一草庵は、国際色で華やいだ。
午前中から、餅つきの音が、ペッタンコ、ペンタンコ…。
留学生、あんこ入りのお餅をつくっています。 |
今日の一草庵は、「茶室」に変身です。
床の間には、山頭火の「柿の会」のメンバーだった、広瀬無水がもっていたという山頭火の軸が飾られました。
こころすなほに御飯がふいた 山頭火
「山頭火へのラブソディー」というイベント、山頭火さんにラブ・ソングを捧げました。
木城さんが、山頭火の妻サキノ役で、家庭人の目線で山頭火を語ってくれました。
「こころすなほに御飯がふいた」 アットホームな山頭火を感じたりもしました。
山頭火が唄ったという歌「赤城の子守唄」が、オカリナで演奏されました。
「赤城の子守唄」は、昭和9年2月に発売、歌手・東海林太郎の出世作。
山頭火の其中日記の、どこに紹介されているか調べてくださいとの宿題がでました。
私も、早速調べて見ました。
昭和10年8月25日 晴
山の鴉が窓ちかくやつてきて啼きさわぐ、赤城の子守唄をおもいだせとばかりに、―じつさい、おもいだして小声でうたつた、何とセンチなオヂイサン!
昭和11年5月13日 晴―曇。
早朝出立。碓氷関所址、妙義の裏、霧義川の河鹿、松井田町(折からのラチ”オは赤城の子守唄だつた)
もう少し山頭火が唄っていた歌を探してみました。
みちのく鶴岡の層雲俳人・和田光利が語っている。
突然鶴岡の一流料亭新茶屋から電話が来た。
鶴岡きっての名妓をはべらせ、…三味にあわせ、野崎参りなど悠々と唄っていた。
♪野崎参りは 屋形船でまいろ…
♪野崎参りは 屋形船でまいろ…
「野崎小唄」の作曲は、大村能章。「同期の桜」の曲も作っている。
山口県防府市出身、松崎小学校に通った、山頭火の後輩だ。
ふるさと思いの山頭火の愛唱歌は、「野崎小唄」ではないでしょうか。
※大村能章 (おおむらのうしょう) 1893年(明治26年)防府生まれ。中山晋平、古賀政男、江口夜詩とともに歌謡界の四天王と言われる約8000の曲を作曲する。
ふるさと思いの山頭火の愛唱歌は、「野崎小唄」ではないでしょうか。
※大村能章 (おおむらのうしょう) 1893年(明治26年)防府生まれ。中山晋平、古賀政男、江口夜詩とともに歌謡界の四天王と言われる約8000の曲を作曲する。