今週の山頭火句

今週の山頭火句 朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし 山頭火

2013年3月13日水曜日

留学生、一草庵で山頭火流に”こころすなほに”日本文化を堪能! 

「3月10日は、山頭火の日」
一草庵は、国際色で華やいだ。
午前中から、餅つきの音が、ペッタンコ、ペンタンコ…。

留学生、あんこ入りのお餅をつくっています。



今日の一草庵は、「茶室」に変身です。
床の間には、山頭火の「柿の会」のメンバーだった、広瀬無水がもっていたという山頭火の軸が飾られました。

   こころすなほに御飯がふいた  山頭火

留学生の皆さんは、お餅をついたり、着物をきてお茶席を楽しんだり、また山頭火の俳句を日本語で紹介し、自国語で感想を述べてくれました。一草庵で日本の文化を堪能してくれたようです。

「山頭火へのラブソディー」というイベント、山頭火さんにラブ・ソングを捧げました。
木城さんが、山頭火の妻サキノ役で、家庭人の目線で山頭火を語ってくれました。
「こころすなほに御飯がふいた」 アットホームな山頭火を感じたりもしました。

山頭火が唄ったという歌「赤城の子守唄」が、オカリナで演奏されました。

「赤城の子守唄」は、昭和9年2月に発売、歌手・東海林太郎の出世作。
山頭火の其中日記の、どこに紹介されているか調べてくださいとの宿題がでました。


私も、早速調べて見ました。

昭和10年8月25日 晴
山の鴉が窓ちかくやつてきて啼きさわぐ、赤城の子守唄をおもいだせとばかりに、―じつさい、おもいだして小声でうたつた、何とセンチなオヂイサン

 
昭和11年5月13日 晴―曇。
早朝出立
碓氷関所址、妙義の裏、霧義川の河鹿、松井田町(折からのラチ”オは赤城の子守唄だつた)



もう少し山頭火が唄っていた歌を探してみました。
みちのく鶴岡の層雲俳人・和田光利が語っている。
突然鶴岡の一流料亭新茶屋から電話が来た。
鶴岡きっての名妓をはべらせ、…三味にあわせ、野崎参りなど悠々と唄っていた。

♪野崎参りは 屋形船でまいろ…

 「野崎小唄」の作曲は、大村能章。「同期の桜」の曲も作っている。
山口県防府市出身、松崎小学校に通った、山頭火の後輩だ。
ふるさと思いの山頭火の愛唱歌は、「野崎小唄」ではないでしょうか。

※大村能章 (おおむらのうしょう) 1893年(明治26年)防府生まれ。中山晋平、古賀政男、江口夜詩とともに歌謡界の四天王と言われる約8000の曲を作曲する。







読売新聞、3月11日の取材記事です。