今週の山頭火句

今週の山頭火句 旅のかきおき書きかへておく  山頭火

2011年12月16日金曜日

座談会「俳句一草庵」をしました。

12月15日は、山頭火一草庵への入庵日。
「俳句一草庵」の選者の先生方に集まっていただき、「俳句座談会」をしました。
これは、「一草庵だより」新年号の企画、その内容は20号に掲載されます。

その前に一言、「一草庵の名の由来」について。
「一草庵」という名前は、いつ名付けたのかというお話がありました。
昭和15年の「層雲」3月号の高橋一洵氏の話によると、「庵のそばには四国で三本しかないという大きな梛(なぎ)の樹が茂っていたので、「梛の庵」というにふさわしいと思っていたようであると。
そして、句会について、昭和15年1月6日第一回の「柿の会」例会を「なぎの庵」で開催したと書き加えています。
山頭火自身は、山口県の湯田温泉の風来居から、やってきたので、入庵日12月15日の日記には、新”風来居の記”と書いています。
 昭和十五年二月十四日の山頭火日記。
  「九時ごろ出かける、古町まで歩いて、そこから電車で高浜へ、澄太君を迎へるために、待つ間、しみじみ海を眺めた。…」
  道後の八重垣旅館に泊まっている大山澄太を一洵、政一と一緒に訪ねます。
しっくりいかない庵の名前の話になります。
「一草一人一日一合日々是好日」と澄太は書をかき、一草庵と名付けてはどうかと提案。
山頭火も「老いてはとかく物に倦みやすく、一人一草の簡素で事足る」とその名を気に入った。

そして、記録に残る資料としては、
2月15日、山部木郎へ
春がそこまで窓のさくら草
 是非、松山の一草庵に山頭火を訪ね下さい、お大切に」と葉書を出しています。
 
海南新聞(現・愛媛新聞)には、
「層雲派松山支部『柿の会』第二回句会を二月十八日御幸一草庵なる山頭火師宅に開催した。…」の記録が残っています。
 以上のことにより、一草庵の名は、昭和15年2月14日に名付けられたと推定されます。
(「其中庵」の名前は、嬉野温泉、川棚温泉で庵を見つけようとした時、すでに庵の名前は決めていたようです。)

それでは、今までに選ばれた俳句大賞を紹介してみましょう。

 第1回俳句一草庵大賞(2009.11.29)
     カラコロと草庵に行く冬日和     大山光子
 
 第2回俳句一草庵大賞(2010.4.29)
     家よりの一歩を春の旅となす    村上邦子
 
 第3回俳句一草庵大賞(2010.11.23)
     空がまぶしい大銀杏         東 隆美
 
 第4回俳句一草庵大賞(2011.4.29)
     野良猫が春の扉を開けて来る   安 悦子
 
 第5回俳句一草庵大賞(2011.11.23)
     檄が飛ぶ銀杏並木の校庭に    山下清治
 
 第1回山頭火俳句ポスト大賞(投句期間 2009.11.29~2010.2.28)
     山頭火の眼鏡まんまる冬ぬくし  小原恵美子
 
 第2回山頭火俳句ポスト大賞(投句期間 2010.3.1~6.30)
     玄関に筍ごろりあるじ留守     小山安義
 
 第3回山頭火俳句ポスト大賞(投句期間 2010.7.1~10.31)
     山頭火なして酒飲む前に生柿食べなかったか   田中清子
 
 第4回山頭火俳句ポスト大賞(投句期間 2010.11.1~2011.2,28)
     三寒四温平和通一丁目       浅海好美

 第5回山頭火俳句ポスト大賞(投句期間 2011.3.1~6.30)
     奔放に脱ぎし庵の今年竹      郷田喜久江

  第6回山頭火俳句ポスト大賞(投句期間 2011.7.1~10.31)
     泥酔も母の位牌もしぐれおり    水澤 弘之
 
こんなお話が記憶に残っています。
※山頭火の俳句は、七、七音のバリエーションの句が多い。
  うしろすがたの しぐれてゆくか
  こころすなほに 御飯がふいた のように、
  山頭火の俳句をまねするようなまがい物でも困る。
※山頭火については、自由律俳句が好きという人より、その生き方に魅力を感じる人のほうが多いように思える。
※山頭火の俳句は、自由律といいながら、短歌的な表現をした境涯俳句のように思える。
※私にとっての俳句は、自己表現できる唯一のものなので、継続的に参加していきたい。
   継続していくことで、俳句のまこと、新しい俳句が生まれてくる。
※伯方高校の阿部君が作った入選句「原罪というべきか少年と薔薇は」が印象的だった。
 自分と違った発見がある、新しい発見が楽しみである。