今週の山頭火句

今週の山頭火句 笠にとんぼをとまらせてあるく  山頭火

2011年6月11日土曜日

一草庵「今月の山頭火句」(6月)

分け入つても分け入つても青い山

山頭火の代表句と言えよう。解くすべもない迷いを背負っての歩行禅。それは、山頭火の時代も現代も人に課せられたものなのかもしれない。現代山頭火の句が認められるのはその故か、山頭火は本当の俳人である。(ちとせ)

 有名な山頭火旅立の句、旅の俳人としての代表作。(大正15年4月、43歳)
この句は、「層雲」大正15年11月号に発表、「層雲」から姿を消して、7年ぶりの復活第一作。
そして、山頭火は、<生>と<死>、<濁>と<澄>、<酒>と<水>の解くすべもない迷いを背負って行乞流転の旅を繰り返し、いのちをかけて句をつくり、昭和15年終の棲家・松山で無一物中無尽蔵のコロリ往生を果たす。 
(一草庵に遺品として残ったものは、鉄鉢一つとひしゃげた煙管一つ。) 

この句は自由律というより、定型に近い破調の句といっていい。深い緑の中へ溺れこんでいくような、あるいは没入するかの律動感がある、「万緑」という季語を持ち出して策を表しても及ぶものではないと、俳人・青柳志解樹氏はいう。
季語がなくても、季語をつかっている以上に、夏の万緑の世界を歌い尽くしている。
また歌人・市原克敏氏は、
(からだが)分け入つても
(こころが)分け入つても 青い山
「分け入つても」という述語はリフレインの形態を取るが、隠れた主語は別のものである。(中略)
驚くべき仕掛けである ー 単なるリズムのためのリフレインでない。隠れた二つの主語を喚起しつつ、リフレインが心身一如を一句に現成している。
隠れた主語こそ山頭火のリフレインの秘密である、という。
この音楽的な響き、このリズムのよろしさこそが、山頭火俳句の決め球なり。
早稲田の二年後輩 、若山牧水の
「幾山河こえさりゆかば 寂しさのはてなむ国ぞ けふも旅ゆく」の歌に太刀打ちできるのは、
この山頭火の句しかない。高千穂峡に、二人の歌碑は建つ。

山頭火は、大正5年33歳で「層雲」の選者になる。
「私は最早印象だけでは - 単に印象を印象として表白することだけでは満足することができなくなりました。」俳句は「印象に即して印象の奥を探り、そこに秘められた或るものを暗示する象徴詩でなければならないのである」とする(山頭火、俳句に於ける象徴的表現)。
この考えは変わらないようだ。亡くなる前の一草庵日記(昭和15年10月3日)にも、私の俳句性は、印象の象徴化にあると記している。



一草庵にあじさいが咲きはじめました。

山頭火の句には、水の句、花や草の句、ふるさとの句が沢山ある。ふるさとは生地の防府を直接指してはいない。「青い山」の句を大山澄太さんは、矢部町から高千穂峡への山越えの道といっているが、それは山頭火にとっては高千穂峡である必要はないようだ。人それぞれに富士山でも、大山でも、石鎚山でも、裏山でも、スイスのアルプスでもいいように思えてくる。
そんなふうに考えているとこの「青い山」は自然の山河ではなく、混沌とした現代社会の迷路のようにも思えてくる。
あなたの「青い山」は何でしょう!

一草庵を訪れる人の中には、外国からの人も多い。山頭火の句の英訳を紹介しておきたい。
 passaing through passing through yet still green mountains   宮下恵美子

一草庵を訪れたリディア・ラズマスさん、子規よりも山頭火が好きというアメリカ在住のポーランドの人、墨絵をよくする。ある人を通じてその著「霰(Hailstones)」が寄贈された。
このように訳されていた。
 going deeper and still deeper - the green mountains   ジョン・スティーブンス

愛媛の愛南町僧都に住んでいたアイザクソンさん、子規の俳句を英訳した「牡丹かな」を著作。
その妻繁子さんは、山頭火の句をつぎのように訳している。
 one enters and enters, but still green mountains

※ 分け入つても分け入つても青い山 の山頭火の句は、全国の中学生の教科書に紹介されているようで、質問があったので、追記しておく。

 焼き捨てゝ日記の灰のこれだけか  いままでの日記を人吉で焼き捨てているので、
大正十五年に作った「青い山」の場所は、特定できない。

 木村緑平に宛てた山頭火のハガキに、「六月十七日浜町、二十二日滝下」とある。
 「滝下」という地名をもって、山頭火の行脚道を推察した人がいる。
 山頭火は日向路入りで、馬見原-三ケ所-津花峠-押方-高千穂三田井の順で行脚を続けて
 滝下にくだったのではないだろうかと。(山口保明著 日向路の山頭火)

 山頭火の青い山の句は、宮崎の津花峠での作句のようである。

池田遥邨描く「分け入つても分け入つても青い山」の絵をよくよく見ていると、
この場所へいって描いたのではないだろうかと思えてくる。