今週の山頭火句

今週の山頭火句 朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし 山頭火

2019年5月5日日曜日

記念俳句大会『俳句一草庵』各選者入選句です。


    山あれば山を観る
    雨の日は雨を聴く
    春夏秋冬
    あしたもよろし
    ゆうべもよろし       山頭火
 
    雨ふる中、一草庵の中で公開句会をすることとなりました。
  それでも、たくさんの人が参加してくれました。
  (参加者約60人、スタッフ20人)

 「10周年記念俳句大会・俳句一草庵」に850句(一人2句限定)の投句がありました。
 北海道、宮城、新潟、群馬、福島、愛知、千葉、茨木、滋賀、山口、九州は沖縄から投句が
  ありました。海外からも4句投句がありました。
高校生からは、伯方高校、松山東高校、今治西高校、岐阜飛騨神岡高校、水沢高校、吉城高校、松山中央高校、愛光学園、名古屋高校、済美平成等から投句がありました。
中学生、小学生からも・・・。

  それでは、各選者の入選句を紹介します。
  学校の校庭の後ろに、北アルプスを望む飛騨神岡高校から、夜行便で一草庵に駆けつけて
 くれたF君、ありがとう。思わず涙がでました、山頭火さんも喜んでくれたことでしょう。




村上護記念賞
 完走の深き一礼風光る       松山市 北村まさこ
(評)かつての五輪のほとんどがアマチュアだったころの、陸上競技会に残る慣習が美しい。今でこそ近代五輪といわれて久しいが、スポーツ選手のプロ化は著しい事象だろう。長・短距離に限らず、「完走」をした後深々と「一礼」をしている選手などは、体育教育の一環として清々しい姿だといえる。上五の「完走」は、順位や怪我をせずに競技が済んだことの祈りであり、健康に生きてきたことの感謝の気持ちを表している。季語の「風光る」が佳い。(水内慶太)
《池田澄子選》
一般の部・特選
風向きはよし長老の野火の下知   宇都宮市 平野暢行
(評)このような場に私は居たことはありませんが、「風向きはよし」、この言葉で、緊張感と逸る気持ちが伝ってきます。余計な言葉がなく、すくっと立った句と感じました。
一般の部・入選
歩みを止めて花の香をいただく    妙高市 国見修二
(評)幸せな気持が謙虚に語られていて、その気持を共有することが出来ました。
 まさに“いただく”です。
一般の部・佳作
昭和の日みんなが知っている軍歌   青森市 神 春雷
(評)残念ながら私も軍歌をいくつか知っています。その時代に出くわした人々全員が
知っているなんて。そういう日々が決して来ないように、と切に。
高中小の部・特選
さよならの「ら」の口のまま雪の花  松山東高校 森貞 茜
(評)つい、さよならと、と言ってみました。「ら」の口って、放心状態のときの口。
借り物ではない表現が、とても素敵です。一人立ちすくんでいる姿が見えます。 
高中小の部・入選
牡丹雪水に映りて水に消ゆ       松山東高校 山内那南
(評)雨や霙と違って、牡丹雪はゆっくり降ってきます。池や水溜りにそれは映ります。雪片も大きいので水に映っているのが見えます。そのように見えた嬉しさが、無理のない言葉によって描かれたので、読者にも伝わります。
高中小の部・佳作
草の花母が再婚するらしい         水沢高校 千田洋平
(評)「草の花」は、春の花よりも地味で、咲いた咲いたと自己主張していない感じ。
そのことで、作者は叫んでいない。だから不安や安堵や戸惑いが小声に感じられて。
《櫂未知子選》
一般の部・特選
春ショール齢の坂を忘れけり        松山市 小渕あけみ
(評)穏やかな境地が描かれている句。「坂」は実際の坂でもあろうし、自分の心の中をもあらわしているだろう。品よく、丁寧に詠まれた作品だと感動した。
一般の部・入選
 前世を猫だと仮定して朝寝       松山市 近藤拓弥
(評)楽しい作品。「もしかして、前の世は猫だったのかしら」と思いつつ、延々眠っている作者。
「仮定」という言葉のかたさがかえって面白い。
一般の部・佳作
 完走の深き一礼風光る        松山市 北村まさこ
(評)長い距離を走り終えた後、観客やゴールに向かって「礼」をする。「深き」がランナーの感謝をあらわしているようでよい。
高中小の部・特選
マフラーの空から降ってきたような   松山東高校 中山寛太
(評)まことユニーク。雪ではないが、天からの手紙のようにあらわれた
「マフラー」。大胆な発想が魅力的である。
高中小の部・入選
手鏡の中に堂々たる冬日      今治西高校 渡部瑠々奈
(評)淡く描かれがちな「冬日」が大胆に詠まれている。「手鏡」に着目したのもいい。
高中小の部・佳作
鍵させば住家となりぬ犬ふぐり       名古屋高校 原田駿
(評)「なるほど」と感心した句である。思いもつかない発想がこの句にはある。



