今週の山頭火句

今週の山頭火句 すわれば風がある秋の雑草  山頭火

2012年11月30日金曜日

『第9回山頭火俳句ポスト賞』の発表。


「山頭火俳句ポスト賞」の発表は、三津で!

『第9回山頭火俳句ポスト賞』決定発表します。
(投句期間 24年7月1日~24年10月31日)       

一草庵「山頭火俳句ポスト」に投句された俳句は143句。(内、県外句の数は55句、今回は台湾の人からの投句が12句ありました。)

東京杉並区・西東京市・八王子市、神奈川県海老名市、広島県広島市・呉市・福山市山口県山口市・下関市、名古屋、兵庫宝塚市・伊丹市、高知など全国各地からの投句より、各選者の先生に優秀句を選んでいただきました。

表彰式は、11月23日(祝)の俳句一草庵三津吟行句会の会場で行いました。




山頭火俳句ポスト賞

 鬼柚子の類い稀なる面構え   松山市 林弘子

(評)鬼柚子を初めて見た人はだれでも驚く。
 その柚子を「面構え」としたユーモア。
 それも「類い稀なる」と評した。鬼柚子の堂々たる形、色合いを句にするなど
 とても至難の技と思っていた。
 切れ味の良い句とは、このような句をいうのだろう。
 スパッと言ってのけた作者に脱帽。(本郷評)

小西昭夫・選

【特選】鬼柚子の類い稀なる面構え      松山市 林弘子

(評)おかしい。鬼柚子は中国が原産の文旦の仲間である。
 直径二十センチ、重さ1キロほどの黄色い果実になる。
 その果実の表面の凸凹が凄まじく鬼柚子の名が付いたことに納得するが、
 まさに「類い稀なる面構」である。言い得て妙である。

【入選】荷を解けば手紙にそえてどんぐりも    松山市 谷本君子

(評)故郷かあるいは仲のよい田舎暮らしの友人から小包が届いたのであろう。
 小包には秋の山野の恵みが詰っている。添えられた手紙には、
 どんぐりも入っている。その心遣いがうれしい。
 秋晴れのような気持ちのいい句である。

白石司子・選

【特選】秋雨や心の中の落し物     台湾高雄市義守大学 林子涵(19歳)

(評)古くからもの寂しいものとして詠まれてきた「秋雨」。
  そんな冷たい雨が降る中で、作者は自身と対峙し、これまでの人生の中で、
  うっかり気づかずに失ってきたさまざまなもの、つまり「心の中の落し物」に
  思いを馳せたのである。
 上五「や」で切れを明確にすることによって、季語の持つ本意・本情をうまく活用。
 一句全体からは、もの悲しさ・もの寂しさが漂う。

【入選】逡巡にだんまり決めし羽抜鳥  松山市 西野周次

(評)決断がつかない時、一体どうすればいいだろう。
 もしかしたら、多くを語るよりも無言でいる方が一番いいのかもしれない。
 そういうようにただ、「だんまりを決める」ほかのない「逡巡」であるが、
 「人間」ではなく、「羽抜鳥」を配したことがちょっぴり滑稽。
 まさに「おもうしろうてやがてかなしき」世界である。

本郷和子・選

【特選】一草忌二十人前の饂飩打つ     松山市 浅海好美

(評)山頭火が当時松山で親交のあった人々、数えてみれば二十人ぐらいになろうか、
 うどんの好きであった山頭火を思い、そしてその友人たちを思いつつ、
 うどんを打ったのであろう。優しい気持ちが表現され、出来たうどんは現在、
 作者の周辺にいる二十人の方々が召し上がったのであろうか。
 二十人が効いている。

【入選】秋雨や心の中の落し物    台湾高雄市 林子涵(19歳)

(評)心の中の落し物は一体何だろうか。
 多分、何か割り切れないもの、胸の内に溜まっているもの、
 言いたくても言えないもの。
 それとも遠い昔のなにかが心の中に潜んでいるのかも知れない。 
 季語の「秋雨」が、作者の心情にぴったりと合い静かな余韻を醸し出している。

