この現代社会へのメッセージ、なにかしら、ホロッと涙した。
全国放送されていない番組なので、ブログではうまく伝わらないと思うけれども、
情報発信させていただきます。
これは、山頭火の一句、死の一ケ月前に詠んだ
「濁れる川の流れつつ澄む」の物語だった。
山頭火の濁った人生が、最後の四国の旅をして、自分の人生が澄んだと思える境地に達したというのだ。
山頭火の俳句によって助けられたという全国各地の4人の人たちが登場する。
そして、山頭火の俳句は、リストラ・いじめのある、生き辛い現代社会を生きる人達の道しるべになっているのだと紹介される。
私は、山頭火のことは少し勉強しているので、
現代人が山頭火の句によって、どのように救われたのかという処を紹介する。
その一人は、僧侶。
俳人山頭火の
まつすぐな道でさみしい
の句に人生を導かれた。
僧侶になるという決まった道に抵抗を感じていたという。
迷うからこそ、生きるのは難しい。自分の弱みをさらけ出して歩く山頭火の姿に見えないものが見えてきたという。正しい道をまっすぐ進むことこそ、難しい、そんな人間はいない。迷うからこそが人間なのだ。そして人間の弱さに向き合う僧侶になろうと決めたそうだ。
”人間の弱みを山頭火は知っている。自分の弱みをいつもさらけ出している。単にまっすぐに行っても、良いことではない。紆余曲折を経ていったところに、見えないものが見えてくることがある”という。
その二。うつ病を経験して立ち直ったというサラリーマンの話。
生死の中の雪ふりしきる
山頭火の句を詠んで、人生のどん底から救われた。
うつ病と医師に診断され、自分の生きている意味はあるのか、と自分に問う。
生きることに悩んで、あらゆることから、逃げ出したくなったという。
休職中、図書館で山頭火の句集を手にとる。
そして、この山頭火の句に引き込まれたというのだ。
山頭火も生きることに悩んでいるではないか、辛いのは自分だけではないと知る。
うつ病も、本来だれもが持っている苦しみと同じなんだと考えるのです。
”あらゆる動物、生死をかけて雪の降るしきるような道を歩んで行く。それが生きる唯一の方法なんだ。苦しみは、生物本来が持っている生きる苦しみと全く同じじゃないか、これで自分は救われると思って、ぼろぼろ泣いた”という。
この不安が和らいで、半年後、職場に復帰したという。そして何事にもとらわれない生き方に多少近づけたという。
だまつて今日の草鞋穿く
そんな時、この山頭火の句が、背中を押してくれる。
サラリーマンとして、今日の仕事を始める、その一歩として、革靴を履く。
草履が革靴に変わっているけれども、今日一日頑張ってみようと思う。
その時に、助けられた山頭火の俳句がある。
柳ちるそこから乞ひはじめる )
※これまさに、仏の教えですね。6年間苦行して悟った、真理に目覚めたお釈迦様の言葉のようです。人生は苦しいもんだ、楽しいことは長続きしないのだ。
老いも、若くありたい。病も、健康でありたい。死も、長生きしたい、とこだわるからこそ、「苦」になるという。生まれいるからこそ、必ず死ぬる、若さに執着するから苦しむという。
だから、こだわるなと教える。
高いか安いか、これには実態はないのに、例えば一万円という条件で判断したりする、アフリカの難民からすると、裕福な日本の人を羨むことでしょう。大富豪はどうでしょうか。「苦」の構造は、理想と現実のズレから起るという。人生は「苦」から逃れられない、「苦」があるのは当たり前というのが釈迦の教え。「空」ように、からっぽになろうと教える、そんな話を思い出しました。
生死=人生は、雪ふりしきる=「苦」の存在、そのものなのでしょうか。)
その三。心を病んでいる母の介護を続ける人。
山頭火のお陰で、自分の人生を受け入れることができたという。
その一句が、山頭火の
捨てきれない荷物のおもさまへうしろ
自分の心の荷物をいくつもいくつも思い出す。
山頭火だって、こんなに悩んでいた、重い荷物を背負って山頭火さんも歩いている。
自分の荷物もちょっと軽くなって、自分も歩いていけるという気持ちになったという。
そして、四国遍路の旅をする。遍路して、歩いていると、すべてを忘れるともいう。
という山頭火の句が、心をささえてくれるという。
自分が求めるものは雲のように掴めないものかも知れない。
それでも、そこへ向って歩いていけばよいと信じているという。
”人それぞれ、いろいろな人生があるでしょ。これが私の人生、生き方だと受け入れていこう。
母と一緒に歩いて行こう”と思うとのこと。
その四。北海道旭川に住む左手の書道家。
26歳の時、脳梗塞を起こし、右半身が麻痺する。
その絶望を救ったのは、山頭火の句だった。
この道しかない春の雪ふる
左手があったことを山頭火さんが、自分に教えてくれたという。
ふるかえらない道をいそぐ
辛かったことを、振りかえってもしょうがない、前を向いて道を歩くしかないと考えて、
生きがいの書道の道を続ける。
最後に、竹中直人さんが。
57年の山頭火の生涯に、流れる人生をを重ねあわせた
濁れる水の流れつつ澄む
山頭火について語り始める。
”濁れるということは、別に悪いことではないと思う。
濁っていない人は、つまらないと思う。
ちょっと、屈折したり、なんかイジケたり、人のことを何だあいつと思ってみたり、
でもそれが、人間らしいことであって。
繊細で、傷つきやすい、
でも、孤独が好きで
でも、淋しがり屋で
でも、人とかかわるとうっとおしいし
でも、やっぱり人に逢いたいし
そんないろいろな葛藤を自分の中で繰り返してきた人だと思う。
いろいろな想いが重なり合って、
濁って、それが、さぁーーと 何にもないっていう感じになった、という世界かな。”
そんな気持ちがするという。
<これこそ、道元禅師がいう、山頭火が求めた「身心脱落(しんじんだつらく)」の境地だろうか。)
そして、すべてを受け入れて、あるがままに生きよう。
山頭火の魂の言葉は、現代に生き続けている、として、
山頭火は、松山の大街道商店街をうしろ姿で歩いていく。
観無量寿経に、南無阿弥陀仏と声を出して、十念を称すれば、
八十億劫の生死の罪が除かれるという、山頭火の一句を10回唱えれば、浄土に行けるのではないだろうか、考えすぎのようですね。!?
<補足>山頭火の享年について
1940-1882=58歳、享年ということなので、
お母さんの母体に命が宿ってた年からということで、
一草庵では、享年59歳としています。