《神野紗希選》
一般の部・特選
雛しまふ夕べきよとんと籠の鳥        松山市 西川慶子
(評)お 雛 様 を し ま う 春 の 夕 方 。 籠 に 飼 わ れ た 鳥 は 、 ど ん ど ん 片 付 い て ゆ く 部 屋 の 景 色 を 見 な がら 、 ど こ か「 き よ と ん」 と不思 議 そ う に し て い る 。 人 間 の 文 化 を 鳥 が 理 解 で き な い の は そ の通 り だ が 、「 き よ とん」とし て い る の は 、 雛 人 形 も同じ だ ろ う 。 雛 段 も 鳥 籠 も 、 見 て 楽 し む愛 玩 の 対 象 。 ど こ へ も 行 け な い 者 た ち が 、 こ こ で は な い ど こ か へ 行 き た い と 願 う 気 持 ち す ら抱 け ず に 、「 き よ と ん」と し た 表 情 を 浮 か べ て い る こ と の 虚 ろ な 寂 し さ が 、 心 に 沁 み る 。
一般の部・入選
前世を猫だと仮定して朝寝       松山市 近藤拓弥
(評)前 世 の こ と は 誰 に も 分 か ら な い 。 で も 、 き っ と 自 分 は 猫 だ 。
 気分 屋 だ し 、 ふ ら っ と 散 歩 に行 く の も 好 き だ し …… 。 前 世 を 猫 だ と 仮 定 す る 人 は 、 猫 的 な 性 質 を 備 え て い る 人 だ 。 周 り は周 り 、 自 分 は 自 分 。 我 が 道 を ゆ く 気 ま ま な 姿 は 、 ま さ に 朝 寝 の 自 由 さ と 通 じ る 。眠 っ て い る姿 勢 も 、 き ゅ っ と 身 を 丸 め て 、 猫 の よ う か も し れ な い 。 の び の び と 朝 の 光 が 満 ち て ゆ く 。
一般の部・佳作
遠いケンカにクスクス笑うおでん     小田原市 井上靖
(評)そ う い え ば 、 あ の こ ろ 、 あ ん な 些 細 な こ と で ケ ン カ し た こ と も
あ っ た ね 。 遠 い 昔 の 自 分 たち の 姿 を 、 な つ か し く ほ ほ え ま し く 振 り
返 り な が ら 、 お で ん を 食 べ て い る の は 、 夫 婦 か 、 ある い は 友 人同士 か 。
 長 い 年 月 を 共 に 過 ご し て き た 親 し さ と 、 お で ん と い う 親 し み 深 い 食 べ 物と が 、
 ぴ っ た り 合 わ さ っ て 、 あ た た か さ に 満 ち た 一 句 だ 。
高中小の部・特選
子兎を抱いて心臓だと知った     松山東高校 中山寛太 
(評)子 兎 を 抱 い た ら 、 と く ん と く ん と 駆 け る 鼓 動 を 感 じ て 、 あ あ こ れ が 心 臓 と い う の も の か と実 感 し た 。 そ れ を 、 ま る で 子 兎 の か ら だ ぜ ん ぶ が 心 臓 で あ る よ う な 言 い 方 を し た 、 そ の 表 現が 特 異 だ 。 子 兎 が ま さ に 全 身 で め い っ ぱ い 生 き て い る こ と 、 そ の む き だ し の 命 を 知 っ た 作 者の 胸 の ふ る え が 、 ま っ す ぐ な 言 葉 に 言 い 留 め ら れ て い る 。
高中小の部・入選
落椿犬とAIゐる実家         名古屋高校 原田駿
(評)咲 い た 椿 が 散 り 敷 く 庭 と 、 そ こ に 寝 そ べ る 犬 と 。 郷 愁 を 誘 う 風 景 だ が 、 部 屋 に 目 を 移 せ ばな ん とAI が 。 語 り か け れ ば 答 え て く れ る 置 き 型AI な ら 、 も う 私 た ち の 日 常 に も 馴 染 み つつ あ る 。 過 去 と 未 来 が同居 す る の が 今 な の だ 。 久 々 に 実 家 に 帰 っ た と き 、 見 慣 れ た 風 景 の 中で 何 か が変わ っ て い る と い う 違 和 感 を 、 現 代 の 風 物AI を 通 し て 明 る み に 出 し た 一 句 。
高中小の部・佳作
さよならの「ら」の口のまま雪の花  松山東高校 森貞 茜
(評)相 手 に さ よ な ら を 言 っ た 、 そ の 最 後 の「 ら」 と い っ た く ち び る を 閉 じ な い ま ま に 、 い ま 空か ら 降 り は じ め た 雪 を 見 て い る 。「 ら」の 口 は 、 ぽ か ん と ひ ら い た 口 だ 。 つ い さ っ き 別 れ を告 げ た こ と も 忘 れ て 、 雪 に 心 を 吸 わ れ て い る か の よ う 。 人 間 ド ラ マ と 季 節 が 、 ふ と 交 錯 し た一 瞬 を 、 ド ラ マ の よ う に 言 葉 で映像 化 し た 。