熊野伸二・選

【特選】今日を越え明日をも超えて母の胸  西東京市 北谷隆策

(評)「今日」は、喜怒哀楽と雑事にまみれた現実。「明日」は有るや否や、
  あるいは幸か不幸か、不確実な未来である。そんな「今日と明日」を超越して、
 すべてを託せるのが母の胸だ。無季句だが、今日を捨身懸命の句作に生き、
 あてどない明日へ歩き続けて、最後に母の胸へ帰って行った山頭火を映している。

【入選】身の丈に合った暮らしや大根煮る   松山市 米山千秋

(評)人はとかく、外に対して自ら実体以上に飾りたてて見せたがる。
「虚勢」を張るのだ。心より金が幅を利かせ始めて、その傾向が強まった。
作者は虚飾を拝した暮らしをモットーとして、庶民生活の日常に登場する「大根を煮る」
行為をもって、身の丈に合った暮らしと納得している。

 一草庵・夏の子どもまつり俳句特別賞

 夏まつりでの投句38句より、優秀句を選びました。(熊野選)

【特選】 かき氷ぼくの脳天つきぬける        桑原小1年  瀬戸裕隆
入選】 はぎの花葉っぱが丸くてかわいいな    湯築小3年  越智朱音
【入選】 山頭火母を思ってたびをする        湯築小6年  西岡祐斗


<コメント>
  本年9月、一草庵でのフランス俳人との俳句交流で、
 山頭火の俳句が、世界に通じる俳句、俳人だなぁーと強く実感したものです。
 前回第8回の山頭火俳句ポスト賞は、カナダの人の俳句が山頭火俳句ポスト賞
 選ばれましたが、今回は、台湾の大学生、林子涵君の句が選ばれています。
 台北には、松山(しょうざん)空港があり、愛媛の松山には、松山空港があり、
 「松山」という同じ名前の縁で、直行便が飛ぶというニュースを聞いたことを思い出したが
 どのようになったのだろうか。
 台湾と俳句交流ができたらなぁーと思ったりした。

2012年11月27日火曜日

山頭火と歩くレトロ三津吟行句会 

 古い商家の残るレトロ三津の町を、
 山頭火に扮した山頭火案内人と歩いて、
 第7回の俳句一草庵を、エンジョイしました。
 雨を心配していましたが、少し朝に、しぐれただけで風情のある句会となりました。

山頭火の生きた昭和の初期の風景が残る三津の路地歩き。
 なまこ壁の残る大上家、大正時代の擬洋風建築の濱田医
 院、白壁の遠藤味噌醤油店、玉井畳店見学、鉄斎ゆかりの
 近藤家等を巡って、俳諧ゆかりの旧家・森家で句会を行いました。



俳諧ゆかりの商家・森家
2階段の銅版の緑青が美しい

会場の関係で、参加者は20名に限定。
 また時間の関係で投句数一人2句としました。
 互選の結果、次の句が優秀句として選ばれました。

      第7回俳句一草庵賞


<大賞>
      時雨来る気配格子戸軋む音      松山市 本郷和子

<副賞>
      呼べばすぐ応える渡し紅葉山     松山市 岩崎美世

<一浴一杯賞>
      畳針五寸じわりと冬深む        松山市 東麗子

小西昭夫・特選
      残る菊女子制服の指定店        松山市 白石かがり

白石司子・特選
      川やら海やら迷うて連理の枝の庭   松山市 高橋孝伯

本郷和子・特選
      路地ぬけてまた路地ぬけるしぐれ人 松山市 太田和博  

熊野伸二・特選
      三津の渡し風の欠片の冬とんび    松山市 三好まゆみ

 愛媛新聞の記者・伊藤さんが取材して、次のように紹介してくれました。


  翌日、三津浜クリエーターズの企画・路地裏賑わい仕掛け人「山野潤一さんと三津をめぐる会」
  に参加しました。NHKが取材にきていました。
  松山放送局が午後6時から放送している”いよ×イチ”で紹介するとのことでした。
  三津ファンが増えて、魅力ある三津の町が、早く尾道のような港町として、
  蘇えってくれると嬉しい。

