『第10回山頭火俳句ポスト賞』を発表します。
(一草庵俳句ポストへの投句期間は、 24年11月1日~25年2月28日です。)
一草庵の山頭火俳句ポストに投句された俳句は、124句(内、県外句の数は24句)。
東京都目黒区・練馬区、東京都昭島市、千葉富里市、横浜市、神奈川海老名市、京都市、京都長岡市・八幡市、大坂枚方市、岡山市、広島市、山口市、高松市、香川県直島、熊本市、福岡久留米市など全国各地からの投句より、各選者の先生に優秀句を選んでいただきました。
表彰式は、4月28日(日)の公開句会「俳句一草庵」の会場で行います。
山頭火俳句ポスト賞
合掌をほどきて蓮の花弛む 松山市 西野周次
(評)蓮の花と聞いて、まず連想するのは仏教。仏像は蓮台に座り、日蓮は釈尊の悟りの世界が「妙法蓮華経」にあると説いた。その蓮の花の固い蕾を「合掌」と呼びその開花を「ほどく」と詠む。
蓮の花に仏教を感じての表現である。開いた蓮華のはんなりと匂う様子が目に浮かぶ。(熊野評)
小西昭夫・選
【特選】 お正月道行く人はみなきれい 松山市 竹田大聖(12歳)
(評)新しい服やお気に入りの服を着て、新しい気持ちで迎えるお正月。
そんな正月の目出度さが見事に書き止められている。道行く人もそうだが、自分もきれいなのだ。「きれい」というのは、俳句ではタブーに近い言葉なのだが、童心の輝きがそれを上回っている。
【入選】 とんぼあわてている電車の中 山口市 河野恵子
(評)おかしい。こういうことってあるよなあ。何輌もある電車ではなく、
一輌だけの市内電車の感じ。窓を開けて走っていた電車にとんぼが飛び込んできた。電車から出ようとするが出られない。乗客はみんな笑ってみている。「あわてて」の擬人化が見事成功している。
白石司子・選
【特選】 キューピーいつも手を挙げており春である 松山市 村上邦子
(評)キューピッドの絵を模したセルロイド製のおもちゃキューピーは、そういえば「いつも手を挙げて」いる。「いつも」だから、もちろん季節は関係ないのだが、作者は「春」を感じた、いや、「春である」と断定。そう、いつも我々が気付かずにいる、そんなささやかなところに「春」はあるのかもしれないと掲句を味わいつつ思った。
【入選】 お正月道行く人はみなきれい 松山市 竹田大聖(12歳)
(評)多様化する現代社会において伝統行事への関心が薄れつつあるが、「お正月」だからこそ、「道行く人はみなきれい」といった感性は大切にしてほしい。例えば、「道を行く人みなきれいお正月」などとすると説明的になるが、「お正月」を上五にもってきたことにより、独特の華やいだ景や、作者自身の新たなる思いなどが先ず伝わってきて、お正月に対する感動を一層深いものとしている。
本郷和子・選
【特選】 弱気一喝底冷の閻魔の目 東温市 井門敬之
(評)底冷えのする日、閻魔大王の絵か、何かを見たのだろう。
いろんなことがあって弱気になっていた作者は、閻魔大王の目に睨まれて、まるで「なにをくよくよしているのか“しっかりしろ”」と大声で一喝されたような気がしたのである。七・五・五で導入部を「弱気一喝」と強く言い切ったところがこの句を一層インパクトのあるものにした。この句を読んだ私も、思わず背筋をピンと伸ばしたものだ。
【入選】 ガラス越しに草庵のぞく春の旅 京都市 中村優江
(評)旅人が、一草庵へ立ち寄った。
一草庵はだれも居ず戸も閉まっていた。ガラス越しに覗いて、当時の山頭火の生活を想像してみた。静寂な春のひととき、ガラス窓に春の陽が差し込む縁側で、山頭火が昼寝していそうな気もするのだ。
「春の旅」がこの句をやさしく温かいものにしてとしている。
熊野伸二・選
【特選】 敗戦忌もう我儘にいきようか 松山市 佐藤トラエ
(評)さきの大戦で、日本では300万人が死亡、全国の都市が焼夷弾攻撃で焼け野原にされた。すべてを失った国民は、ストイックな生活を強いられた。そして迎えた何十回目かの敗戦忌。齢も重ねて後顧の憂いもない。「もう好きに生きたい」と思っても文句はあるまい。我儘でいいと思う。
【入選】 球根を植えて逢いたき人のこと 松山市 谷美枝子
(評)球根はチューリップかグラジオラスか、はたまたヒヤシンスか。とにかく花を咲かせようと球根を植える。植え終った安堵感にかぶせるように、ふと、その花から、ある人を連想し「逢いたい」と思う。それは異性である必要はない。花のように美しい人なのだろう。
俳句ポスト子ども賞
天とく寺さくらきれいにさくのかな 松山市 竹田亜那(9歳)
(評)桜がまだ咲いていない頃、天徳寺へ来たのでしょう。
大きな桜の木は、まだつぼみで、暖かくなったら、きっと満開に咲き満ち
て、きれいな姿を見せてくれるだろうと、期待している様子がよくわかり
ます。
<コメント>
お正月道行く人はみなきれい 竹田大聖
昨年の嫌なことなど、みんな捨ててしまっているのでしょうか。
目の前の、今の一瞬をとらえた中に、大きな世界が見えるようです。
そんな理屈もない、純化された真っ新(さら)な心がきれい。
まるで、山頭火が作ったような俳句です。
今日3月29日の一草庵のスナップを紹介しておきます。
可憐な山桜が満開でした。
山頭火の句に、桜の句があります。
さくらさくらさくさくらちるさくら 山頭火
桜は、満開。
目の前は、桜のはなびらで一杯。
さくらの文字を4回も繰り返してリズムをとっている。
咲くさくらと、散るさくら。
ひらがな文字だけの表現がいい、白い裸のさくら姿を連想する。
桜の舞う姿は、美しすぎる、その姿を詠った名句です。
護国神社参道の桜 3.31 |