《佐怒賀正美選》
一般の部・特選
雛に空見せる小窓を磨きけり       松山市 宮田啓子
(評)慎ましい生活の中での心の広やかさが窺われる作品。小窓を磨くことによって、お雛様も外の青空が見えるようになる。その心配りがなんともけなげに感じ取れる。
一般の部・入選
時雨客そのまま居着く寺坊かな    今治市 鈴鹿洋子
(評)時雨を避けて雨宿りに飛び込んだはずの寺の居心地がよかったので、いつの間にか住み着いてしまったしょうもない、けれども憎めない男。山頭火にちょっぴり重なるかも。
一般の部・佳作
少年と無言のベンチやがて雪        今治市 渡部伴子
(評)「少年」といっても息子や孫などであろうか。「少年」の心中を察するように、
 何気なく無言で脇に座っている。空模様も、やがて雪に代わってきた。
「そろそろ帰ろうか・・・」。
高中小の部・特選
薔薇の芽やトルソーの指は金属         愛光学園 佐藤華子
(評)美術の彫塑ではなく、最近の展示・陳列用のアーム付きのマネキン似のものか。
客観写生だが、「トルソー」「指」「金属」と驚きをたたみかけている。その上で上五
戻ると。「薔薇の芽」が新鮮な息吹を伝える。やがてはバラが咲く。 
高中小の部・入選
ひまわりと土の中は時計          川越市福原中学 根本昴流
(評)「ひまわり」と「土の中」と、性質の異なる二つの生命体が「時計」でつなが
 っているのが愉快。ひまわりと時計はやや近いが、「土の中」を思ったところがよい。
 確かに、土の中にも冬眠からの目覚し時計などがあるに違いない。
高中小の部・佳作
春一番が学校おした           川越市福原中学 久世遥菜 
(評)単純な句形の強さ。常識的な「ゆらす」ではなく、独自の感覚による
「おした」という大胆な言葉選びがよかった。山頭火もびっくりするだろう。
《鶴田育久選》
一般の部・特選
寒ざらしの土くれ今も変わらぬ昔の匂い  松山市 竹原 清
(評)下句の昔の匂いと、上句の寒ざらしの土との取り合わせが上手く対応して、
特に今も変わらぬと気持ちを入れたことで、寒ざらしの土くれへの作者の熱い
思い入れを感じます。
一般の部・入選
蒲公英ぽぽぽ山頭火さん飲んでるか   松山市 水口律子
(評)ぽぽぽの三連音のリズムが心地よく、句を面白く構成しました。山頭火さん飲
んでいるかと呼びかけている作者のやさしさも好い。
一般の部・佳作
 まだ星が残っている空に窓ひらく   山口県田布施町 久光良一
(評)一見なんでもない窓のようですが、これを明け方の病室の窓に見立てますと、
