今週の山頭火句

今週の山頭火句 旅のかきおき書きかへておく  山頭火

2013年5月11日土曜日

山折哲雄さんの「山頭火の行乞」の話に刺激されて!

道後館25周年・第2弾の山折哲雄さんのギャラリートークに参加した。

一草庵にて
 トークの始まる前に、一草庵に立ち寄ってくれた。いろいろとお話することはできたけれど、後でと思った質問は、チャンスを失ってしまった。
一草庵もすっかりとモダンになりましたねとのことでした。
 山折さんは、東北は花巻の出身で、実家は浄土真宗のお寺、宮沢賢治の家とも近く、妹トシさんは、賢治によく似ていたとも話をされた。

印象に残ったお話を紹介してみます。
放浪している山頭火の日記を読むと、
山頭火は、「行乞相」と「所得」という2つの側面を見つめている。
今日の自分の行乞姿はよかったが、あがりは悪い、また、所得はよかったが、行乞相はよくないとも書く。
これはタダものではない、名僧・高僧の域に立っていると思ったそうです。
乞食(こつじき)という修業は、誰にでもできるが、乞食(こじき)はできない。
乞食(こじき)を尊敬する人はいないでしょう。差別・軽べつ、まなざしが厳しい。
乞食(こじき)の境涯を生きるのは、誰にでもできないことです。


刺激を受けて、家に帰ってから山頭火の日記「行乞記」を読んでみようと思った。
本には、線が一杯ひかれていた。好きな俳句や言葉を見つけてはスペースに走り書きを沢山している。
山頭火が、井泉水著「旅人芭蕉」を読んでいたように、私の旅の友は山頭火行乞記「あの山越えて」だった。本の題名「あの山越えて」は、あの大山澄太さんが、行乞記に名付けた題名。
出版社から、行乞記では一般の人に通じないのでというので、
 ほととぎすあすはあの山越えて行こう の句から題名をとったそうだ。

 行乞相はよかった、風のやうだつた(所得はダメ)
省みて、供養をうける資格がない(応供に値するものは阿羅漢以上である)、
拒まれるのが当然である。これだけの諦観を持して行乞すれば、行乞が修行となる、忍辱は仏弟子たるものゝ守らなければならない道である、踏みつけられて土は固まるのだ、うたれたゝかれて人間はできあがる。(山頭火の日記)

そしてこんなことも、日記に書いている
『徒歩禅について』といふような小論が書けそうだが、徒歩禅か、徒労禅か、有か無か、是か非か。
今夜は水がのみたいのに、のみにゆくことが出来ないので、水をのんだ夢ばかりみた。

昭和五年十一月三日
…今日の行乞相はたしかに及第だ。乞食坊主としてのすなおさほこりを持ちつゞけることが出来た。勿論、さういうものが残ってゐるほど第二義的であることは免れないけれど。

昭和五年十一月七日
今日の行乞相も及第はたしかだ、行乞相がいゝとかわるいとかといふのは行乞者が被行乞者に勝つか負けるかによる、いひかえれば、心が境にために動かされるか動かされないかによる、隋処為主の心境に近いか遠いかによる(その心境になきることは到底望めない。凡夫のあさましさだ、同時に凡夫によさだ、ともいへよう)。…

旅のエピソードが日記にのっている。

行乞漫談の材料が二つあつた。或るカフェーに立つ、女給二三人ふざけてゐてとりあはない、いつもなら直ぐに去るのだけれど、ここでひとつ根くらべやるつもりで、まあ、ユーモラスな気分で観音経を読誦しつゞけた、半分ばかり読誦したとき、彼女の一人が出て来て一銭銅貨を鉄鉢に入れやうとするのを、『ありがとう』といつて受けないで『もういたゞいたもおなじですから、それは君にチップとしてあげませう』といつたら、笑つてくれた、私も笑った。少々嫌味だけれど、ナンセンスの一シーンとしてはどうだらうか。
 もう一つの話は、お寺詣りのおばあさんが、行きずりに二銭下さつた。見るとその一つは黒つぽくなつた五銭の旧白銅貨である、呼びとめてお返しするとおばあさんは喜んで外の一銭銅貨を二つ下さつた、彼女も嬉しそうだつた。私も嬉しかつた。

昭和七年一月九日
「…今日の行乞相はよかったけれど、それでも時々よくなかった、隋流去
その体現までいかなければ駄目だ。…」

山頭火のいう「隋流去(ずいりゅうこ)」とは?
正法眼蔵に出てくる言葉です。
道元が中国の僧・大梅禅師の得を讃えて、紹介している。
杖になる木を探しに、山に入って道に迷った修行僧が、禅師に聞く。
「山も抜けるには、どちらに行ったらよいでしょうか」
師いはく 隋流去
<流れに随って去(ゆ)きなさい。
 川にそって行けば、山を抜けられる。
 流れに逆らわず歩いていきなさい。>

流れの中に、いかに生きるか。
鴨長明や吉田兼好は、「庵」に生き、山頭火は旅に出て「行乞行脚」した。
“水の流れるような自然さ、風の吹くような自由さ”を求めて放浪する
  風の中おのれを責めつつ歩く
  ホイトウと呼ばれる村のしぐれかな
  みんなかへる家はあるゆうべのゆきき
  どこでも死ねるからだで春風
山頭火をいとおしく思った。
山頭火の日記には、「禅語」が登場する。
山頭火はだゝの酒飲みの俳人ではなかった。

 バタバタしていたのに、嫌な顔ひとすせず、山折先生は色紙を書いてくれた。
あゝ忘れていた、お酒がとっても好きだとのこと、山頭火道後の酒「一浴一杯」を紹介しておいた。

愛媛新聞の取材記事を紹介しておきます。
「第8回俳句一草庵」で選ばれた俳句も紹介してくれました。