「第30回山頭火俳句ポスト賞」
この辺に牡蠣船ありて山翁忌 松山市 西 敏秋
【評】【酒にだらしなかった山頭火が、道後にあった「牡蠣船」の付馬をつれて藤岡政一さんのところに行き、藤岡さんと高橋一洵さんの二人が借用証書を書いて山頭火を引き取ったのはファンの間では有名な話。昭和十五年の五月五日のことである。その年の今日、十月十一日に山頭火は没した。山頭火の人生や藤岡さんや高橋さんの暖かさが書き留められており山頭火俳句ポスト賞にふさわしい句だと思う。(小西)
山頭火一浴一杯賞
ふるさとへ防府の方へ野分雲 松山市 髙橋孝伯
【評】山頭火は、明治十五年に現在の防府市に生を受け、大正十五年に「解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出」たのであるが、「ふるさとへ防府の方へ」という畳み掛けるような表現が季語「野分雲」とうまく響き合い、故郷に対する逸るような気持ちが一句全体から伝わってくる。また、野分を引き起こす雲である「野分雲」は山頭火の生涯の暗喩であるとも考えられる。(白石)
山頭火柿しぐれ賞
小西昭夫選
【特選】
似て非なる自重に自嘲茨の実 松山市 西野周次
【評】広辞苑には自重は自分の行いを謹んで、軽々しくふるまわないこと。自
嘲は自分で自分をあざけること、とある。全く同じ「ジチョウ(・・・・)」であるが、
意味は異なる。二つの単語はどちらも自分をみつめる言葉である。季語の茨の実は、
秋、野山に自生するバラ科の落葉低木で赤い小さな実が熟す。自分を戒め自分の内面を
振り返る時、茨の実は的確な季語となっている。(本郷)
【特選】
路地裏は早く暮れをりすいっちょん 松山市 今岡美喜子
【評】「すいっちょん」は馬追のこと。秋になって虫たちも鳴き始めた。日暮れも少しずつ早くなってきたが、路地裏の日暮れはさらに早い。そんな秋の深まりとさみしさを馬追の鳴き声に託して詠んだ。「すいっちょん」の押さえが見事である。
【入選】
父知らぬ我が人生や終戦日 松山市 大川忠男
【評】「父知らぬ我が人生」にはそれだけ苦労も多かっただろう。何とか生き抜いて今の生活がある。だから、「終戦日」には万感の思いがこもる。戦争でお父様をなくされた方も多く、類句があるだろうことは予測できるが、個人の思いとしても二度と戦争を起こさないためにも何度でも書かれなければいけない句である。
白石司子選
【特選】
【特選】
余生にも目指すものあり青き踏む 松山市 大川忠男
【評】社会的な活動期を終えた後、つまり、「余生」は静かに送りたい思うのが一般的かもしれないが、この作者は尚且つ「目指すもの」があるのである。そして足の裏から春の喜びを味わうという季語「青き踏む」から前向きな姿勢が窺える。
【入選】
一草庵ラムネと語る昭和かな 松山市 西 敏秋
【評】清涼飲料の数も増え、いまは懐かしいものとなった「ラムネ」。そのラム
ネを媒介として作者は誰かと昭和を語ったのであろう。何となく「おちつい
て死ねさうな」、いや、ゆったりとした気分にさせてくれる「一草庵」だか
らこそ、こういった心境にもなれるのである。
本郷和子選
【特選】
白まんま炊き上ぐ八月十五日 松山市 辻原雅子
【評】白まんま(・・・)は白いご飯にこと。昔このような言い方をしていた人も多い、
日本人として決して忘れてはならない終戦の日、白い飯を炊くことのできる意味は深い。昭和二十年に生まれた人はすでに七十五歳となる今、戦争を知らない人間ばかりとなる時代は恐ろしい。白まんま(・・・)とあえて表現したことで当時の状況、情景を彷彿とさせる共感句である。
【入選】
水兵帽残る生家や終戦日 松山市 浅海好美
【評】特選・入選とも終戦日の句を選んだ。作者の父上かどなたかが海軍の兵士であったのだろう。水兵帽は、七十五年経た今も、大事に保管されているのだ。作者は、この水兵帽を見て、どういう思いを巡らせているのか「白まんま」の句と共に読む者の心にずっしりと訴えるものがある。句の裏側には、「戦争は絶対にしてはならない」というメッセージが込められている。