山頭火没後80周年の最後の記念事業として、山頭火・朱鱗洞合同句碑の建立を進めていました。護国神社さまのご好意で、句碑設置場所が決まりました。感謝!感謝!
万葉苑手前の一草庵に近い処です。本年10月3日建立予定。
山頭火の最後の面倒を見た髙橋一洵さんは、次のように言っています。
いつも5時までに起きていました。英霊を祀る護国神社の太鼓を寝て聞いてはバチがあたる
と顔を洗って机の上に線香を灯していたと。
当時の護国神社の宮司さんも、このあたりで一番早起きは山頭火さんだと。
護国神社の太鼓とともに起床し、参拝をし、句日記に護国神社参拝として、12句を残しています。
句は、この中より選びました。
蝉しぐれ英霊しみじみここにゐたまふ 山頭火
蝉しぐれをぬかづて聞く山頭火の真実の姿が目に浮かんできます。昭和15年8月29日の句。
朱鱗洞の句は、残された短冊の自筆を選びました。
へうへうと人らすぎゆける風の中 朱
遺稿句集「禮讃(らいさん)」身辺雑事大正2年の句。
野村朱鱗洞は、松山が生んだ自由律俳句の天才です、山頭火をして「俳壇の啄木」といましめた人です。明治26年11月26日生まれ、大正7年、今のコロナのようなスペイン風邪にうつり、10月31日逝く。享年26。
少し朱鱗洞の句を紹介しておきます。きびしく切り詰めた短さの中に、凛とした抒情が漂っています。が
いち早く枯るる草なれば実を結ぶ
ふうりんにさびしさかぜがながれゆく
ちんちろの遠い声かすれて
しおさいほのかに月落ちしあとかな
淋しき花があれば蝶蝶は寄りて行きけり
※句碑の石は、六角玄武岩の予定です。柱状節理ってご存じですか。 熔岩が冷却して、六角形のひび割れができた六角柱の岩石の集合体を柱状節理と言います。柱状節理の名所が日本にも沢山あります。北海道の層雲峡、福井県の東尋坊、兵庫県の玄武洞など。
この石に刻まれます。 |