今週の山頭火句

今週の山頭火句 笠にとんぼをとまらせてあるく  山頭火

2010年11月24日水曜日

『第3回俳句一草庵賞』決定。

                 『第3回俳句一草庵賞』
                       (開催日 22年11月23日) 

山頭火を偲んでの「第3回俳句一草庵」で、次の俳句が選ばれました。


俳句一草庵大賞
空がまぶしい大銀杏   松山 東 隆美

(評)七・五の短律の自由律俳句。しかもぶっきらぼうに、上七で眩しい空の状況を
述べ、下五は「大銀杏」だけを置き「大銀杏」があるとか「立っている」とかは語らない。
まぶしい空と銀杏の巨樹を示すことで、晩秋の澄んだ空気と高い空と黄金色の落葉が
一時に想起される。まことに“沈黙は金雄弁は銀”だ。俳句は、省略された言葉を読み
手が補完して味わう文芸である。(熊野)

松山市長賞
生きているかと木枯吹く  松山 木城香代

(評)「木枯」は「凩」とも書く。「十一月前後に吹き、木の葉を落とし枯木にしてしまう強い風」
と歳時記にある。だが、この句は、負のイメージの「木枯」を「励ましの風」とプラスに受け
止めている。「生きているか」は「しっかりしろよ」と代弁している。
「十方にこがらし女身錐揉(きりもみ)に 鷹女」の句がある。
女のみならず男も、人は十方の木枯に吹きさらされて生きている。(熊野)

松山市文化協会長賞
掌の中の木の実見せ合ふ姉妹  松山 井上由美子

(評)幼い姉妹だろうか、それとも熟年姉妹だろうか。手の中の艶やかな木の実を見せ合う
二人の仲のよさが伝わって来る。
木の実を拾う、拾った実を見せ合う―それは、自然への畏敬の念と利害を超越した豊かな
感性を感じさせて、気持ちがいい。素直な叙述も。(熊野)

小西昭夫・特選
この空が松山の空秋の空  大阪府堺市 中島学

(評)山頭火ファンの中島さんには松山は憧れの地。
やって来た松山では心地よい秋日和が迎えてくれた。
この空が松山の空だ、美しい秋の空だと感じたのだ。
「空」や「の」の三度のくり返しのリズムが弾む心を伝えてくれる。
美しい松山讃歌。

白石司子・特選
黄落や言葉を探すは生(せい)なりき  松山 大野美代子

(評)美しく、また人生の黄昏時を感じさせるような黄落。
そして俳句をするものにとって句作りは言葉の格闘、つまり「言葉探し」そのものである。
作者はふと人生を振り返った時、他者を喜ばせ、時として凶器ともなり得る
言葉、その言葉探しの連続は「生」そのものであったなあという思いを探したのかもしれない。
ただ対象を示す助詞「を」は外せるような気もするが、上五の切字「や」による飛躍が
一句に多くを内包させている。

橋正治・特選               
枯れるばかり吹かれるばかり   松山 伊藤海子

(評)「俺は川原の枯芒」のようなうらぶれた風情ではないが、
この句のなかにロマンの数々、人生をおもわずにはいられない情景を感じる。
落魄味であるならば、これこそは天からの至宝として愚痴は漏らすまい。
今こそ気取りのない日々の生活が倖せである。

本郷和子・特選
放浪の旅のはじまり草の絮(わた)   松山 岩崎美世
 
(評)人は皆、心のどこかで現実の世界から逃避して、
放浪の旅に出たい願望を持っているにちがいない。
山頭火の行乞流転の旅は、ある意味、精神の自由を貫いた幸せな生き方であったろう。
草の絮の行方をみて作者の想いが伝わってくる。

熊野伸二・特選
山頭火居士大の字に眠らんか  重信 白石かがり
 
(評)人は、誰でも死後の世界に想いをめぐらせる。地獄、極楽があるのだろうか。
それとも無の世界か―と。現世で放浪し、大酒した山頭火の“あの世”を思う作者は
「あの世でも山頭火はきっと大の字になって眠っているのではないか、そうに違いないと」と考える。
終焉の地・松山の山頭火は「大悟徹底して、コロリ往生した」と信じるから・・・。

一草庵会場賞
わが前へ落葉うしろへまた落葉  松山 寺村通信

 (評)眼前に舞い散る落ち葉を眺める。ふと振り返れば、うしろへも。
「また」は、つぎつぎに散る落葉を表し、そこに佇む作者を想起させる。
メルヘンチックな落葉の世界が出現するではないか。(熊野)


山頭火いさうな路地や野菊晴    東温市 白石かがり

(評)小さな集落の路地の日溜りに、野菊が白い花を咲かせている。
老婆がゆっくり歩いてくる。石垣の上に猫が日向ぼっこしてもいようか。
そんなたたずまいの中へ、ひよっこり山頭火が姿を現わしても不思議ではない。
曲がり角の先には、きっと山頭火がこちらへ向かって歩いているだろう。
托鉢の成果も上々で、山頭火は「早く宿へ帰って一杯やろう」とご機嫌。
そう思わせる句だ。(熊野)