 病人の気持ちをさり気なく表しているメタファになります。
高中小の部・特選
さよならの「ら」の口のまま雪の花    松山東高校 森貞 茜
(評)さよならの「ら」がまだ口に残っている、この独特な表現は秀逸です。雪
 の降る美しいドラマのワンシーンが彷彿されます。 
高中小の部・入選
マフラーに編み込んでいる赤い糸      伯方高校 藤本利乃
(評)マフラーに編み込む赤い糸は、若干通俗的ですが、若者の気持ちを素直に
  表しているので、読者も又素直に受け止める事が出来ます。
高中小の部・佳作
二人の電話ボックス開けて冬         水沢高校  鈴木萌晏
(評)開けて冬。この冬の一語で全てを物語っています。二人の電話ボックスで
 只ならぬ関係まで読み取れて興味を引きます。
《水内慶太選》
一般の部・特選
石竜子きて一草庵の留守居かな   松山市 井上かず子
(評)「石竜(せきりょう)」はトカゲの異称。石竜子は蜥蜴をいう。トカゲは北海
道から沖縄まで広く分布するトカゲ目トカゲ亜目の爬虫類。俳句には頻繁に登場す
る人気者だが、「一草庵」の「山頭火」を慕って「留守居」をかってでた俳味が長
閑で楽しい。
一般の部・入選
極楽の余り風とや花ミモザ     東温市 白石かがり
(評)ミモザは銀葉アカシアの花のことで、初春の黄金のような黄色が特徴。
その「花ミモザ」の黄金色を「極楽浄土」に色と連想したとしても不思議はない。
その「極楽」の「余り風」が巧い。
一般の部・佳作
我を捨ててなほも我のある海鼠かな     松山市 亀井崇司
(評)海鼠はナマコ網の棘皮動物の総称。浅海から深海に広く分布し、食用に賞味される種類もある。
胡瓜のような棒状なものが多く、危険な状態では口から内臓を吐き出して事を回避する習性がある。
「我を捨ててなほも我ある」の措辞は「海鼠」そのものだ。
高中小の部・特選
一字空白となつているふくろう       伯方高校 長間紗乃
(評)一句全体は一七音になっているが、不揃いのリズムだが「一字空白となっている」で切れて
「ふくろう」と着地する。所謂、不定形とか自由律といえるかもしれないが
「一字空白」や四音の基底部に新鮮さを感じた。 
高中小の部・入選
春風やガムテープみたいな私       飛騨神岡高校 古田雅人
(評)「春風」と「ガムテープ」の取合せに若さがある。
「ガムテープみたいな私」は粘着性があるということだろうか、
どこか頑張り屋の気持ちが見えて来て応援したくなる。






