「第9回山頭火俳句ポスト」ブログです。(黄色の部分をクリック)
白石先生と本郷先生の選に選ばれた「秋雨や心の中の落し物」の句は、
台湾・義守大学の19歳、林子涵君の作です。
彼のメッセージが、
台湾・義守大学応用日本語 花城可裕先生から、新年早々届きました。
この度は、大変な賞を給わり、まことにありがとう御座いました。
俳句の聖地・松山での受賞は、私達外国で俳句を勉強している者の何よりの励みになります。
今回の受賞者・林君の「受賞の喜び」と題する文章です。
<受賞の喜び>
義守大学 応日系 三年 林子涵
秋雨を見ていると、まるで自分の心の中にも雨が降っているような感じになります。
そして、心の中に形容しがたい感情が浮かびます。
その気持ちには、寂しいとか、悲しいとか、苦しいとか、又は、嬉しいとか、楽しいとか、懐かしいとか…がごちゃごちゃに入り混じっています。
私の想いは一体何なんだろう?自分は何を探しているのか?何が望みなのか?
私は考えます。何度も、何度も…
この気持ちを俳句にしたのが「秋雨や心の中の落し物」でした。
二年生の時に、初めて作った俳句だそうです。
写真も送ってくれました。
記念品の山頭火Tシャツをきた林君、イケメンです。
説李守愛学科主任、林子涵君、花城先生 |
私、何よりも台湾の美空ひばり、テレサ・テンの大ファンでした、今でも。
(先生は、日本語の授業に俳句を取り入れているそうです。)
※台湾には、正岡子規の弟子・渡辺香墨がいて、果物好きの子規に台湾のバナナを送ったという記録も残っています。
河東碧梧桐も、台湾鉄道縦貫全通記念の式典に訪問し、台湾にいる俳人たちに刺激を与えているようです。
さて、全世界の皆さん、郵送での山頭火俳句ポストへの投句も受け付けます。
どんどん投句してください。
投句先、〒799-2651
日本国愛媛県松山市堀江町甲1615-3
NPO法人まつやま山頭火倶楽部
「山頭火俳句ポスト」係 宛て
次回、俳句ポスト開函日は、3月31日です。
山頭火倶楽部では、春と秋に「俳句一草庵」というイベントを開催しています。
春は、全国から俳句を募集し、秋は、山頭火と歩こう吟行句会を実施しています。
今年は、秋の俳句一草庵は、東京で開催されている「一茶・山頭火俳句大会」に協力して、
「一茶・山頭火全国俳句大会」を松山で開催する予定です。
金子兜太先生や村上護先生も来てくれるそうです。
松山の人たちは、「俳句一草庵」と言えば、山頭火の好きな人の句会だと思っているようですが
そうではありません。
「俳句甲子園」に準じた俳句大会にしたいと願望しているのです。
俳句甲子園って、素晴らしいですよ、若い人の純粋な熱気がプンプン、松山・商店街の大街道に激しい青春のディベートが飛び交います。
知らないうちに、春の「俳句一草庵」へは、全国の高校生が、夏の俳句甲子園の予行演習だといって投句してくれています。
「俳句一草庵」は、高校生に限定しない、老若男女にとらわれない、全員参加型のオープン・ライブの句会です。
一草庵に設置した「山頭火俳句ポスト」には、アメリカ、オーストラリア、カナダ人の投句、そして、台湾からの投句もありました。フランスの俳人、韓国の俳人の人たちとも、ご縁ができました。
「俳句一草庵」、世界各国からの自由に参加できるライブ句会になれば、素晴らしいですね。
今や、俳句こそ、お金の余りかからない、世界に知られている日本文化ではないでしょうか。
絵を描くのに、それを表現するのに、洋画も、日本画もないじゃないですか、使う道具やルールが違うだけ。
音楽を奏でるのに、クラッシックも、JAZZも、演歌も、ツールと表現方法が違うだけ。
茶道にも、華道にも、政治にも派閥が沢山あります。
お互いに刺激を求とめあえばいいのに、閉鎖的です。
オリンピックの競技には、それがないようです。
俳句の世界も、多分に閉鎖的社会のようですね。
山頭火も亡くなって73年です。50年経つと、物にも骨董的価値が発生するそうです。
よって、山頭火も古典です。山頭火は、一草庵で、新しいほんとうの俳句を求め続けました。
芭蕉が言っているように
「古人の跡を求めず、古人の求めた所を求めよう」ではありませんか。
そんなことまで考えてしまった、台湾からの新年の嬉しいメッセージでした。
<追加>
画家・中川一政の言葉を紹介しておきたい。
『日本では洋画と日本画とを区別している。随分おかしい。そして肩書にも、日本画家、洋画家と区別している。なるほど材料は違うが、同じ画かきではないか。画かきに区別はない。…
梅原龍三郎は、美術は感動だということを教えた。「美術」というから、美しくなければいけないと、みんな思っているようだけど、いつも言うように、画はきたなくていい。それよりも生きているか死んでいるかが、大事なことだ。美しく整って死んでいる画より、きたなくても息をしていればいい。…
日本の芸術というのは、昔から花鳥風月ということを大事にしてきた。川端康成がノーベル賞をもらって「雪月花」と言っただろう。あれなんだよ。俳句も和歌もそうだし、画にしても床の間に掛けて、かわいがられた。みんなにかわいがられて、お茶を飲む相手になったきた。
僕の画というのは、感動をいかにして画のなかに入れるか、ということだ。… 「花鳥風月」を描くのではない。だから感動が死んでしまうような画は描かない。
だけれども、「美術」というからには美しくなくてはならない、という間違った考えは、まだまだ多い。
「花鳥風月」が、すいぶん多いよ。
この間、書をかいてくれ、と頼まれた。「花鳥風月」と書いてくれ、といわれてね。困ってしまった。
書けないよ、そんなの。』