2012年11月21日水曜日

「第7回俳句一草庵」                     

第7回俳句一草庵を、11月23日(金・祝)開催します。
「山頭火と歩こうレトロ三津吟行句会」です。

吟行コースを紹介しておきます。《事前調査の巻》
スタートは、伊予鉄・三津駅 13:30~。
山頭火も一緒に歩きます。

住吉橋を渡って、昔の商店街を港のほうへ進みます。
まずは、じゃこ天の美味しいお店「練や 正雪」さんに立ち寄ってみましょう。

「練や 正雪」さん

「ヨネヤ旗店」さんも素敵なお店です、残念、日曜、祝日は、お休みです。

「ヨネヤ旗店」さん
商店街を左に折れると、そこは、伝承・江戸時代といわれる「大上家」の白壁が見えてきます。
なまこ壁の残る大上家
今では、茅葺の屋根は、トタンで塞がれています。
つぎの角を右に折れます。
大正時代の洋館「濱田病院」が左手に意味深に建っています。
私の心を捉える好きな建物ですが、すっかり荒れ果てています。
ちょっぴり、札幌時計台のイメージを偲べます。
大正ロマンの残る濱田医院
裏には、和風の庭が残っているそうです。
この通りは、昔は医者町といわれた通りだそうです。

港のほうへ、進んでみましょう。
新しい三津浜図書館の前の「三木金物店の古い白壁の蔵」(明治13年頃)、何故かノスタルジーに浸ってしまいす。
三木金物店の古い白壁の蔵
もう一歩、港のほうへ進んでみましょう。「遠藤味噌醤油店」の長い白い蔵が続きます。
白壁の遠藤味噌醤油店
私の一番好きな三津の風景です。
この三津の路地をそぞろ歩きすると、自然な感じでレトロ倉敷の風景が飛び込んでくるのです。
そこを過ぎると、富岡鉄斎と親交が深く、そして鉄斎が名付けた「二名煮」の近藤家があります。

少しバックすると、三津で一番、風雅あふれる佇まいの初代三津町長・近藤貞次郎の隠居所「梶原家」が、優美な姿を今も残しています。

風雅な佇まいの「梶原家」
商店街の通りへ戻ってみましょう。
屋号「三庄」の名を持つ三津で最も古い船具屋「河野家」があります。
「河野家」の書院の欄間
この旧藤井町(現・三津2丁目)は、「がんばっていきましょい」の撮影舞台にもなったそうです。
江戸時代の商家「河野家」
もう少し、商店街を三津駅の方に戻ると、「辻井戸」の遺跡があります。
三津浜の御船手400戸分の水を確保するために掘られた井戸があります、訪ねてみましょう。
大原其戎宅の跡
海が近いため、真水がなく探し求めて掘った井戸だそうです、貴重な生活用水なのです。
港のほうへ向って、大原其戎居宅の跡を訪ねてみましょう。
正岡子規は書いています。
「余が俳諧の師は実は先生をもってはじめとす、しかして、今に至るまで他の師を得ず。」
芭蕉のあら株塚もあります。

  しぐるるや 田のあら株のくろむほど  芭蕉


 
それでは、重要文化財となっている木子七郎設計の
「石崎汽船本社ビル」を通過して、「鈴木家」を通って
今日の句会会場「鯛や 森家」へ向いましょう。
 句会予定開催時間(15:00~17:00)
森家は、三津の俳諧ゆかりの家で、森連翠、連甫が俳句を嗜み、河東碧梧桐も帰郷した時は、よく句会をしたそうです。


