愛媛新聞 2015 5.20 |
『俳句一草庵賞』の選評です。
≪俳句一草庵大賞≫
届かない思い枯野の先は海 弓削高等学校 津國亜美
この「届かない思い」は相手があっての思いだろう。ひろびろとした「枯野」、その先には海原が望める。作者の思いは枯野をさまよい、海原を漂う。青春の厳しさを嫌という程、味わっている。その「届かない思い」が青春であるが、「枯野」という暖かい季語に救われる。そして、海という解放感も味わっている、若々しい句だ。(水内慶太)
≪松山市文化協会会長≫
どこからが私どこまでが枯野 伯方高等学校 重松英里南
一見、難解句である。人間の内面を追求した深い句と思える。自分自身を見つめ、自分は何者であるか、いかに生きるべきか、精神を研ぐ思索がある。季語に枯野を入れたことにより、より深く広く個性的な一句となった。(本郷和子)
≪山頭火一浴一杯賞≫
春三日月ブローチにして逢いに行く 松山市 長澤久仁子
夕暮のデート。空には三日月がかかっている。その三日月をブローチにして逢いに行くのだ。待ちに待った心高鳴る時間。(小西昭夫)
≪山頭火柿しぐれ賞≫
紙風船命突く音刻みけり 松山市 今岡美喜子
紙風船は軽いものであるが、突くときは意外と重い音が出る。それを「命突く」と表現したことで、一句に深さと重みを出した。これは人生経験を経た者にしか浮かばない発想だと思う。一突き一突きに命の重みがある。(本郷和子)
≪村上護記念賞(水内慶太選)≫
寝て覚めて死んでゆくだけ花菜漬 川越市 祐森水香
難しい言葉は使わずに、平易な言葉で紡いでいるのが良い。「命」という、難しいテーマだが、「寝て覚めて死んでゆく」は万人が辿る道で、山頭火の「ころり往生」と重なる。私はこの死に対する山頭火の達眼が、厳しく磊落なイメージとして松山の多くの人々に支えられて、幸せな最晩年を過せたと思う。この句もその思いが「花菜漬」という季語に抑えられ、山頭火への鎮魂の句だ。(水内慶太)
《水内慶太選》
一般の部・特選
わたし今母の母かも朧月 那覇市 そら紅緒
山頭火の母が脳裏を掠めるが、この句は作者のお母さんの介護の句であろう。高齢化時代では親の介護は切実な問題で、今後は介護の句はもっと作られるだろう。「かも」と惚けたところに、親へ恩返しが出来る幸せを噛みしめている姿が見える。外さず添うように付けた季語の「朧月」が効いている。
一般の部入選
春の雲道を曲がればそれは旅 東温市 河野寿子
「旅」とは「住むところを離れて、他所の土地に行くこと」、「家を離れて歩きめぐること」、「旅行をする」だ。その中でこの句の場合は、「家を離れて歩きめぐること」だろう。「道を曲がればそれは旅」の断定は俳句でしかいえない事だろう。「春の雲」の放浪癖も、ほど良い付き方といえる。
土くさき詩のひともとのかげろへる 東京 染井かしこ
「土くさい」は意味の中に「田舎風である・やぼったい・あかぬけしない」などと、見下されたいい方だが、「土くさき詩」は言葉で飾り付けない表現といえる。その「ひともと」、すなわち一行詩が陽炎に巻かれてかぎろっている。「土」と「詩」だけが漢字で、後は仮名に開いたことで、仮名文字の揺らぎも見えてくる。「地」と詩魂は昵懇だ。
高校の部特選
届かない思い枯野の先は海 弓削高等学校 津國亜美
この「届かない思い」は相手があっての思いだろう。ひろびろとした「枯野」、その先には海原が望める。作者の思いは枯野をさまよい、海原を漂う。青春の厳しさを嫌という程、味わっている。その「届かない思い」が青春であるが、「枯野」という暖かい季語に救われる。そして、海という解放感も味わっている、若々しい句だ。
高校の部入選
生きてきた時間のかおり冬林檎 伯方高等学校 野間千陽
人生を春夏秋冬で喩えることができ、この句の冬林檎は「冬」で老年期か。そうではなく林檎の場合、詩歌の世界では青春期として使われることが多い。それも「時間のかおり」には、老年期までの「匂いの賞味期限」は辛い。青春期の多感ゆえ「生きてきた時間のかおり」が生きる。この句も青春の一ページを見せてくれ、今しかできない良い句だ。
《小西昭夫選》
一般の部・特選
お日さまの淡い体臭昭和の日 千葉県柏市 田中喜翔
