今週の山頭火句

今週の山頭火句 二の丸三の丸さくらもみづりはじめて  山頭火

2012年2月12日日曜日

一草庵「ほろほろ句会」で、お勉強。

小林恭二の「俳句という遊び」、「俳句という愉しみ」という本を読んでいる。
当代一流の俳人、飯田龍太、三橋敏雄、安井浩司、高橋睦郎、坪内稔典、小澤實、田中裕明
岸本尚。第二弾のメンバーは、三橋敏雄、藤田湘子、有馬朗人、摂津幸彦、大木あまり、小澤實、岸本尚毅、岡井隆。流派を超えたメンバーが句会を開いた。
その句会録を説明し、"句会の空間”と”句会の醍醐味”を語る。

俳句の活字化にともなう結社誌の普及で、俳句という世にも真剣な遊びの世界が失われているという。
ただし、広義の句会は広くおこなわれている。
ある昼さがりの公民館。
出席者全員に俳句が回覧。出席者はその中からいいと思う俳句を六、七句選ぶ。
ここで人気の集中した句は高点句と呼ばれるが、重きをおかれることはまずない。
この手の句会で重要視されるのは、「先生」が選んだ句だけである。
先生は自分で選んだ句に対する評価を一方的に述べる。
それでおしまい。まっとうな句会とは言えない。
楽しみが欠如しているし、俳句を媒介にしたコニュニケーションがない。これでは「座」と言えない。
この本を読めば、「句会とは何か」が理解できるという。

「ユリイカ」(昨年10月号)では、「現代俳句の新しい波」を特集していた。
俳句ムーブメントの一つとして、公開句会「東京マッハ」が開催される。
参加者は、文筆家、俳人5名。一般向けに売り出されたチケットは完売。
伝統に縛られない若手が、独自の作風を模索し、語る。

道後温泉本館

とにかく2月10日、はじめて句会に参加。
皆さんに理解できるような句会録は紹介できないが、「ほろほろ句会」に参加しての感想を少し
綴ってみたい。
参加者は9名。道後温泉本館から一草庵までの吟行。
道後温泉は、入浴客の順番待ちの列が出来てごった返していた。
コスプレ山頭火が入浴して出てきた。さぁー出発だ。
「一浴一杯」を楽しんだ山頭火の真似して、山頭火・道後の酒「一浴一杯」を発売している
水口酒造を訪ねて、お酒の試飲を。

演劇ネットワークOffice59渡部和也さん

ずんぶり湯の中の顔と顔笑ふ
山頭火が”濁れる水の流れつつ澄む”の句を読んだ大川沿いを歩いて、一草庵へ向かう。

句会の開始。
俳句のできた人は、短冊の形をした細長い紙に3句書く、署名はしない。
書かれた短冊を集める、世話人はこれをシャッフルしてバラバラにする。
各人に清記してもらうため、何枚か短冊を渡す。清記句数は、29句、清記用紙は9枚。
清記用紙の右肩に番号を打つ。
参加者に清記用紙を次々と回し、それぞれ特選1句を含めて5句の選句をおこなう。
一草庵到着、しんじゅさんと朗善さん

選句結果の発表。
最高得点の句
  人待ちの燭(ともしび)小さく浅き春        烏天狗
二位の句   
  竹筒の中ほろほろと春灯(はるともし)      朗善
三位の句
  かきもちの上辺(うわべ)を愛でてをりにけり  きとうじん

上の二つの句は、
一草庵であっと驚く出迎えをしたいと、スタッフが用意した竹筒のロウソクの灯りに感動した句。
一草庵に到着した時は、まだ明るくてロウソクの灯りの印象は弱いものだった。
この二人は運がよく、暗くなって外に出で小さい灯りに春の気配を感じたのだった。

ほろほろ”は山頭火句の本歌どりとのことだったが、
ゆらゆらとゆれる炎は、まさに”ほろほろ”そのものだったとのこと。
竹筒の中は別天地で、ほろほろ酔っている山頭火がいるようでもある。
三位は、かき餅の句。
”かきもちの上辺”は、凹凸があり、ふくらんで黒くこげている、昔の懐かしい郷愁の味がする。
これも、スタッフがお接待として準備したもの。
カリカリと音をたてて、皆で愛でながら食べたのであった。
懐かしい味のかき餅

 さて、山頭火だったら、どの句を選ぶだろうか。
俳句は結晶、圧縮にあらずして単純なり。(山頭火)と言っている。
「人待ちの」「竹筒の中」の句は、「ローソクの灯」に注目、単純化して詠んだうまさに切れ味のよさを感じる。

また山頭火は、俳句の真髄は、印象の象徴化なり、とも言っている。
「かきもちの上辺」の句には、作者の気持が象徴化されているように解釈したい。
小さなかき餅という「個」をつうじて「全」を表現しているのでは…。
綺麗で上品なケーキよりも、人間の手づくりのよさをを忘れてないようにしよう、
そんな囁きが聞こえてくるようだ。だからこそ、親しみを感じて皆が愛でたのではないだろうか。

  まつすぐな道でさびしい  山頭火
目の前にある現実の道であると同時に、山頭火は、人生という道を象徴して表現している。
山頭火の句を考えてみる。
  ほろほろ酔うて木の葉ふる
  分け入つても分け入つても青い山
「ほろほろ酔うて」「分け入つても分け入つても」は山頭火の動作、
「木の葉ふる」「青い山」は目の前の情景。
このような作り方で、2音節でつくる句が多い。
ただ単に目の前に映る風景を詠んでいるだけのようだが、
山頭火の句は、むしろ人間の内面の姿を実感してしまう。
山や川や風や花が詠まれていても、象徴化された人間像がそこにある。

よって、山頭火は、次の句を選ぶのではないだろうか。
 かきもちの上辺を愛でてをりにけり 
読み手は、何故、何を、愛でているのだろうと考えるだろう。
人それぞれに。
「かきもちの上辺」に、何か忘れてはならない物があるように思えてきた。
象徴化された句には、羽ばたく力がある。 

私自身のこと。
はじめて句会に、”迷月”という名前をつけて参加。
 ブラサントウカ、サラサラ水音ザワザワ足音
ブラタモリにあやかって、ブラ・サントウカして、新しい発見を求めた。
音に注目した。水の音がサワサワと流れている。吟行者は、話しながらザワザワと音を
立てて歩いていく。吟行風景全体を何とか短い言葉で表現しようと努力した。
やっぱり、圧縮ではダメで、焦点をしぼって単純・平明に詠わなければならないと思う。
(刹那の印象にリズムをもたせ、刹那の出来事だけれども、永遠の命をうたいこみたい、
山頭火は、それを「刹那の永遠」といっている。)

それでも、この句をひとりの人が選んでくれた、嬉しかった。
とにかく、
山頭火さんが見てくれているような、一草庵での素晴らしい、楽しい句会だった。

<ちょっと発見!山頭火も見たであろう風景。>
ブラ歩きして見つけた百年以上経っているであろう、ヤシの木

古さ感じる、へんろ道の道標
昭和14年10月、山頭火が来た時にできた鳥居