俳諧ゆかりの家「鯛や 森家」
時間があれば、近くの「三津の渡し」にのってみたらいかがでしょう。
歴史は古く、応仁の乱の始まったころから、三津、港山の間を渡し船で結んでいたそうです。
無料の公営渡し船ですよ、三津の風物詩を味わってみてください。

三津の渡し
以上、エトランゼ・池田由美著「三津の古建築ものがたり」に魅せられて企画した「レトロ三津吟行句会」の企画内容です。

 江戸から昭和のはじめの町並が残る三津の町。
俳諧・茶道を嗜んだ町民、文人墨客が集った三津の町。
松山市50万都市の身近にある港町、レトロのなかに新しさが息づく町に生まれ変わってほしい。
琵琶湖ほとりの黒壁の町スクウェア長浜のように蘇えらんことを。

 雨が心配の句会になりそうですが、参加する皆さんに三津の魅力を肌で感じていただければ嬉しい。


池田由美さん作成のルンルン気分の「三津散策まっぷ」
黒い線の部分を歩きます。

池田由美さんの本によると、ケンブリッジの町並みと同じように、やすらぎを与えてくれるという三津の町並みを約1年半かけて取材し、書き止めたノートが8冊以上なったそうです。
 三津の町に魅せられたその思いを、何とか形にしたいと思い、転勤先の熊本で3年の歳月をかけて完成されたのが、その著書「三津の古建築ものがたり」です。
 
このブログの内容は、ずべて池田さんのノウハウの紹介です。

2012年11月18日日曜日

一草庵での「日仏俳句交流DVD」できました。       ご覧ください!

素敵な一草庵での日仏俳句交流のDVD(2012.9.19 一草庵にて)ができました。

http://www.youtube.com/watch?v=YT13iblXRdo
 YouTube で見えるようにしました、ご覧下さい。


俳句の句会は、栗林公園で計画されていましたので、
一草庵では、俳句文化を味わってもらうこととしました。
DVDのタイトルは、

<日仏俳句交流>

松山や元気もらいて秋の旅  マルティンヌ
Oh ! Matsuyama
tes murs me rendent plus forte
voyage d'automne        Martine BRUGIÈRE

 ~俳句文化を味わう~

   Ⅰ.俳句を琵琶で味わう
   Ⅱ.俳句を書で味わう
   Ⅲ.俳句の句碑を拓本で味わう

身近に感じましたフランスの俳人たち

①琵琶の音色にあわせて
   山頭火の句「分け入つても分け入つても青い山」を、皆な一緒に朗詠。
   ローランさん、曹洞宗の禅を10年以上修業、その修業の衣で来庵です。

ローランさん

②松山で作られた俳句を、書にしたためていただきました。
   正座する姿勢も見事、筆を直立にたてて見事な書きっぷりでした。

3人の方が、半折に、こんな俳句を書いてくれました。

Un rideau de pluie

Je le regarde manger
Le moustique --       Laurent PAYEN

すだれ雨食べるの見てた蚊が僕を  ローラン・ペイアン

Cri de corneille...
au-delà des cimes
l'ombre de Matsuyama-jô   Minh-Triêt PHAM

鳥啼きて木陰の奥に松山城     ミン・ティルエ ファーム

Oh ! Matsuyama
tes murs me rendent plus forte
voyage d'automne        Martine BRUGIÈRE

松山や元気もらひて秋の旅     マルティンヌ・ブルジェール

マルティンヌさん、書家・石丸繁子先生の
強調したい文字を大きく、という指導をうけて
voyage(旅)の文字を大きく書かれました。
(マルティンヌさんの着ているドレス、ナデシコの花をデザインです、あとで知ってビックリしました。)

マルティンヌさん

最後に、山頭火の俳句を、フランス語で紹介してくれました。
そして、フランス語訳の「SANTOKA」の本を寄贈してくださいました。


 le chemin  tout droit  solitude

 まつすぐな道でさびしい 

 dans mon chapeau en bambou aussi une fuite? 

