今週の山頭火句

今週の山頭火句 朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし 山頭火

2018年5月7日月曜日

『第13回俳句一草庵』で選ばれた俳句!



 4月29日山頭火終焉の地の一草庵での公開俳句大会で選ばれた俳句です。

『第13回俳句一草庵賞』
(開催日 平成30年4月29日)


俳句一草庵大賞
うららかにまだ九十と答えけり    松山市 丹下ひろし        
松山市文化協会会長賞 
佐保姫やしまなみ海道突っ走る    松山市 太田辰砂      
山頭火一浴一杯賞(水口酒造協賛)
とめどなき愚痴とめどなき飛花落花    松山市 岩崎美世  
山頭火柿しぐれ賞(白石本舗協賛)
ふらここを跳んで降りる子真似する子    松山市 大川忠男
村上護記念賞(水内慶太選)
海市より熊野伸二といふ漢      千葉県市川市 執行 香
  俳句に於いて固有名詞、ことに人名は広く深い。「熊野伸二」さんは、放浪の俳人種田山頭火が晩年の三七七日を過ごした一草庵を拠点に発信する、「NPO法人まつやま山頭火倶楽部」の理事長として、一草庵に松山に俳句愛好家を案内し山頭火の顕彰活動にかかわった。定住に根を下ろした漂泊の詩人種田山頭火を世に送り出した、ベストセラー『放浪の俳人山頭火』は著者村上護の名著だ。いわゆる放浪の俳人山頭火を語るに、村上護そして熊野伸二は欠くべからざる二人である。改めて「海市」すなわち蜃気楼が生み出した、漢たちといえる。





《水内慶太選》
一般の部特選
ホーキング帰天春塵宇宙塵   伊予郡松前町 櫻 疑落差
  宇宙物理学者のスティーブン・ホーキング博士が、この三月に亡くなった。ホーキングは二一歳のとき、運動ニューロン疾患と診断された。これは筋萎縮性側索硬化症(ALS)で、余命数年と宣告された。その後五〇年以上たった今、世界最先端の物理学者であり、ブラックホール研究者として、『ホーキング、宇宙を語る』の著者をもっている。ホーキングが天国に召されるとき、「春塵」のみならず「宇宙塵」まで身に纏っていることだろう。       

一般の部入選
 軽口を巻き込んでゐるキャベツかな   松山市 今岡美喜子
  キャベツの芯を抱くように、巻き込むように育んでゆく。「軽口」の反対「口重」だが、口重は訥弁ともいえ、話し方がつかえたりして、なめらかでないこと。いっぽう「軽口」は語調が軽快で、滑稽めいて面白味のあることであり、「キャベツ」が「軽口を巻き込む」とは春の本意に敵う。明るく楽しい句といえる。

高校の部・特選
春の月カバのもったりした浮力   松山東高等学校 中山寛太 
「春の月」は朧の月とも考えられる。「春」の水気を湛えて漂う「月」のごとし。月下の一水のカバの「もったり」感は、大きな浮力を生む。月の満ち干、月の引力は見えないものを見させてくれる。あの大きな重い「カバ」を水中では「もったりと」浮かべている。「春の月」の朧が、そう思わせてくれる。
      
高校の部入選
 戦場の赤子の命春夕焼け      飛騨神岡高等高校 小木曽 都
  最近のきな臭さは、時事俳句の趣が漂ってくる。画像や言葉に氾濫する視覚・聴覚から、作者は実感したのだろう。痛ましい思いが「夕焼け」からひしひしと及んでくる。こういう時事俳句はシンパシーが大事だ。   

《小西昭夫選》
一般の部・特選
 捨てて拾ふ              松山市 堀口路傍
  年を重ねると、「いかに捨てるか」ということが大きな課題になる。しかし、捨てようとして捨てられないのが人間でもある。一度捨てたものを又拾ってしまったりする。捨てきれないのだ。そんな人間の業を上手く詠んでいる。碧梧桐の「桜活けた花屑の中から一枝拾ふ」や山頭火の「捨てきれない荷物の重さ前うしろ」の句などが自然と思い浮かんだ。

 一般の部・入選
  チューリップ新入生の不安顔  松山市 亀岡修士(小学4年)
  チューリップという花は、細見綾子の「チューリップ喜びだけを持つてゐる」の句のように、喜びや希望を読むことが多い。ところが、この句はチューリップで新入生の不安を詠んでいる。そこが出色だ。とは言え、その不安がやがて喜びに代わるだろうこともチューリップが暗示している。

高校の部・特選
  ぶらんこの宇宙へまっすぐに届く  松山東高等学校 三瀬未悠
  ぶらんこに乗っていると、自分にも翼があるような気持ちになる。その感覚を「宇宙へまつすぐに届く」と表現した。ぼくなどにはこうは詠めない。脱帽である。
大人が失った若々しく瑞々しい感覚がしっかり書きとめられている。