確かに日の匂いを感じることがある。そのお日さまの匂いを「淡い体臭」ととらえたところが出色。日の匂いにはどこか懐かしい感じがある。昭和の日が決まっている。
一般の部・入選
わたし今母の母かも朧月 那覇市 そら紅緒
いつも元気で私を育ててくれた母の介護が必要になった。まるで子どものようになってしまった母を介護するわたしは、今、母の母かもしれないと思ったのだ。そんなアンニュイな気分の空には朧月。
春三日月ブローチにして逢ひに行く 松山市 長澤久仁子
夕暮のデート。空には三日月がかかっている。その三日月をブローチにして逢いに行くのだ。待ちに待った心高鳴る時間。
高校の部・特選
生きてきた時間のかおり冬林檎 伯方高等学校 野間千陽
これまでの生き方がとても清潔だったのだろう。冬林檎のかおりのような生き方である。とても純粋に誠実に生きてきたのだ。
高校の部・入選
どこからが私どこまでが枯野 伯方高等学校 重松英里南
自分を持て余している青年期の不安な感覚が、対句的な句またがりの表現から伝わってくる、これが青春だ。
野うさぎのごとく走りて春の雪 飛騨神岡高等学校 稲木真優
夕暮のデート。空には三日月がかかっている。その三日月をブローチにし
て逢いに行くのだ。待ちに待った心高鳴る時間。
《白石司子選》
一般の部・特選
好き嫌いみんなまとめて花一匁 松山市 今岡美喜子
子供の頃の遊び「花一匁」は、じゃんけんで勝った方が、相手の方の 好き
な子を取ったが、そんなことにこだわるからこそ起こる諍い。国際社会の今、また、長閑でおおらかな気分になる春だからこそ、好きも嫌いもみんなまとめて「花一匁」なのである。
一般の部・入選
雛祭る酒豪の血筋三姉妹 松山市 二宮一知
嘗て女性には選挙権もなく虐げられていた時代もあったが、現代は女
性の時代といっても過言ではないほど、その活躍に目覚ましいものがある。
だから血筋だけに終わらず、酒豪の三姉妹がいたとしても決して不思議では
ない。この句からは、「雛祭る」との響き合いにこれまでにないものを感じ、また、三姉妹にぜひお目に掛かりたいとも思った。
川堤さくら菜の花菜の花さくら 埼玉市 井上寿郎
映画「男はつらいよ」のワンシーンが思い出されるような「川堤」。そして、そこを彩っているのが、さくら菜の花、いや、鮮やかさからすれば菜の花さくらというべきか。ともかくも、作者はこの世の春を謳歌しているのである。
高校の部・特選
はまったから春泥 松山西中等教育学校 山口拓馬
こういう破調は俳句甲子園では、no good。でも、山頭火さんの「俳句一草庵」では、oll korrect。いつも五七五と指折りつつ俳句を作っていたら息がつまりそう!たまにはこんな句も作ってみたいよね。季語「春泥」の もつ本意本情をうまく活用したからこそ、十音でありながら、作者の言いたいことが読者に伝わってくる。
高校の部・入選
ウソにまたウソをぬりたる鐘朧 松山東高等学校高畠慎太朗
一度嘘をつけば際限なく続く嘘。上五・中七のフレーズはよくあるが、季語「鐘朧」との取り合わせで成功。どこからともなく響いてくる鐘の音に「ウソにまたウソをぬりたる」ことに呆然としているような作者像が浮かんでくるのである。
“運命”の八分休符や風光る
松山西中等教育学校 松下高宏
“運命”はベートーヴェン作曲のだと思うが、作者自身のとも取れる。運命に流されながらも、時としてそれに抗いたいと思う時がある。それが「八分休符」。そうすれば、きっと風も光るにちがいない。
《本郷和子選》
一般の部・特選
春霞吊り橋が浮く島が浮く 松山市 八木重明
瀬戸内ならではの景である。
春霞の中の吊り橋も、その向こうの島も、まるで宙に浮いたように見えたのであ
ろう。春の霞はすべておぼろに見える特徴がある。「浮く」をリフレインしたところが、リズミカルで楽しい。技巧的でなく素直に詠んでいる。
一般の部・入選
紙風船命突く音刻みけり 松山市 今岡美喜子
紙風船は軽いものであるが、突くときは意外と重い音が出る。それを「命突く」と表現したことで、一句に深さと重みを出した。これは人生経験を経た者にしか浮かばない発想だと思う。一突き一突きに命の重みがある。