  笠も漏りだしたか

 sans maison I’automne est encore plus profond

 家を持たない秋がふかうなるばかり 

ミン・ティルエさん
 ciel d’automne au loin Santoka partage ta joie

 秋空はるかにうれしがる山頭火


「第3回山頭火検定」の試験問題です。<その11>

 検定問題にチャレンジしてみませんか。

問51 俳句の問題。(   )の中にはいる言葉はどれでしょう。(以下同問)

  春風の鉢の子(   )

  1 おいて   2 一つ   3 ぶらさげて

問52 (   )へしたしく萩の咲きそめてゐる

  1 墓    2 句碑  3 垣

問53 何を求める(  )の中ゆく

 1 すすき   2 嵐   3 風

問54 捨てきれない(   )のおもさまえうしろ

  1 浮世  2 身内   3 荷物

問55 おとは(   )か

   木の葉   2 しぐれ   3 水音

問56 踏みわける(   )よすすきよ

  1 葛  2 枯葉  3 萩

問57 春風の扉ひらけば(         )

  1 南無観世音  2 南無妙法蓮華経  3 南無阿弥陀仏

問58 濁れる(  )の流れつつ澄む

  1 夢   2 水    3 雲
問59 (  )雲がいそぐ

  1 流れる  2 白い  3 寒い

  問60 しぐれて(   )のいよいようつくしく

  1 柿の葉 2 すすき 3 紅葉の葉


 









解答はここをクリックしてください。[解答]

2012年11月12日月曜日

「第3回山頭火検定」の試験問題です。<その10>

検定問題にチャレンジしてみませんか。

問45 死後1年、昭和16年に建立された「鉄鉢の中へも霰」の句碑は、どこにありますか。

1 山口県防府市 
2 福岡県宗像市芦屋町  
3 愛媛県松山市一草庵





問46 昭和10(1935)年7月、乞食同然の姿で寺に辿り着いた山頭火を笛岡自照老師は、僧として認め、宿坊で5カ日を過ごさせました。
そこで次の3句を残しました。
永平寺講師・笛岡自照
「水音のたえずして御仏とあり」「てふてふひらひらいらかをこえた」「法堂あけはなつ明けはなたれている」 このお寺は、どこですか。

1 中尊寺  
2 宇治平等院  
3 永平寺

問47 山頭火は、ラフカディオ・ハーンが「怪談」で世界に紹介した十六日桜(孝子桜)の龍穏寺(松山市)を訪ねて俳句を詠んでいます。その句はどれですか。

1 すなほに咲いて白い花なり    
2 さくらさくらさくさくらちるさくら  
3 咲いて一りんほんに一りん 

問48 山頭火が「をなごまちのどかなつきあたりは山門」と詠んだ松山のお寺はどこですか。

1 石手寺
2 宝厳寺
3 太山寺

問49 正岡子規が「四国一の俳人」と賞賛し、小林一茶が2度にわたって訪ねた、松山俳諧中興の祖といわれている俳人は誰ですか。

1 栗田樗堂
2 奥平鶯居
3 内海淡海



問50 山頭火作でない句は、どれですか。

1 陽を吸ふ  
2 咳をしても一人 
3 おとはしぐれか










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「第3回山頭火検定」の試験問題です。<その9>

検定問題にチャレンジしてみませんか。

問41  昭和14(1939)年9月2日の日記によると、
 「私の念願は二つ、ただ二つある。ほんとうの自分の句を作りあげることがその一つ、そしてもう一つはころり○○である」といっています。もうひとつの山頭火の念願は何ですか。

