一草庵にある山頭火俳句ポストに、25年3月1日~6月31日に投句された俳句です。
投句された俳句は125句。(内、県外句の数は25句) 東京都目黒区・あきる野市、愛知県碧南市・岡崎市、埼玉県三郷市、岡山市、松江市、広島県大竹市、福山市、山口県岩国市、徳島県三好郡、福岡市など全国各地からの投句から、俳句選者に優秀句を選んでいただきました。
山頭火俳句ポスト賞
鮎食べて土佐の一夜を雑魚寝せり 松山市 酒井裕子
(評)「鮎」と「土佐」の豊かな自然の取り合せ。「土佐」と「雑魚寝」の豪快な言葉の取
り合せ。「鮎」「土佐」「雑魚寝」の言葉がお互いに響き合って野趣溢れる世界を作り出した。山頭火にもこんな日があったのではと思うが、何よりもこの句の骨太さが魅力である。(小西評)
小西昭夫・選
【特選】穏やかに生くはむつかし薔薇を剪る 松山市 玉井良子
(評)穏やかに生きようと誰もが思うのだが、なかなかそうは行かない。世の中腹の立
つことも多い。また、頭にくることがあったのだが、じっと我慢。薔薇を剪って心を落ち着かせるのである。上五中七の感懐から下五への転換が見事。
【入選】訪れる人なし雨の音を聴く 松山市 堀口浩良
(評)十七文字だが、無季のつぶやきの句である。自由律俳句らしい俳句である。定型俳句風にいえば句跨り。「訪れる人なし」「雨の音を聴く」のたたみかけが静かさを加速する。「聞く」のではなく「聴く」ところに単なる孤独や寂しさではないゆとりがあるか。
白石司子・選
【特選】晩節や風鈴風の意のままに 松山市 丹下恵美子
(評)晩年は、風の意のままの風鈴のように生きたいという万人に共通する思い。上五「や」の切れ字が効果的で、導入部の「晩節や」が、読者のそれぞれの境涯へと思いをめぐらせる。「風鈴風の意のままに」のような「自在」こそ、山頭火が最期に至った境地かもしれない。
【入選】星占いとばし読みして星涼し 松山市 村上邦子
(評)混沌とした世の中だからこそ、結構気になってしまう「星占い」。でも、自分自身に関係するものなどを「とばし読みして」しまえば、暑い一日の終わりに見上げる涼しさを誘う星のような涼しさ、いや、涼しい顔でいることができる、という諧謔味あふれる一句。
本郷和子・選
【特選】念ずるも薫風受くも戒むも 松山市 西野周次
(評)一句に三つの動詞が入りにぎやかであるが、念ずることも薫風を受けること
も、そして自分を戒めることも、すべて自分の生であるという大変に哲学的、宗
教的な深い内容である。
自分を見つめ、自分を律し、そして、あるがまま自然の一部となり生きていこう
とする人生観は山頭火と共通するものがあり、感慨深いものがある。
【入選】鮎食べて土佐の一夜を雑魚寝せり 松山市 酒井裕子
(評)四万十川で鮎釣りをしたのか、その後、民宿のようなところで、塩焼きの鮎
をお酒も入り、みんなでにぎやかに食べたのか、ともかく、その夜は一部屋で何
人もが雑魚寝したのである。
この一句を一読すれば、もうその情景がTVドラマのように浮かんでくる、
報告俳句の中にも楽しさや広がりがあれば結構なことだ。
熊野伸二・選
【特選】たんぽぽのほほけてからの自在かな 東京都町田市 佛渕健悟
(評)「ほほけ」は「惚け」と書き「知覚が鈍る」「ぼんやりする」「ぼける」(広辞苑)の意味。
タンポポを擬人化し、花が終わって種が綿毛になって飛び始めるころを指していると思われる。
その時、タンポポは風のまにまに飛んでいく自由を得る。人もまた、老いて「ほほけた」時、
人生の労苦から開放され、真の自由を得るといえるのかもしれないと思ってしまう。
【入選】脱ぎて振る暫し別れの夏帽子 松山市 谷美枝子
(評)恋人同士、あるいは里帰りしていた子や孫との別れだろうか。
駅や港、空港などで繰り広げられる別れのシーン。中七「暫しの別れ」なのに、
上五「脱ぎて降る」ところに、別れを惜しむ気持ちの強さがにじむ。
「夏帽子」の明るいイメージが、湿っぽくなりがちな「別れ」を爽やかなものにしてくれた。