高中小の部・佳作
天高し空の割れ目のナフタリン      松山東 大野佑騎
(評)ナフタリンは芳香族炭化水素の一つ。常温で昇華し、特異の臭気がある。樟脳の代用品として防虫・防臭用のナフタリンとして広く用いられる。
「天高し」爽やかな季節の思う、過ぎ去りし季節の防虫・防臭の過去が蘇る。難しい内容だが、挑戦の意義はある。


《小西昭夫選》
一般の部・特選
鰻は平和の味して新しき世なり     東京都 權守いくを 
(評)最近は鰻も高価になり、容易に食べられなくなったが、鰻を平和の味と断言
 したところが何とも愉快。しかも新しき世と断言した。平和の味の鰻が存分に食べ
 られる新しき世が来ますように。        
一般の部・入選
春の夢百まで生きて目覚めけり    松山市 丹下恵美子
(評)夢の中で自分がだんだん年を取っていくのだろうか。百歳のところで目覚めた
 のだが、夢の中の百歳までの人生はどんなだったのだろうか。百歳まで生きたことも又、
  春の夢になるのだろうか。
一般の部・佳作
弟もおなじ三月立子の忌        高松市 岩田賀代
(評)立子の忌と言われてもほとんどの人が知らないだろう。三月とあるのでそう
 かと思うだけだ。しかし、弟も三月になくなったのだ。だから、三月は特別な月
 なのだ。それで立子の忌も記憶しているのだ。
高中小の部・特選 
 心臓のあかあかとして雪女    名古屋高校 横井来季
(評)雪女はいつとはなく怖いというよりも美女の印象をもつ様になったが、この
 雪女はちょっと怖い。あかあかとした心臓はやはり異形のものだ。
 しかし、しかし、心臓の赤と雪の白の対比は美しい。
高中小の部・入選
春風の吹く手紙が届く         川越市福原中学 水谷汐音
(評)なんともさわやかな俳句だ。春風の吹く手紙の春風とは差出人だろうか、その
 手紙の内容だろうか。冬を乗り越えた喜びが春風の吹く手紙に込められている。
高中小の部・佳作
草の花母が再婚するらしい          水沢高校 千田洋平
(評)離婚か死別かは分からないが母が再婚するらしい。はっきりと告げられた訳
 ではないがそうらしい。それは今の母との暮らしが終わることでもある。祝福より
 も不安の方がが大きいのだ。
《白石司子選》
一般の部・特選 
春光や享年百四の喉仏             松山市 八木重明
(評)火葬しても残るとされる「喉仏」は、百四年間の生の証みたいなもの。
上五「春   光」との響き合いが、春の陽光のような輝かしい人生を想像させる。
一般の部・入選
チューリップぐらいの恋             松山市 森田欣也
(評)河東碧梧桐・荻原井泉水らが提唱した自由律の句。「チューリップぐらいの恋」
とは何なのかを言葉では説明しにくいが、感覚としては伝わってくる。長々と説明
不要の明るい恋だからこそ十一音でいいのかもしれない。
一般の部・佳作
我を捨てなほも我のある海鼠かな      松山市 亀井崇司
(評)形も色も何となくグロテスクな「海鼠」。我を捨てても猶も我のあるのは、海鼠
  であるが、一句全体からすると、それは作者のようでもあり、海鼠との取り合わせに
  諧謔味を感じる。
高中小の部・特選
持久走白詰草の坂登る               吉城高校 砂田琴美
(評)学校の体育の授業か何かで長時間・長距離を走る「持久走」は、自分との闘いでも   あり、まさに青春。この句の眼目は単なる坂ではなく、春、野原などに青い絨毯を敷いた   ようになる「白詰草」の生えている坂としたところで、終えて寝転んでいる姿、また、白   詰草の「白」が清潔感とか明るさとかなどを想像させる。
 高中小の部・入選  
核心に触れられぬまま蜜柑剥ぐ     松山東高校 吉田真文
(評)核心に迫りたいけど、触れられない。そんなもどかしさを紛らわせるような、ま
