今週の山頭火句

今週の山頭火句 笠にとんぼをとまらせてあるく  山頭火

2011年12月1日木曜日

一草庵ニュース「(演劇)なにもいらない 山頭火と放哉」の紹介!

劇団「俳小」を主宰されている俳優の斉藤真さんが、ひょいと「一草庵」に来てくれた
(11月30日)
http://www.haishou.co.jp/member/saitoS/index.html
そして、来年、24年3月21日から25日 東京池袋で公演される
演劇「なにもいらない 山頭火と放哉」の紹介をしてくださった。

「1部と」「2部」で構成されている。
「1部」
山頭火放哉架空の美人記者・和泉桂子さんとが繰りひろげる山頭火物語のようだ。
ときは、昭和15年10月1日の一草庵からはじまる。

能舞台、かのように「死者による語り」がはじまるのでしょうか。
突如、死者の放哉が現れて、山頭火と話はじめるようだ。
その放哉の姿は、取材する桂子さんには見えない。
桂子さんが、山頭火の実像に迫る、そして山頭火さんから放哉のことを聞くのだった。…

「2部」は、
社員旅行で松山に来て、嵐に遭って、「一草庵」に非難する企業の一行あり。
その夜、社長から会社の倒産を告げられる。
議論が熱を帯びる。
その中に、現代の若者から見た人間味溢れる山頭火像が浮かび上がってくる。

現代感覚溢れる竹内一郎さんの脚本は素晴らしい。
http://www.youtube.com/watch?v=1VXx5Cs1xQU
(これから、内容は改善されながら、どんどん進化していくらしい、楽しみだ。)


 山頭火さんのことを、現在感覚で沢山の人に知ってもらえることは嬉しいことだ。

<あらすじ>の中に、山頭火は、個の中に内在する全体を見通している句を作れていない自分に苛立ちはじめる、とあった。

 山頭火は日記にも書いているが、「永遠を刹那に於いて把握する。
 個を通じて全体を表現する」のが、山頭火の求める俳句のようだ。


山頭火さんに成り切って考えてみると、なにかが見えてくる。

影響受けた俳人を3人に絞ると、荻原井泉水野村朱鱗洞尾崎放哉のように思える。
山頭火は、碧梧洞、井泉水の新傾向俳句の俳誌「層雲」に注目していたが、
大正2年に投句しはじめるのは、「自由律俳句の実作者としての朱鱗洞の句」に憧れてのことではないかと想像できる。
朱鱗洞は大正7年、悲しいかな26歳でなくなる。
その後、
山頭火は、大正8年から大正14年の間、「層雲」への投句はない

そして、大正15年4月、「分け入つても分け入つても青い山」の句を詠み、
行乞流転の旅に出た。
放哉の俳句に魅了されていた山頭火は、放哉亡き後、「層雲」誌上で異彩を放つのであった。
(ご存知のように、山頭火は敬愛した井上井月・尾崎放哉・野村朱鱗洞の墓参をしている。
 影響を受けた人たちである。それは彼の強い意志の現れであろう。)

 井泉水は、俳句は印象詩であると言ったが、
 山頭火、次のように云う。(大正4年)

 「私は最早印象だけでは―単に印象を印象として表白することだけでは
 満足ができないようになりました」。…俳句は「印象に即して印象の
 奥を探り、そこに秘められた或る物を暗示」する「象徴詩」でなければ
 ならない。(層雲 大正4年7月)
 印象詩として出発した我等の新しい俳句は象徴詩として完成
 されなければならないと「象徴詩論」を述べている。

 そして、昭和15年10月3日の一草庵日記に次のように記す。

 俳句性について
 印象の象徴化(刹那の永遠、全と個)
 結晶(圧縮にあらずして単純なり)
 身心の純化、平明にしてと透徹

 これが、山頭火が世の中の残した俳句についての最後の言葉である。

 大正4年から亡くなる昭和15年まで、俳句は象徴詩である、
 という考えは変わっていないようだ。

今日は、山頭火案内人月例交流会の日。

 理事長より、井泉水著「層雲の道」(昭和48年)の話があった。
 (P44ページの小さな冊子である。
 そこには、人間的魅力のある俳人として、
 野村朱鱗洞・尾崎放哉・大橋裸木・種田山頭火が紹介されている。)

 「山頭火」という号は、納音(なっちん)に依るものと思われ易いが、そうではない。
 おそらくは彼の気質が噴火山頭の焰の如き、はげしく燃えるものを理想としたのであろう、と紹介されているとのこと。

 以前からそのように思っていた。
 早稲田大学で文学を学び、文学で世に出たいと考えていたのであろう。
 かつて文芸誌での名前は火のように燃える山頭火であり、
 俳句の世界では、水の中に住む殻の覆われたタニシ、「田螺公」という名前を使っていた。俳句は、形にはまった殻の中の定型の俳句で遊んでいたのであろう。

 感ずる所あり、俳句で生きようとする。そのため「田螺公」をやめて、
 「山頭火」の号を使い始める。(大正2年)

 家も捨て、妻子も捨てた山頭火に残ったものは、俳句と鉄鉢だけであった。


 人間はひとりで生まれて、ひとりで死んでゆく。
 人間は孤独だからこそ、淋しいからこそ、人の愛情を求め、友を求める。

 やつぱり一人がよろしい雑草   山頭火
 やつぱり一人はさびしい枯草   山頭火


 今日、斉藤さんから頂いたシナリオの冊子を読ませていただき、
 このようなことを考えたが、これは山頭火倶楽部を代表するものではなくて、
 このように考える人もいるというメッセージです。
山頭火道後の酒 「一浴一杯」を持つ斉藤さん