今週の山頭火句

今週の山頭火句 朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし 山頭火

2012年12月17日月曜日

韓国の山頭火と言えば、放浪詩人・金笠(キム サッカ)

一草庵に、韓国慶州から韓国俳句研究院院長の郭大基さん、ほか金秀聲、本郷民男さんが訪問された。

右・郭大基さん、左・本郷民男さん


郭さんは、日本固有の伝統文化に触発され、私財を投じて韓国俳句研究院を創立し、俳句講座・俳句大会を通じて日韓の文化交流を推進されている。

日本語はペラペラ、韓国・日本の文化にも通じていて、ビックリした。
日本語で綴られた句集をいただいた。
韓国の大学生は、英語は誰でも話せ、第2外国語として、日本語を勉強しているため日本語にも堪能であるとのことです。

こんな俳句を紹介してくれました。

空腹の午後 目で食べる ヒトツバタゴの花
「ヒトツバダゴ」 とは、 「ナンジャモンジャ」 の花のことなのだそうです。
松山でも、ナンジャミンジャの木はあり、5月頃東雲神社で粟粒のような白い花が咲いています。

「배고픈오후  눈으로먹는다네  이팝나무꽃」

 <5文字>   <7文字>   <5文字>  

韓国語では、5文字、7文字、5文字 ハングル文字の数で、五七五で表現しますが、    
日本語で俳句は作られるようです。
「花にご飯を連想し、貧しい時代にも思いをはせ、
自然と対話する作者の姿が見えてくるそうです」<郭先生>

郭先生の句をお聞きしました、冬の句を。
一人ずつ一安心や年賀状   郭大基

そして、山頭火の句を韓国で紹介してくれているのです。
うどん供えて、母よ、わたくしもいただきまする」の韓国語の説明文もみせていただきました。
そして一番印象的だったのが、朝鮮の山頭火とも呼ばれる
金笠(キムサッカ)1807ー1863のお話でした。

韓国の放浪詩人・金笠
本名は炳淵(びょんよん)。
いつも笠をかぶって、全国津々浦々を放浪したしたので、金笠(キムサッカ)を呼ばれているそうです。名門の生まれなのだが没落後、22才で妻子を残し出奔。24才で一時家に帰るが再び家出。57才で路傍に倒れるまで家に帰ることはなかったそうです。
その生涯の悲劇性にもかかわらず、その詩は鋭い風刺とユーモアを湛え、死後150年を経た今も韓国の人の心を捉えつづけています。
権威を嫌い、酒を愛し、自然の心を詠いながら路傍に果てた旅人、日本の山頭火のような人が、すでに朝鮮にいたのです。
金笠(キムサッカ)を語りながら、山頭火を語ると、韓国の人は共鳴するそうです。
※日本においては、朝鮮を旅行中だった三好達治が「金笠詩集」読み、「漂泊詩人金笠に就て」という評論を雑誌『文学界』に5回にわたって発表している。
芳賀徹氏、李御寧氏、有馬朗人氏
第4回国際正岡子規俳句賞スエーデン賞を受賞された
李御寧氏を思い出した。
2009年2月15日の愛媛会場レセプションでお話する機会を得た。

李御寧(イー・オリョン)氏は、
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」。柿を食ったら腹が満たされた、あるいは柿を食ったら腹が冷えたというならわかる。先生なぜ柿を食ったら鐘が鳴るのですか? と学生に言われる。
韓国人には、何の句か誰もわからないだろうと言われて、自分で研究し始めたそうだ。
 夕焼の空に柿が染まる、鐘の音はいつしか消えてゆく、しかし建築物としての法隆寺は消えることなく、そこに存在しつづける、そんな宇宙観を詠っていると説明してくれたように記憶する。

李御寧氏には、名著「縮み」志向の日本人 」がある。
「盆栽、生け花、床の間、四畳半、一寸法師、ウォークマン
日本人はなぜ「小さきもの」が好きなのか。
日本の縮小志向の代表的な例が俳句にあらわれていることに気がつき、
俳句の国の文化にメスを入れる。

最後になるが、今回の旅の目的は、俳人・村上杏史を訪ねる松山紀行の様だ。
村上杏史先生は、松山市中島町の生まれ、瀬戸内海に浮かぶ島・中島。
韓国木浦に居住(15年間)して、新聞記者を務める。
朴魯植に俳句を奨められる。
清原枴童を木浦に迎え、昭和23年福岡で亡くなられるまで指導を受ける。
木浦にて、俳誌「カリタゴ」の創刊に参加。
松山に帰郷して、俳誌「柿」の創刊に参加。
「清原枴童(かいどう)全句集」「朴魯植(ろしょく)俳句集(高浜虚子に認められたが、36歳で早世)」を刊行。
   蝶とぶや観世音寺の鐘遠く  枴童

 まだ、千秋寺の杏史先生の句碑を見ていないとのことなので、案内した。
勿論、長建寺の山頭火の句碑も見ていただいた。
「金色の仏の世界梅雨の燈も 杏史」
の句碑の前で、金秀聲さんと本郷民男さん
本郷さん曰く、杏史先生は、韓国で俳句を始められ、朴魯植先生、清原枴童先生亡き後も、韓国の俳句を指導し、自費で二人の先生の句集を出された。
韓国俳句の恩人であり、韓国との文化交流の先駆けの人ですと。
 探していたら、杏史先生の短冊が出て来たので、紹介しておきます。

酔妓生起ちて倚りたる桜哉
沖まねき山招きして踊の手
取材してくれた愛媛新聞の高橋さんが、記事にしてくれましたので、掲載します。