  た、悟らせぬようにするための行為が下五「蜜柑剥く」。何となく気まずい雰囲気を甘
  酸っぱい蜜柑の香が和らげてくれるだろうか。
高中小の部・佳作
逃げ水や負けたところで変わりなし   吉城高校 中井一生
(評)とまた遠のいて見える「逃げ水」。逃げ水のように追っても追っても逃げてしまう
のなら、「負けたところで変わりなし」という心境に到れば、もう怖いものなしである。
こういった心境に達するまでの作者の紆余曲折を思う。
《高橋正治選》
一般の部・特選
歩みを止めて花の香をいただく     妙高市 国見修二
(評)花が美しく咲くと蝶や蜜蜂がきてくれて、その花は実を結ぶ、花の香はふとこ
 ろころをひろげ解放してくれ澄み切って漂うてくれる。未来へつれて行ってくれる
   楽しい夢が生まれるような気がする。
一般の部・入選 
ほど良き暮しぬれ縁に雀の子      松山市 木原昌子
(評)特に雀を愛すると云う訳でもないが御飯の残りを置いてやると大喜びで一羽二羽
 となってくる。なんの奇もなく悠々いのちの暮しがそこにある。
一般の部・佳作
お接待いたゞいて知る温もりです    雲仙市 前田幸蔵
(評)平凡な毎日のなか優しさや励ましやこころ配り、こころ配り、言葉配りも、
 お接待のこころである。めく巡りくる自然もお接待、ありがとう手を合わす姿
 こそいちばん美しい。
高中小の部・特選
うららかや母になりきる一人芝居    吉城高校 北平萌菜
(評)親はいつも子供のことを一番に考える。家族にいちばん近い人間関係であるか
 ら、親である幸せ、子である幸せ、私のお母さんでいてくれてありがとう。演劇で
 はない日がやってくる。
高中小の部・入選
春風の吹く手紙が届く         川越市福原中学 水谷汐音
(評)春が好きだというから、少しでも早くと思って春送ったのさ。枯れた冬草の中に
 もう若草がに萌え出て、たんぽぽ、きんぽうげの花が、はにかむようにほころばせて
 いるよ。
高中小の部・佳作
 上から下に春の川かな     川越市福原中学 後藤麻也
(評)時の流れは水の流れと同じで、後に向かっては流れない。さらさらとその流れ
 ゆくなか令和という和みの春がくる。
《福谷俊子選》
一般の部・特選
死神のふつと掠める花明り      松山市 戸田 幸
(評)人を死に誘うといわれる死神。折々に俳人が好んで詠む主題でもある。爛漫
 の花明りのなか、ふと死神が過ぎっていったという一瞬の感覚が、虚実のあわい
 においてとらえられている。生死の思いを致す人物が彷彿とする。
一般の部・入選 
春泥を来て三四郎に会ひにけり    松山市 山崎シマ子
(評)<三四郎>の名前から夏目漱石の小説『三四郎』を思い起こした。〈会ひにけ
 り〉という強い詠嘆が摩訶不思議な情緒をかもしている。懐かしい本を手にして、
 三四郎という主人公に再会できた感慨の表白かとも思う。
一般の部・佳作
ころり往生冬日畳に招き入れ     松山市 大本早美
(評)一笠一杖一鉢の行乞をつづけた山頭火が終焉を迎えた一草庵。願いつづけた
 ころり往生であったが、その死を思いやる〈冬日畳に招き入れ〉の措辞に、せめ
 て日差しのぬくもりをという、哀悼の思いがにじんでいる。
高中小の部・特選
心臓のあかあかとして雪女     名古屋高校 横井来季
(評)氷のような手足をし、美しい女といわれる〈雪女〉は興味深い季語であるが、
 雪女に〈心臓〉を付するということを軽やかにやってしまうという大胆さに驚い
 た。まるで雪女が生きているような錯覚におちいった。
高中小の部・入選
手鏡の中に堂々たる冬日     今治西高校 渡部瑠々奈
(評)髪の乱れや、唇の乾きが気になってふと覗いた小さな〈手鏡〉。そこに映っ
 たのは思いがけないほどの冬の日差しの明るさであった。冬日を〈堂々たる〉
 ととらえている青春性がまっすぐで心地よい。