1 天国
2 自殺 
3 往生

問42 山頭火の絶筆三句のうち一句を、次の句から選んでください。

1 焼かれて死ぬる蟲のにほひのかんばしく 
2 もりもり盛りあがる雲へあゆむ 
3 ほろほろ酔うて木の葉ふる








問43 「(  )供へて、母よ、わたくしもいただきまする」と母の四十七回忌に詠んでいます。その供えたものは何ですか。


1 うどん  
2 そば  
3 トマト








問44 海南新聞(現・愛媛新聞)は、昭和14(1939)年の10月4日、5日の二日間にわたり、「俳僧種田山頭火氏/瓢然俳都を訪問」と大々的に紹介します。四国霊場めぐりの旅を途中で中断し、松山に帰着し、終焉の地「一草庵」に12月15日に移り住みます。そして入庵の翌日16日に句会を開きます。その時つけた句会の名は何ですか。

1 しぐれ句会 
2 柿の会  
3 なぎの会
一草庵の木守柿

解答はここをクリックしてください。[解答]

2012年11月3日土曜日

山頭火の魂の言葉は、現代に生きている。

NHK松山放送局「しこく8」 11月2日(金)20:00~20:45 を見て…。
この現代社会へのメッセージ、なにかしら、ホロッと涙した。
全国放送されていない番組なので、ブログではうまく伝わらないと思うけれども、
情報発信させていただきます。



これは、山頭火の一句、死の一ケ月前に詠んだ
「濁れる川の流れつつ澄むの物語だった。
山頭火の濁った人生が、最後の四国の旅をして、自分の人生が澄んだと思える境地に達したというのだ。
 山頭火の俳句によって助けられたという全国各地の4人の人たちが登場する。
そして、山頭火の俳句は、リストラ・いじめのある、生き辛い現代社会を生きる人達の道しるべになっているのだと紹介される。
 私は、山頭火のことは少し勉強しているので、
現代人が山頭火の句によって、どのように救われたのかという処を紹介する。
 その一人は、僧侶。
 俳人山頭火の
  まつすぐな道でさみしい
 の句に人生を導かれた。
 僧侶になるという決まった道に抵抗を感じていたという。
  迷うからこそ、生きるのは難しい。自分の弱みをさらけ出して歩く山頭火の姿に見えないものが見えてきたという。正しい道をまっすぐ進むことこそ、難しい、そんな人間はいない。迷うからこそが人間なのだ。そして人間の弱さに向き合う僧侶になろうと決めたそうだ。

 ”人間の弱みを山頭火は知っている。自分の弱みをいつもさらけ出している。単にまっすぐに行っても、良いことではない。紆余曲折を経ていったところに、見えないものが見えてくることがある”という。

 その二。うつ病を経験して立ち直ったというサラリーマンの話。
  生死の中の雪ふりしきる

山頭火の句を詠んで、人生のどん底から救われた。
うつ病と医師に診断され、自分の生きている意味はあるのか、と自分に問う。
生きることに悩んで、あらゆることから、逃げ出したくなったという。
休職中、図書館で山頭火の句集を手にとる。
そして、この山頭火の句に引き込まれたというのだ。
山頭火も生きることに悩んでいるではないか、辛いのは自分だけではないと知る。
うつ病も、本来だれもが持っている苦しみと同じなんだと考えるのです。
”あらゆる動物、生死をかけて雪の降るしきるような道を歩んで行く。それが生きる唯一の方法なんだ。苦しみは、生物本来が持っている生きる苦しみと全く同じじゃないか、これで自分は救われると思って、ぼろぼろ泣いた”という。
 この不安が和らいで、半年後、職場に復帰したという。そして何事にもとらわれない生き方に多少近づけたという。

 だまつて今日の草鞋穿く

職場にゆくときが、辛い時もある。
そんな時、この山頭火の句が、背中を押してくれる。
サラリーマンとして、今日の仕事を始める、その一歩として、革靴を履く。
草履が革靴に変わっているけれども、今日一日頑張ってみようと思う。


