今週の山頭火句

今週の山頭火句 仔猫みんな貰はれていつた梅雨空  山頭火

2011年11月24日木曜日

「第6回山頭火俳句ポスト賞」決定・表彰。

「第6回山頭火俳句ポスト賞」が決定しました。
(投句期間 23年7月1日~23年10月31日)
一草庵の木守柿(23.11.23)
一草庵「山頭火俳句ポスト」に投句された174句。(内、県外句は37句、東京・横浜・埼玉・岐阜・彦根・京都・彦根・北九州市、沖縄の人からの投句もありました。)
各選者の先生に優秀句を選んでいただきました。
「第5回俳句一草庵(11月23日)の日」に表彰。

山頭火俳句ポスト賞
泥酔も母の位牌もしぐれをり   横浜市 水澤弘之 

(評)母の位牌を懐に、しぐれに濡れてさまよう山頭火の姿が見える。彼の生涯に詳しい人の観念句だが、投句先が「山頭火俳句ポスト」だけに「読み手は山頭火をよく知るであろう」と予測した作者の意図は、見事にはまった。つい先ごろ、句に詠まれたような光景があって詠んだ写生句ででもあるかの如き錯覚に捉われる。それは、山頭火の愛惜の念に負うものかもしれないが……。(熊野評)

小西昭夫・選
【特選】はたた神連れ来て庵の客となる  東温市 井門敬之

(評)「はたた神」とは雷のこと。雷を連れて庵を訪問したというのは穏やかではないが、何か爆弾を持って訪れたのではない。「はたた神」という古風な表現が、雷と一緒に庵を訪ねたことを面白がっていることを教えてくれる。

【入選】地図片手見知らぬ街の秋を踏む  松山市 秋山豊美 

(評)作者にとって見知らぬ街は松山だろうか。もちろん、松山でなくてもいいのだが知らない街では地図が頼り。見知らぬ街は未知の街。未知の街の秋を踏むよろこびが伝わってくる。

白石司子・選
【特選】はたた神連れ来て庵の客となる  東温市 井門敬之

(評)俳諧味のある句だ。
何処からかふらっとやって来た作者は、すまし顔で一草庵の客となったのであるが、こともあろうに静かに眠っている山頭火を起こすが如く、「はたた神」を連れて来たのである。
十七音のリズムの凝縮がこの句を秀逸とさせていると思うし、「雷」ではなく「はたた神」としたことも効果的だと思う。

【入選】いち日をひとり秋風つれ歩く  松山市  片岡寿子     

一草庵・木守柿
(評)一句一章で句意は明解。しかし、秋の訪れを告げる爽やかな風、晩秋の蕭条とした風と、季語「秋風」の捉え方によって内容が変わってくるため、読者にさまざまなことを想像させるものに仕上がっている。
全体的に平仮名表記が多いことから、そんなに深刻とは思えない「いち日をひとり」無の境地となって、「秋風」を「つれ歩く」のも悪くない、まるで山頭火のように・・・。ふとそんな思いにさせる一句だ。




高橋正治・選
【特選】歩いても歩いても曼珠沙華  松山市 宇都宮良次

(評)過去の歩みの中に求めつづけてきたものは、灯火のような鮮烈な色をもつ一点に
華開く実理なり。歩け歩け、あり方を尋ねゆく漂泊者の姿が見えてくる。

【入選】静かに思う雲の流れに    松山市 浮浪雲

(評)去りゆくもの消えゆくものの美しさ。
大自然に寄り添う心の静けさ、一切の打算から離れ、生命の醒めた一刻の光景がある。

本郷和子・選
【特選】山頭火終の一間の扇風機   埼玉県越谷市 屋内修一

(評)復元されてはいるが、昭和15年当事の間取りそのままの一草庵。この部屋で山頭火は泥酔し、寝込んだまま逝った。今、ポツンと扇風機がまわっているだけである。
作者は、独りこの部屋に佇むことで山頭火の最期のことに思いをめぐらしている。
みたままを軽く詠んでいるようで、ないようを深く膨らますことのできる句である。。季語の「扇風機」によって、この句は生きた。

【入選】秋思ふと現世は旅の途中なり  松山市 村上邦子

(評)現在、私たちが生きているのは仮の世であり、来世へ続く旅の途中であるという。観念的な句であると言えるかも知れないが、人生を深く考えるとき、「旅の途中」と言い切ることによって、死への恐れは薄れてゆく。上五の「秋思ふと」で、なお作者の感情が
表現できており、読み手は共鳴するのである。

熊野伸二・選
【特選】なすがまま吹かれ呆けて猫じゃらし  松山市 本郷和子

(評)「猫じゃらし」はエノコログザ(狗尾草)の事。空地や道端のいたる所に見られ、
晩夏から初秋にかけて花穂が風にそよいでいる。「なすがまま」吹かれている柔軟さが、
生きる術だが、「呆けて」と擬人化して、あたかも草に意思があり、そのしたたかさを揶
揄しているように読める。

【入選】片蔭を来て一草庵の会者定離    松山市 井門敬之

(評)炎暑の午後、軒下や樹木の日陰をたどって庵を訪ねると、人とめぐり会う。が、
会えば分かれるのが世の定め。山頭火の生涯も、早送りして見れば、世の非情を避けて
人情の片陰を辿り、優しい人にめぐり会い、別れて来た人生だった。仏教用語「会者
定離(えしゃじょうり)が効いた。
受賞を待つ高田君

【一草庵若葉賞】
せみのこえないてひびくよいっそうあん  西条市 高田紘碧(6歳)

(評)庵を訪れた少年は、小さな仏壇があるだけの何の変哲もない和風の家に、どんな感慨を抱いたのだろうか。むしろ、裏山や前庭の樹木から響いてくる蝉の声が印象に残ったのだろう。