今週の山頭火句

今週の山頭火句 旅のかきおき書きかへておく  山頭火

2011年12月3日土曜日

「第5回俳句一草庵」の吟行風景です。

皆さん、今日12月3日は「山頭火さんの誕生日」です。

今から、130年前山口県の防府で生まれています。<明治15(1882)年12月3日>
生誕130年、山頭火案内人のおもてなしの神様のようなAさんが、お仏壇に山頭火さんの好きだった、おうどんと、お豆腐を供えてくれていました。

平成23年11月23日には、5回目を迎える「俳句一草庵」を開催日しました。
(吟行コースは、長建寺から一草庵でした。)

その吟行風景を紹介しておきます。
①長建寺前に集まった俳句仲間たち。
 ガイドが急遽、私にまわってきました。
 ふと思い出したのですが、西村京太郎ミステリー紀行「十津川警部が見た風景」が、
 BSテレビで放映。長建寺の句碑を紹介するということでしたが、結果的にはカットされたそうです。
「松山・道後十七文字の殺人事件」の舞台として。
亀井刑事が、俳句ポストに投句した俳句が特別賞に入選して、松山へ招待されるのです。
小説の中に「松山へ行ってわかったんですが、句碑が多いですね。石を投げれば句碑に
当たるといわれています。市内の句碑は、3百以上あると聞きました。俳句のメッカですね。
松山と関係のある俳人も、正岡子規、高浜虚子、中村草田男、それに、山頭火とー
それぞれのところで、山頭火の名前はでてくるのですが、俳句の話はありません。
1万2千あまりの句の中に、「血の匂い」「怨念」「二人が死ぬ」といった、不気味な言葉が
詠まれた「復讐」を宣言するような三句から事件が始まるのです。

テレビ局から問い合わせのあった、大島梅屋の句碑から、ガイドを始めました。


②山頭火さんと、高橋一洵さんの対面の句碑を見て、
斉藤茂吉に愛された「永井ふさ子」の一人墓へ向かいます。

③高橋丈雄さんのお墓を見て、高木和雷のお墓へ。
和雷さんは、山頭火、一草庵「十六夜柿の会」のメンバーです。
明治32年2月19日 松山市高砂町生れ、オリオン写真館店主。
平成元年1月5日没、90歳。
和楽院蕾誉圓鏡居士

 昭和15年10月10日 一草庵で最後の句会ありました。山頭火さんは、お酒を飲んで、いびきをかいて寝てました。
山頭火の枕元のに置かれていた和雷の句です。

祭の町は新しい下駄が歩く
さかなふと息する包丁といどる
夕煙家を巻きつつ柿うれてゐる

お通夜での追悼句会の句も紹介しておきます。

亡きあと菜がつけてある   和雷

山頭火の作った菜っ葉の漬物があったのでしょう。

④住職さんが特別に解放してくれた、書院づくりの「天岳楼」で句作に励みます。

色づきはじめた天岳楼から見る池泉庭園
天岳楼