今週の山頭火句

今週の山頭火句 この木もあの木もうつくしい若葉  山頭火

2011年12月27日火曜日

探墓・伊予吉田3万石を訪ねて

山頭火と探墓
山頭火は、敬慕し心から話したい人に会いに行っている。
お墓を探して話しかけるのだった。
 井上井月であり、尾崎放哉であり、野村朱鱗洞だった。

残り少ない本年を回顧して、
琵琶謡「俳人山頭火」の作曲者・佐竹(田村)旭都さんへの報告とお礼をしておかなければと思い
26日午後、宇和島・吉田の臨済宗妙心寺派の海蔵寺へ向かった。
(佐竹旭都さんの命日は、平成3年12月26日、
 作詞者・大山澄太さんは平成6年9月26日が命日、墓参済み。)
午後3時吉田到着。
都さんの娘さん・渡辺萬里子さんご夫婦が、突然の訪問であったがやさしく丁寧に案内してくれた。
                 http://www.youtube.com/watch?v=F5JPI07khaU
佐竹家のお墓は、苔むした古い由緒のあるお墓だった。
琵琶コンサートの報告はしたのだが、山頭火の酒「一浴一杯」、琵琶コンサートのDVDを飾ろうと思っていたのにお墓に飾るのをすっかりと忘れてしまっていた。
いろいろと思い出ができたので、少し紹介させていただきます。

JR予讃線の線路を渡ると、すぐの処、山ふところに海蔵寺はあった。
山門をくぐったところには、「念ずれば花ひらく」の坂村真民さんの碑がある。
佐竹英一作・聖観音
吉田高校、三瓶高校で永く教職ととられていたからだと思った。
真民さんは、両校の校歌の作詞をしている。
萬里子さんが、お寺の中にある聖観音像を紹介してくれた。
久万の古岩屋の不動明王を彫った佐竹英一さんの作品だった。
家にあった作品をお寺に奉納、県展の審査員もされていたお父さんの作品だそうだ、まことに素晴らしい。

このお寺には、忘れられた人、村井保固(やすかた)のお墓があった。
忘れてはいけない人だということを教わった。
福沢諭吉に教えを受け森村財閥に入り、日本陶器会社(ノリタケ、大倉陶苑、東陶などの母胎の会社)の設立と発展に尽くした人。
慶応大学で同期に、犬養毅、尾崎行雄、毎日新聞を大きくした本山彦一がいる。日米貿易のパイオニアとなり、戦前に太平洋を90回も横断したという。アメリカ人のキャロライン夫人と国際結婚をして生涯添い遂げ、昭和11年83歳で亡くなっている。
事業で得た金を惜しげもなく郷里の吉田の教育事業に寄付。私財を投じて、村井幼稚園、吉田病院、吉田中学(現吉田高校)、図書館を設立、郷土の教育・福祉に貢献したそうだ。
海蔵寺
それ以外にも、いろいろな話を伺った。
大河ドラマ「坂の上の雲」も終わったが、吉田にも関わった人がいた。
秋山真之が亡くなったのは最後に世話をした旧友・山下亀三郎の別邸・対潮閣だった。
山下亀三郎は、吉田出身の山下汽船を創業した人、横浜には彼が寄贈した山下公園がある。
また、連合艦隊旗艦「三笠」の解体廃棄を救ったのは、吉田出身の芝染太郎さん。
水引地蔵
ジャパンタイムズの社長をし、「三笠を残せ」という記事を書き、「三笠」保存を米・英・仏・伊の了解を取り付け、世界的世論とした。財団法人三笠保存会が大正14年9月1日発足。大正15年、全長132メートル、幅23メートル排水量1万514トンの三笠は改装を終え、横須賀白浜海岸に固定された。
芝さんがいなければ、旗艦「三笠」の今の姿はなかったのだ。

吉田訪問の帰りに、以前に行ったことのある臨済宗修行道場の「大乗寺」立ち寄ってみたいと考えていた。
ご夫妻が車で連れて行ってくれ、素敵なガイドをしてくださった。
山門の右には格調高い「水引地蔵」さんがいた。干ばつに苦しむ村の田んぼに一夜にして水を引いて農民を救ったというお地蔵さん。

家にあった大乗寺住職・沢井進堂さんの掛軸を持参していた。
室号・宝林コト進堂住職が、京都の職人に作らせた表千家茶室と庭園の外観を拝見した。恐らく愛媛県下一の茶室庭園ではないだろうか。
大乗寺の歴代住職、足利紫山、河野宗寛、沢井進堂、それぞれ魅力のある禅僧のようです。
樅の木は残った=「伊達騒動」で吉田藩お預となった伊達兵部一族の墓、
東洋城の一番弟子俳人・岡田燕子のお墓へも案内してくれました。

伊達兵部一族の墓

名刹・大乗寺
脱線したような気もしますが、山頭火さんのお使いで、吉田へお礼の報告に行ったのです。
吉田の町は伊達藩の分家として作られた3万石の陣屋町、300年の昔が残る美しい町でした。
(来年2012年には、高速道路延長を記念して「えひめ南予いやし博」が開催されるそうだ。)

もう一つ今年中にやって置きたいことが残っていた。
俳誌「暁」に載った俳句
   雪迎えあなた恋うればすいっと飛ぶ  美世
の句を読んだエッセイに紹介されていた宮本輝の「約束の冬」を読んでしまうこと。
「空を飛ぶ蜘蛛を見たことがありますか?」
少年が手紙を渡して走り去ったところから、物語ははじまります。
そして、今こんな所を読んでいます。
「どうも日本の男どもってのは、ある年齢を経ると、源氏より平家のほうへ行くそうですね」
と桂二郎は翠英に言った。
「そうですはね。平家物語、徒然草、西行、奥の細道、山頭火……」