今週の山頭火句

今週の山頭火句 笠にとんぼをとまらせてあるく  山頭火

2009年10月1日木曜日

山頭火句碑序幕「秋晴れひよいと四国へわたつて来た」




昭和14年10月1日、山頭火は、終の住処を求めて、松山の高浜港に着きました。
その時に、作った俳句が句碑になりました。 ターナー島を守る会を中心とした高浜の皆さんの募金活動により、来松70年を記念して、10月1日松山・高浜港に山頭火の句碑ができました。







石は、高知産の抹香石 
高さ2M 幅 1、4M 厚み 0.6M
デザイナーは、松山の隅川雄二さん。
この石が彫ってくれといわんばかりに呼んだそうです。
山頭火が呼んだのでしょうか。

句碑の除幕式は、大変素晴らしいイベントとなりました。


山頭火さんのこの句碑は、何故 海の方を見ているのでしょう。
あの有名な俳句「分け入つても分け入つても青い山」の句があるように、山頭火さんは、山は好きだけれども、海嫌いではないかという人がいます。
生まれた防府は、周防の国の港町です。

9歳で母親が井戸に飛び込んで、自殺。はじめた酒造会社は倒産。
ふるさとから逃げてゆくのです。
そして山に、水に心の安らぎを求めるのです。
山頭火にとって、海はふるさと防府そのもの。
旅の果て、其中庵と山口・湯田温泉の風来居で過ごすのですが、住めなくなり、
終の住処を求めて、ひよいと松山にやってきて、
松山の人に愛されてこの地で亡くなるのです。

恋しい故郷には、とうとう立ち寄れませんでした。
ふるさとの海のある防府を通り過ぎて、四国へやって来るのです。
そこで、山頭火がいうのです。
故郷は、恋しいんだよと、この句碑を海に向かって建てて欲しいと。

ここに、子規が生まれて山頭火のなくなった街、松山に。
陸の玄関・松山駅に子規の句碑「春や昔 十五万石の城下かな」が、
そして、海の玄関・高浜港に「秋晴れひよいと四国へ渡って来た」
という山頭火の句碑ができました。