はかなさはいさぎよさともはながちる 岐阜市 若山千恵子
すべてひらがなにしたこの句はサラリと表現しているが並の句でない。「はかなさ」と「いさぎよさ」には、相通ずるものがありながら、二つの語には、人間の悲しさ、弱さ、決意など、多くを含む。下五にそれらすべてを集約している。
高校の部・特選
どこからが私どこまでが枯野 伯方高等学校 重松英里南
一見、難解句である。人間の内面を追求した深い句と思える。自分自身を見つめ、自分は何者であるか、いかに生きるべきか、精神を研ぐ思索がある。
季語に枯野を入れたことにより、より深く広く個性的な一句となった。
高校の部・入選
生きてきた時間のかおり冬林檎 伯方高等学校 野間千陽
冬林檎を齧った時の、あのさわやかで甘酸っぱいかおりは、心の中まで幸せ
なる感がある。今まで生きてきた十代の君の時間は、この幸せのかおりなのだろう
真っ白な靴紐結び山笑う 飛騨神岡高等学校 川上このか
新しい真っ白な靴紐をキュッと結び、さあこれから出発。登校か、旅行か、
それともどこかへ。作者の明るい希望に満ちた気持ちが伝わる。山笑う季語がぴったりで素直な句である。
《熊野伸二選》
一般の部・特選
無言といふ言葉のありて春愁ふ 松山市 林 恵子
人間関係は、言葉が介在して成立する。それが「無言=ものを言わない」なら、関係が壊れかけていることを示している。職場であれ家庭であれ、ものを言ってもえらえないのは一大事。恋人同士なら、さらに深刻。「なんとなくうれわしい」春愁よりも重大事かもしれない。
一般の部・入選
紙風船命突く音刻みけり 松山市 今岡美喜子
紙風船の事を昔は「紙手鞠」「空気玉」と云ったとか。空気入れ口を結び、空気漏れを防ぐゴム風船と違い、紙風船は穴が開いたまま。突きながら空気を出し入れして遊ぶ。一定のリズムで「ポーン、ポーン」と突く音は、風船を生かす音であるとともに、風船で遊ぶ人の心臓が律動的に動く鼓動にも通じる。
戰なき空の高音や揚雲雀 松山市 三好真由美
紙風船の事を昔は「紙手鞠」「空気玉」と云ったとか。空気入れ口を結び、空気漏れを防ぐゴム風船と違い、紙風船は穴が開いたまま。突きながら空気を出し入れして遊ぶ。一定のリズムで「ポーン、ポーン」と突く音は、風船を生かす音であるとともに、風船で遊ぶ人の心臓が律動的に動く鼓動にも通じる。
高校の部・特選
祖父の背の無言のままに冬怒涛 伯方高等学校 大田智代
高校生の作者の祖父と云えば、古希(七十歳)を超えた年頃でもあろうか。島に生きてきた祖父は、寡黙な人なのだろう。しかし、作者は、祖父が何も語らなくても、人生の荒波を乗り越えてきた事を、背中が雄弁に物語っていると感じ、尊敬の念を抱いているのが伝わってくる。荒れ狂う冬の大波を示す「冬怒涛」が効いている。
高校の部・入選
届かない思い枯野の先は海 弓削高等学校 津國亜美
「思い」を伝えたい相手は、誰だろう?もし作者が恋い慕う人と仮定すると、思いが「届かない」のは、冬枯れの野のような索漠とした気分にもなろうというものだ。しかし「枯野の先」には命の母たる「海」がある。そこに無限の可能性、希望の光がある
狼のたましひ吠える余寒かな 広島高等学校 吉川創揮
寒が開けてなお残る寒さを余寒と云う。春の訪れが逡巡するころ、作者は、思うことがままならない問題でもあって〝いらだち〟が昂じたのでもあろうか。叫び声をあげたくなっただ。しかも狼の魂で。日本の狼は、明治時代に絶滅したといわれる。凶暴、狡猾と恐れられた狼だが、弱肉強食の自然界で凛として生きた狼の魂こそ、現代の若者に必要かもしれない。
≪俳句一草庵・児童賞≫
しゃぼん玉見ている空のわらいだす 附属小学校冨岡大久杜
次々と飛ぶしゃぼん玉を空が見ているというのでしょう。空が笑いだすという
言葉をよく思いついたものだと感心しました。空へ向って飛ぶしゃぼん玉を見ている本当に楽しいから自然に笑いが出るのです。(本郷和子)
田に水をはればよろこぶ春の雲 附属小学校冨岡志恵菜
「田水張る」と「春の雲」の季重なりや「よろこぶ」という感情表現は一般にはタブーであるが、それを力にして実にのびのびとした気持ちのいい句に仕上がった。 (小西昭夫)