
 そんな理屈もない、純化された真っ新(さら)な心がきれい。
 まるで、山頭火が作ったような俳句です。

 今日3月29日の一草庵のスナップを紹介しておきます。
 可憐な山桜が満開でした。
  山頭火の句に、桜の句があります。

  さくらさくらさくさくらちるさくら  山頭火

  桜は、満開。
  目の前は、桜のはなびらで一杯。
  さくらの文字を4回も繰り返してリズムをとっている。
  咲くさくらと、散るさくら。
  ひらがな文字だけの表現がいい、白い裸のさくら姿を連想する。
  桜の舞う姿は、美しすぎる、その姿を詠った名句です。
  



護国神社参道の桜 3.31

2013年3月24日日曜日

いい日本みつけた <山頭火 ついのすみか>

いい日本みつけた(458号) 山頭火 ついのすみか

今日3月24日(日)産経新聞の「日曜スペシャル」に、一草庵の版画が紹介されている。田主誠さんの版画と文だ。
 庭の新緑がまぶしく、遠くに松山城が見える、…とあった。
田主さん、何回か松山に来ているらしい。一草庵の裏山、田主さんが命名した「山頭火やま」コト御幸山にも登られたそうだ。

                        


3月の初めには、
NPO法人の顧問をしてくれている村上護先生、俳誌「月の匣」を主宰している俳人水内慶太さん、編集人の祐森水香さん。
それと月見寺の住職加茂一行さん<この住職が「一茶・山頭火俳句大会」を推進されている>の訪問があった。
 第6回大会を、松山で開催しようというプランの打合せだ。

今年2013年は、小林一茶・生誕250年祭、栗田樗堂・没後200年祭がいろいろな処で企画されている。

 小林一茶は、尊敬する栗田樗堂を訪ねて、2度も松山を訪れている。
御存知のように、小林一茶を世に出したのは、荻原井泉水。
井泉水が主催する俳誌「層雲」で活躍し、松山を愛し死場所としたのが山頭火。
この縁(えにし)を思い、松山で全国俳句大会をしようという提案であった。

次のようにプランがまとまりました。
 
 ☆平成25年10月12日
   樗堂・一茶・山頭火吟行バスツアー
 ☆平成25年10月13日(会場:子規記念博物館予定)
   俳句シンポジウム「樗堂・一茶・山頭火の世界」
    パネリスト      金子兜太 村上護 松井忍
    コーディネーター  竹田美喜
 ☆平成25年10月13日(会場:子規記念博物館予定)
   「一茶・山頭火全国俳句大会」
   
 皆さま方のご参加とご協力をお願い致します。

   ※小林一茶 1763年5月5日生まれる。
           1827年11月19日 65歳没。
    栗田樗堂 1749年生まれる。
           1814年10月4日 66歳没。

石手寺・地蔵院於にて 加茂一行さん、水内慶太先生と祐森水香さん
うしろろは、山頭火句碑
 
 

2013年3月13日水曜日

留学生、一草庵で山頭火流に”こころすなほに”日本文化を堪能! 

「3月10日は、山頭火の日」
一草庵は、国際色で華やいだ。
午前中から、餅つきの音が、ペッタンコ、ペンタンコ…。

留学生、あんこ入りのお餅をつくっています。



今日の一草庵は、「茶室」に変身です。
床の間には、山頭火の「柿の会」のメンバーだった、広瀬無水がもっていたという山頭火の軸が飾られました。

   こころすなほに御飯がふいた  山頭火

留学生の皆さんは、お餅をついたり、着物をきてお茶席を楽しんだり、また山頭火の俳句を日本語で紹介し、自国語で感想を述べてくれました。一草庵で日本の文化を堪能してくれたようです。

「山頭火へのラブソディー」というイベント、山頭火さんにラブ・ソングを捧げました。
木城さんが、山頭火の妻サキノ役で、家庭人の目線で山頭火を語ってくれました。
「こころすなほに御飯がふいた」 アットホームな山頭火を感じたりもしました。

山頭火が唄ったという歌「赤城の子守唄」が、オカリナで演奏されました。

「赤城の子守唄」は、昭和9年2月に発売、歌手・東海林太郎の出世作。
山頭火の其中日記の、どこに紹介されているか調べてくださいとの宿題がでました。


私も、早速調べて見ました。

昭和10年8月25日 晴
山の鴉が窓ちかくやつてきて啼きさわぐ、赤城の子守唄をおもいだせとばかりに、―じつさい、おもいだして小声でうたつた、何とセンチなオヂイサン

 
昭和11年5月13日 晴―曇。
早朝出立
碓氷関所址、妙義の裏、霧義川の河鹿、松井田町(折からのラチ”オは赤城の子守唄だつた)



もう少し山頭火が唄っていた歌を探してみました。
みちのく鶴岡の層雲俳人・和田光利が語っている。
突然鶴岡の一流料亭新茶屋から電話が来た。
鶴岡きっての名妓をはべらせ、…三味にあわせ、野崎参りなど悠々と唄っていた。

♪野崎参りは 屋形船でまいろ…

 「野崎小唄」の作曲は、大村能章。「同期の桜」の曲も作っている。
山口県防府市出身、松崎小学校に通った、山頭火の後輩だ。
ふるさと思いの山頭火の愛唱歌は、「野崎小唄」ではないでしょうか。

※大村能章 (おおむらのうしょう) 1893年(明治26年)防府生まれ。中山晋平、古賀政男、江口夜詩とともに歌謡界の四天王と言われる約8000の曲を作曲する。







読売新聞、3月11日の取材記事です。