(私にも、営業の仕事に変わった時、飛び込みセールをしなければならなくなった。
その時に、助けられた山頭火の俳句がある。
  柳ちるそこから乞ひはじめる         

 ※これまさに、仏の教えですね。6年間苦行して悟った、真理に目覚めたお釈迦様の言葉のようです。人生は苦しいもんだ、楽しいことは長続きしないのだ。
 老いも、若くありたい。病も、健康でありたい。死も、長生きしたい、とこだわるからこそ、「苦」になるという。生まれいるからこそ、必ず死ぬる、若さに執着するから苦しむという。
だから、こだわるなと教える。
 高いか安いか、これには実態はないのに、例えば一万円という条件で判断したりする、アフリカの難民からすると、裕福な日本の人を羨むことでしょう。大富豪はどうでしょうか。「苦」の構造は、理想と現実のズレから起るという。人生は「苦」から逃れられない、「苦」があるのは当たり前というのが釈迦の教え。「空」ように、からっぽになろうと教える、そんな話を思い出しました。
  生死=人生は、雪ふりしきる=「苦」の存在、そのものなのでしょうか。) 

その三。心を病んでいる母の介護を続ける人。
山頭火のお陰で、自分の人生を受け入れることができたという。
その一句が、山頭火の
  捨てきれない荷物のおもさまへうしろ


この句は、自分の人生を映し出した句だという。
自分の心の荷物をいくつもいくつも思い出す。
山頭火だって、こんなに悩んでいた、重い荷物を背負って山頭火さんも歩いている。
自分の荷物もちょっと軽くなって、自分も歩いていけるという気持ちになったという。
そして、四国遍路の旅をする。遍路して、歩いていると、すべてを忘れるともいう。


もりもりもりあがる雲へあゆむ
という山頭火の句が、心をささえてくれるという。
自分が求めるものは雲のように掴めないものかも知れない。
それでも、そこへ向って歩いていけばよいと信じているという。
”人それぞれ、いろいろな人生があるでしょ。これが私の人生、生き方だと受け入れていこう。
母と一緒に歩いて行こう”と思うとのこと。

その四。北海道旭川に住む左手の書道家。
26歳の時、脳梗塞を起こし、右半身が麻痺する。
その絶望を救ったのは、山頭火の句だった。

 この道しかない春の雪ふる

山頭火には、俳句しかなかったように、自分には書道しかないと気付いた。
左手があったことを山頭火さんが、自分に教えてくれたという。
 ふるかえらない道をいそぐ
辛かったことを、振りかえってもしょうがない、前を向いて道を歩くしかないと考えて、
生きがいの書道の道を続ける。

 最後に、竹中直人さんが。
57年の山頭火の生涯に、流れる人生をを重ねあわせた
 濁れる水の流れつつ澄む
山頭火について語り始める。

”濁れるということは、別に悪いことではないと思う。
濁っていない人は、つまらないと思う。
ちょっと、屈折したり、なんかイジケたり、人のことを何だあいつと思ってみたり、
でもそれが、人間らしいことであって。
繊細で、傷つきやすい、
でも、孤独が好きで
でも、淋しがり屋で
でも、人とかかわるとうっとおしいし
でも、やっぱり人に逢いたいし
そんないろいろな葛藤を自分の中で繰り返してきた人だと思う。
いろいろな想いが重なり合って、
濁って、それが、さぁーーと 何にもないっていう感じになった、という世界かな。”
そんな気持ちがするという。
<これこそ、道元禅師がいう、山頭火が求めた「身心脱落(しんじんだつらく)」の境地だろうか。)

 そして、すべてを受け入れて、あるがままに生きよう。
山頭火の魂の言葉は、現代に生き続けている、として、
山頭火は、松山の大街道商店街をうしろ姿で歩いていく。


観無量寿経に、南無阿弥陀仏と声を出して、十念を称すれば、
八十億劫の生死の罪が除かれるという、山頭火の一句を10回唱えれば、浄土に行けるのではないだろうか、考えすぎのようですね。!?

<補足>山頭火の享年について
     1940-1882=58歳、享年ということなので、
     お母さんの母体に命が宿ってた年からということで、
     一草庵では、享年59歳としています。