2月11日には、毎日新聞・関野松山支局長の一草庵を訪れての「支局長からの手紙~ひよいと四国へ」が、新聞に掲載された。
そんなある日、K女史が「読売Life 四国版 3月号」を届けてくれた。彼女が取材された「出会いを求めて 山頭火の魅力をごゆるりと」が、カラー版で、ホットに紹介されていた。
見ているだけで、こころがホットし、温かい気分にさそってくれる。いつのまにか、なんとも優しい雰囲気がたちのぼってくる。<宗教学者・山折哲雄氏の言葉> 一草庵に来て、「山頭火さんにお会いでき、うれしゅうございました」と言われたのですが、私こそ、山頭火さんにお会いできたような気がしたのです。山頭火は、田主さんのような人ではなかったのかと強く思ったからです。 田主さんは、産経新聞 日ようスペシャルで「いい日本みつけた」を連載されています(版画とコメント)。2月11日現在で452号でした。 「山頭火の風景」を明るく版画に掘られていました。山頭火の句と同じように、思わず淋しい心が温かくなりました。今、ひとりで、大坂の茨城に住んでいます。蒲団の前には、山頭火の句集と日記をおいているそうです。心の隙間を山頭火さんが埋めてくれる、そして山頭火さんの句は、いまも生活の中に明るく生きている、と語られました。
本の中より、田主さんの山頭火風景を一部紹介させていただきます。
田主さんから、電話をいただいた。松山は素敵な処ですね。その思いを作品に残したいとのことでした。ふと三津浜の町を描いて欲しいなぁーと思ったりした。
(小林一茶も訪れて、「三津の渡し舟」にのり、夏目漱石も三津の港に降りて、坊つちゃん列車にのる。国木田独歩も訪れて三津の町の賑わいに驚いたという。 子規の俳句の先生は、三津の俳人大原其戒。お母さん八重さんの出里は、三津の加藤家。子規は三津の生けす料亭・溌々園には14回以上も訪れたという。秋山真之も一緒、坂の上の雲の人達の遊び場所だった三津は、今もレトロな町並が残る近代俳句発祥の地。)
田主さんは、一草庵の山頭火風景として、裏山の御幸山を”素敵な山ですね”と何回もめでていました。電話で、”私は今日からあの山を、「山頭火山」と呼ぶことにしました”とのことでした。
思わず、そうかと思いました。山頭火の魂は、あの山の中に今も生きている。そして山の上から、魂の暑い炎を吐いて、松山の人を見守ってくれているのだと…。
山頭火が毎日のようによ歩いた 一草庵の隣にある護国神社と御幸山 |