澄太さんの句 |
昨年は、山頭火が3度にわたって足を運んだ信州の俳人・井月について勉強しました。
井月の亡くなった日が、明治20年3月10日(旧暦2月16日)のこともあって。
http://www.youtube.com/watch?v=Ol5WKmCKYT0
今年は、山頭火を世に出した第一の功労者・大山澄太さんについて学びます。
年に1冊、経本仕立の山頭火の句集を出雲の安部栄四郎さんの手漉き和紙で作って上げた人。
澄太先生に指導を受けた廣田弘子さんから、講座原稿が届いています。
それをもとに皆さんと「山頭火と大山澄太」について、お話します。
澄太先生、ご存知の方は、是非ご参加しスピーチを。
日時 平成24年3月10日(土) 10時30分~11時30分
場所 一草庵(松山市御幸1丁目)大山先生は佛通寺管長・山崎益洲に参禅。
山頭火を益洲老師に逢わせています。
あけはなつや満山のみどり
澄太の書による山頭火句碑が昭和19年に建立されています。
澄太先生の知られざる一面を紹介しておきます。
昭和16年12月8日(真珠湾攻撃の日)
![]() |
大山澄太さん |
東條首相は憲法に違反し、天皇陛下の御意にも反して戦争を始めたという。
その夜、大山先生はこのような不忠者の命を受けて働けないと決意して、
辞表を出し、退官する。
時43歳、高等官として、前途洋洋の時、月給なしの生活を送る。
澄太翁92歳の著作に「俳禅一味の山頭火」があるが、澄太さんこそ、俳禅一味の人だったのではないだろうか。
益洲書「雲晴心月幽」 |
益洲禅師の弟子双璧は、大山澄太さんと軍神といわれた杉本五郎中佐ではないだろうか。
杉本五郎のことはよく知らないが、あの弁慶のように、立ったまま弾丸を受けて絶命した人らしい。
妻に送った20通の手紙、私蔵すべきでないと出版された「大義」という本は戦争下の青少年のバイブルとなり、130万部も売れたそうだ。
山岡荘八「軍神杉本中佐」城山三郎「大義の末」の著作がある。
3月10日が楽しみだ。