今週の山頭火句

今週の山頭火句 旅のかきおき書きかへておく  山頭火

2013年11月2日土曜日

樗堂・一茶・山頭火の吟行バスツアー、楽しかったなぁー!(庚申庵の巻)

秋のイベントの整理がやっとできました。
山頭火検定の合格認定式=11月3日の準備もできました。

遅くなりましたが、
まずは「樗堂・一茶・山頭火吟行バスツアー」=10月12日
の報告です。

いろいろな人からの写真が集まりました。
本当に豪華なメンバーでの吟行句会でした。

 「歴史とは、現在と過去との対話である」 E・Hカーの言葉からはじまります。
 (これは、「BS歴史館」からのパクリの言葉です。)

樗堂との対話は、「庚申庵」。一茶との対話は、「三津の渡し」。山頭火との対話は、「一草庵」。―でというのが、吟行句会のコンセプトです。

吟行バスツアーは、道後の子規記念博物館からスタートです。

道後公園の一茶句碑を見てもらいました。

寝ころんで蝶泊らせる外湯かな  一茶(酒井黙禅筆)


<西国旅日記>

  寛政7年(1795年)2月1日小正月のところに、
「道後温泉の辺りにて」として、この句を読む。
この年の2月1日は、今の3月21日にあたるから
蝶も舞ううららかな陽気であったろう、一茶33歳なり。

バスで「庚申庵」に向います。            「庚申庵」ができたのは、
寛政12年、1800年の庚申の年です。伊能忠敬が蝦夷地の測量を始めた年です。

一茶が樗堂を訪ねたのは、寛政7年。一茶33歳、樗堂47歳です。
松山へは、1月15日~2月5日までの20日間。
そして、松山を気に入った一茶は、翌年寛政8年の秋から、翌年の春まで松山に滞在
するのです。8月には、松山城で観月会をしています。今から218年前のことです。

庚申庵での説明は、庚申庵倶楽部の松井理事長に説明していただきました。




松井さんは、こんなお話をされました。

「樗堂は庵に床の間を設けなかった。句会で誰もが平等に意見できるよう、
上座や下の概念をなくした」と。
早くも秋明菊が咲いている

そして、こんな句が参加者から生まれました。                


  秋明菊咲き上座なし下座なし  毛利敦美

(この句は、俳句交流会の式場で秀逸句として、二人の選者に選ばれました。)

句作風景を紹介しておきます。











バッタどな、もし?
















あの木枯らし紋次郎で、一斉を風靡された、中村敦夫さんも参加されました。
樗堂紹介の俳句を見て、こんな質問がありました。

 一畳は浮世の欲や二畳庵  樗堂

この句にすごく魅かれたそうです。二畳でも狭いと思うけれど、一畳でも私の欲だと
いう樗堂さんの哲学に感心されたそうです。




その1、庚申庵の巻を終ります。この企画は、毎年秋に開催している「俳句一草庵」吟行句会を兼ねて実施しました。)