今週の山頭火句

今週の山頭火句 旅のかきおき書きかへておく  山頭火

2011年12月1日木曜日

一草庵「今月の山頭火句」(12月)

  自 嘲
うしろすがたのしぐれてゆくか


高倉健さんイメージの俳優・斉藤真さん
 昭和六年の句。句の末尾に「自嘲」とある。出家をしても捨てきれぬものを背負っている己を嘲ったのか、いや今の自分はまだ悟り切れていないと思う心が、悟りに近づいているのかも知れぬ。(ちとせ)

網代笠をかぶって歩く山頭火の姿を象徴しているような句だ。
この句は、昭和6年12月31日の日記にある。
日記には、「うしろ姿」とあり、層雲昭和7年3月号にも「うしろ姿」記す、一代自選句集「草木塔」で、ひらがなに改めている。



伊藤完吾氏によると、層雲発表当時は、さほど話題にならなかった。
師の井泉水でさえ、前書きの『自嘲」という言葉にこだわり、むしろ「留別」として
見送ってくれる友人への挨拶としたらよかったのではと。
山頭火は、一代句集に載せたときには、自嘲の文字に加えて、「昭和六年、熊本に落ちつくべく努めたけれども、どうしても落ちつけなかった、
またもや旅から旅へ旅しつづけるばかりである」とその深い思いを記している。


山頭火は大正十五年四月
分け入つても分け入つても青い山
と詠んで、味取観音堂を捨てて、行乞流転の旅に出たが、

7年後の昭和6年12月22日。
歩きつかれて第2の故郷・熊本に落ち付こうとし、「三八九」を発刊し新生活に入ろうとしたが、ままならならず、新天地を求めて長い旅に出るしかなかったのだ。
その旅は、安住の地も求めて、嬉野温泉、関門海峡を渡って川棚温泉に落ち着く、昭和7年6月1日までつづく。
そのとき、詠んだ句が
うしろすがたのしぐれてゆくか 
だった。
「青い山」から「しぐれ」の句へと変わる心境の変化が読み取れる。
師走の大宰府の町を、ずぶぬれとなりさまよう、
おのれのうしろ姿に浴びせられる世間の冷たい眼差しを感じている。

最後の仕事を終えて、うら淋しく帰るサラリーマンのうしろ姿さえ、連想できますね。

この句を有名にした、近木圭之介さんの昭和8年6月5日に撮影した山頭火うしろ姿の写真があります。
近木さん曰く
「昭和57年の秋、生誕百年を記念する山頭火展が下関大丸であった時、一人の女子大生が街角でふと目にしたポスター。
”普通の人の背中ではなかった。何か人生の重みを感じさせるうしろ姿だった。たまらなくなり、その足で観に来た。”
この言葉は、今もって私には忘れ得ぬ言葉となっている。」


白樺を幽かに霧のゆく音か     秋櫻子

の句が、ある本に紹介されていて、

上高地の白樺の中を流れる霧を、作者は旅の一日、深く眺めいっていた。
―その耳に幽(かす)かに、実に幽かに、音を感じた。
白樺にふれゆく霧の、音なき声に聞き流れてゆく音であろうか。
「…か」という形は、この場合に適切な技巧であります。
と説明があったが、

「か」の一字は、山頭火のうしろ姿の句の方が、ずっと重たいように思う。

山頭火には「か」の句の名句が多い。

笠も漏りだしたか
石に腰を、墓であつたか
おとはしぐれか
焼き捨てゝ日記の灰のこれだけか

最後に、山頭火句の英訳を紹介しておきます。
   Self-reflection
The figure of  a man's back
     gradually  grows  faint
    in  the  icy rain          西村秋羅