高中小の部・佳作
リュウグウノツカイの抱く雪の海  松山東高校 武田 歩
(評)リュウグウノツカイは、陸から遠く離れた深海に生きている。身体は長くて
 平ら、全身が銀色に輝いて赤い鰭が美しい。初見はどこであれ〈抱く雪の海〉に
 臨場感があって、深海の神秘を感じさせてくれる。
《本郷和子選》
一般の部・特選
 魂のぽんと抜けたる紙風船     宇和島市 福本伊都
(評)息を吹きかけて膨らんだ紙風船を、ポンとつくとふわりと浮く、ポンとつ
 くことによって、中に入っていたであろう魂は、ポンと抜けたのだ。魂が抜け
 ると、いよいよ紙風船は、軽く軽く飛ぶのである。魂の抜けることにより、紙
 風船は宙へ遊ぶことが出来るかも知れない。
一般の部・入選 
再会は大樹となるやこの桜    四国中央市 星川さと子 
(評)今、目の前の、この桜は大樹にはなっていないのだろう。次、再会する時は、
 見事な桜大樹になっているのだろうかと思っている。この一本の桜に思いを託
  しているのだ。再会の相手は、この桜かも、又ある人なのかも知れない。やが
  ていつか堂々とした大樹となった桜を、読む者にも想像できる一句である。
一般の部・佳作
太陽を無数に飛ばし石鹸玉       岐阜市 若山千恵子
(評)しゃぼん玉を吹くとパアーと無数に飛んでゆく、その一つ一つのしゃぼん
 玉に、太陽の光が反射し、虹のようにきれいな透明の球形となる。太陽を飛ばす
   という着想が新鮮でおもしろい。俳句の表現方法としては巧み。
高中小の部・特選
寒林にあまたの吐息眠りおり     伯方高校 後藤ひかる
(評)春になるまでの寒林に、すべての木々も草も、動物たちも冬中、寒さに耐え
 てじっと眠っているのだ。「吐息」が眠るという表現が素晴らしい。しーんとし
 た静けさ、寒さ、空気まで読みとれる。やがて訪れる春の息吹もまだ眠っている
 のだ。
高中小の部・入選
子兎を抱いて心臓だと知った    松山東高校 中山寛太
(評)散文的、口語俳句であるが、意表をついた発想である。子兎の体温が作者
 の胸に伝わったのだ。ピクピクと動く子兎の心臓、それは作者の心臓とも重なる。
 生きものへの愛情、命への慈しみ、心打つ一句である。
 高中小の部・佳作
春が来た笑いころげる猫がいる 奈良市登美ヶ丘小 平岡香乃
(評)猫が笑うなど思ってもみなかったが、作者にとっては本当に猫が笑いころ
 げているように思えたのだろう。春が来て、暖かくなると、人間も猫も嬉しい、
 人間と同じように猫にもしっかりと感情があるはず。喜んで、ころころ動くかわ
   いい猫が見えてくる。
《まつやま山頭火倶楽部賞》
〈一般の部〉
  tea with Santoka
   a bird I don’t know
   calls outside             Deborah P Kolodji
     山頭火と抹茶一服鳥の声           デボラ・P・コロジ
(評)カリフォルニアの俳人が一草庵を訪れてくれたので、抹茶を点てて差しあげた。
 その時、投句を依頼すると、即座に詠んでくれた句。山頭火さんと一緒になってお茶を
 飲んでいるようだった。「tea with Santoka」で切れがあり、「鳥の声」と取り合わせ   て、(ポエジー)が生まれた。一草庵の内と外の取り合わせの妙に拍手。どんな鳥なの   か、何と鳴いているのはわからないが、私を呼んでいると。鳥の呼ぶ声に、動きとリズム   がある
〈高中小の部〉
マフラーを巻き直しおり嘘を捨て     伯方高校 村上れあ
   (評) “嘘を捨て”の言葉に惹きつけられる。嘘を捨ててマフラーを巻き直している彼女の再出発に声援を送りたい。