高校の部・入選
   春の浜私と貴方二人だけ        吉城高等学校 築山 凛
  恋人同士だろうか。そうで無いかもしれないが、少なくとも作者は好意を抱いている。これから始まる恋かも知れない。誰も居ない春の浜に二人だけの喜び。春の浜という大きな景色の中に二人だけしかいない不安。若者らしい気持ちのいい句。

《白石司子選》
一般の部・特選
かげろふの湖ゆく路面電車かな          東京 染井かしこ
もしかしたら、「日射のために熱せられた地面から水蒸気が立ちのぼっている現象」「かげろうの湖」と捉えただけなのかもしれないが、「路面電車」との取り合わせがもっと多くのものを感じさせる。かげろうのようにはかない湖をゆく、この世からあの世につながる路面電車、乗車しているのは作者、いや、いまは亡き人々だろうか。

一般の部・入選
海市より熊野伸二といふ漢              千葉県市川市  執行香
  前理事長・熊野伸二氏により、「まつやま山頭火倶楽部」とのご縁をいただい「男」
ではなく「正義漢」・「熱血漢」の「漢」という形容が一番ふさわしい人物である。
お世話になりっ放しで逝かれたので、「海市」より還ってくださればきちんとお礼も言
えるのにと思う。

高校の部・特選
サーブ打つ部活三昧春休み     飛騨神岡高等学校 佐野絢音
夏休みや冬休みと違って宿題等の束縛の少ない春休み。普通ならば思い切り遊びたいところなのだが、君の春休みは「部活三昧」。上五の「サーブ打つ」が、さまざまな誘惑を断切る君の決意とも受け取れ、これも青春だと思う。

 高校の部・入選  
 風光る的に一射の武道場       吉城高等学校 大森玲依
「的に一射」。その瞬間に静まり返った武道場、また、君の緊張感は一気に解れ、まさに「風光る」なのである。俳句は瞬間を捉える詩とも言われるが、青春の象徴とも思われるワンシーンを見事に切り取った臨場感のある句となっている。

《本郷和子選》
一般の部・特選
海市より熊野伸二といふ漢             千葉県市川市  執行 香
海市とは蜃気楼のこと。気温の差から、空気の密度が変わり光が屈折して、空中や海上に物が見える現象をいう。この俳句一草庵に基礎を作った方は、山頭火倶楽部の理事長であった故熊野伸二さんである。関係者の人たちにとって、今一番会いたい人が熊野伸二さんであろう。できることなら、海市に現れてほしい。そして、皆の前で、ここで又、挨拶をしてほしい。そういう心のこもった句である。

一般の部・入選
ふるさとよ父よ弟よどぶろくよ          松山市  河村 章
呼びかけの「よ」詠嘆の「よ」が四回入っている。ふるさとにもう父はいない。弟は今もいるのか。そして、生まれ育った村のどぶろく(濁酒)は、今でも作られているのか。郷愁の一句は、読む者の心にふるえるような感動を与える。畳みかける語によって、作者の人生感さえ感じとれるのである。

高校の部・特選
  たんぽぽや無人駅で降車する          水沢高等学校 外山歩佳
   この句は、たんぽぽが人間のように電車に乗っていて、無人駅で降りるというのである。この発想はユニークで新鮮。ひょとして、今降りた人はたんぽぽの化身かも?とすればもっとおもしろく小説にでもなりそうだ。虚と実の間をうまく取り入れた句になった。

 高校の部・入選
  春の月カバのもったりした浮力     松山東高等学校 中山寛太
  中七の「カバのもったり」の表現がまずは巧み。カバはあの大きな重さでも浮くのだから浮力があるのだろう。「もったりした浮力」は月並みな句でないことの証。季語に「春の月」をいれたことも、ふわっとした、おぼろ月のような景が、もったり感と合致して素 晴らしい。

《まつやま山頭火倶楽部賞》
一般の部・特選
  囀の近づいてくる一草庵             東京 白石正人
  一草庵への小さな坂道を歩む作者の姿が見える。そして山頭火に対するその思いが囀りに調和する。囀りは求愛の宣言でもある。さまざまな思いが浮かんだであろうに、すべてを省略。何も化粧することなく、有のままを素直に詠んでいるが、作者の呼吸まで生き生きと感じる。単一化の修練ができている。

高校の部・特選  
ほろほろと零れる時間三月来る       伯方高等学校  仲田彩乃
何が「ほろほろと零れる」のだろう。それは過ぎゆく時間、「はっと」三月の生まれる
のを感じた作者の姿が目に浮かぶ。報告ではなくて、思わず口に出た眼前の詩
(ポエジー)だ。三月は冬から解放される喜びと希望の月だ。
 伯方高校の生徒たち

埼玉からの参加者