「濁れる水の流れつつ澄む」が、諦観も未練も突きぬけた名言として紹介されている。
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読売新聞・日曜版「名言巡礼」の一部 |
ころり往生を念願した山頭火、松山市の道後温泉に近い高台に「一草庵」を結ぶ。
死を見つめる静かな余生であるはずが、方々へ金を無心し、酔いつぶれては昏倒し、支援者宅で
寝小便をする…。相変わらずどうしようもない。
そのどうしようもなさに懊悩(おうのう)し続けた最後の最後、庵のそばを流れる川に清澄を思った軽みが、たまらなく尊い、と宇佐美伸さんは綴ってくれた。
(永平寺の道元禅師も山頭火<=一応、曹洞宗の僧侶なり>をそのように諦観してくれたのではないだろうかと、ふと考えさせてくれる達意の文章ですね。)
新聞の写真は、一草庵での現代版「山頭火句会」の様子をカメラマン・田中秀敏さんが撮ってくれている。フォト俳句のようでもある。小さな豆電球の灯りも、暗闇の上に広がる青い空にもすこぶる澄んだ明るさを感じてしまう。
出だしの文章は、ミュシュランガイドで三つ星をとっている東京・銀座の「鮨 すきやばし次郎」さんのお話だった。…「おやじの握りは大ぶりで重いけど、軽い」 7歳で親と生き別れて奉公に出て以来、辛酸を重ね世界最高齢の三つ星職人の辿り着いた末の軽やかさ。
それは放浪の俳人、種田山頭火が最晩年に詠んだ句の印象そのものだ。
いろいろなことが頭に浮かんできた。
山頭火が尊敬する俳人芭蕉も「不易流行」を唱え、その心を重みの中にある「軽み」に求めた。
高きを悟って俗に還るべしと。
また、ダダイズム詩人・高橋新吉の文章を思い出す。
芭蕉よりも山頭火の句がよいとテレビでしゃべっていたので、山頭火展にいったが失望したと。
同じような句を沢山書いている中に、よい書が一つくらいはある。その中でも「淡如水」の字はなかなかよかったと書かれていたように記憶する。
一草庵の句碑 |
「流れる水」を象徴して、山頭火は何を表現したのであろうか。その解釈は人それぞれだろう。
破壊型人間の山頭火は、裸で世の中を歩き、反社会的な愚行も多かったが、反省し懺悔する心は深かった。そして水は私を清浄にするといって、「淡如水」の書をしたためている。
山頭火の書「淡如水」 |
<追記>2012.6.26
読売新聞愛媛版では、日曜版の第2面が省略されています。
東京版が届きました。
斎藤ヨーコさんの素敵なイラストマップ「種田山頭火と松山」が掲載されていましたので、紹介します。
また、読売オンラインの名言巡礼「濁れる水の流れつつ澄む」紹介の動画がありました(約3分)。
田中秀敏さんが撮影したものです。山頭火の愛した松山、一草庵のこと、蛍句会の様子もほほえましく紹介してくれています。最初の画面、石手寺のお線香の煙に思わず吸い込まれてしまいました。ご覧ください。
http://www.yomiuri.co.jp/stream/sp/meigen/meigen13.htm