今週の山頭火句

今週の山頭火句 仔猫みんな貰はれていつた梅雨空  山頭火

2015年12月7日月曜日

『第18回山頭火俳句ポスト賞』を発表します。

おめでとうございます。
『第十八回山頭火俳句ポスト賞』の発表です。
(投句期間 二七年七月一日~十月三一日) 
                                               
一草庵の「山頭火俳句ポスト」に投句された俳句は、172句。
(内、県外句は70句、
東京都、千葉県稲毛区、市川市、市原市、横浜市、藤沢市、名古屋市、静岡市、広島市、防府市、山口市、徳島県小松島市、福岡県大牟田市、アメリカ等の投句の中より、各選者の先生に優秀句を選んでいただきました。 

 表彰式を、12月15日(日)に山頭火一草庵入庵記念日
  に行います。



                       
山頭火俳句ポスト賞

 銀杏散る中へ托鉢僧の消ゆ    松山市 田村七重

【評】山頭火に「朝まゐりはわたくし一人の銀杏ちりしく」の句がある。
昭和十四年、来松して四国霊場を巡礼した時、第四十四番札所・大宝寺で詠んだ。
掲句は、まさにその景を彷彿させる。最晩年の山頭火は「良い句を作り、コロリ往生する」を念願し、自然に同化した生き様であった。そして銀杏散る秋、コロリ往生、托鉢僧・耕畝は消え、膨大な数の名吟が残った。(熊野)


山頭火一浴一杯賞

どっぷりと暮るる松山星と月     松山市 楠本 武

【評】山頭火終焉の地である松山がとっぷりと暮れ、月が昇り星が輝きはじめた。
星だけでも月だけでもない。星と月のきれいな夜だ。
道後温泉につかり、熱燗で一杯やりたい夜だ。(小西)



山頭火柿しぐれ賞

秋水を酌み山頭火にもなれず    
                               山口市 千住紀子

【評】山頭火の、「濁れる水の流れつつ澄む」、「まいにち水をのみ水ばかりの身ぬち澄みわたる」を思わせる句である。
行乞することで、濁りの中に清澄なものを見出そうとした山頭火であるが、私はといえば、
澄んだ秋の水を酌んでも山頭火にもなれない。助詞「は」ではなく、強調の助詞「も」から、
漂泊することも叶わぬ、現在只今を生きる者の嘆息が聞こえるようだ。(白石)


小西昭夫選

【特選】
あの頃の私がいます石蕗の花   横浜市 渡辺千登世

【評】石蕗の花が思い出させるのは、今の私とは違うあの頃の私。あの頃の私が懐かしく愛しいが、今の私はあの頃の何を失い何を得たのだろうか。


【入選】
先頭にうちの子がいて休暇明け    松山市 水口俊幸

【評】長い休暇が終わると業務や授業が再開される。
「うちの子」という表現からは小学生の子供さんが想像される。
体育か休み時間だろうか。ひょっとしたら、登校の光景だろうか。
うちの子が先頭にいるのだ。


白石司子選

【特選】
秋深む日記に余白ふやしては    松山市 村上邦子

【評】日々の出来事や感想などを記す日記であるが、書き残すほどの大きな出来事もなく、
余白をふやしては秋が深まってゆく。
「日記に余白ふやしては秋深む」だと説明で終わってしまうが、「秋深む」を上五に持ってきて
倒置法を活用したことも効果的。一句全体からは、「軽み」の境地に似た人生の深まりも想像され、淡々とした日常が見えてくる。

【入選】鬼灯を吹く鬼灯の顔をして  松山市 今岡美喜子

【評】「ほおずき」は、「酸漿」とも書くが、「鬼灯」としたことで、妖怪の一種である顔の赤い「提灯小僧」が想像され、懸命に吹いている様子が滑稽味をさそう。
また、安易なリフレインは句を単調にするが、「鬼灯を吹く」、「鬼灯の顔をして」と、
やや表現を変えることで、対象を強く印象づける効果をあげていると思う。


本郷和子選 

【特選】
水族館の客みんな水中花         松山市 林 弘子

【評】この意表を突いた発想に驚いた。水族館の水槽にいる魚たちから
みれば、客のみんなは、まるで水中花にみえるかも知れない。
カラフルな洋服の人は、きれいな水中花なのだ。大きな水族館では、
天井も右も左も水槽で、その中を行く人間は、ガラスの器に入った水中花だろう。
歩く度、動く度、揺れる美しい水中花である。


【入選】
生きている事が生きがい秋刀魚焼く 松山市渡部新子

【評】毎日を平凡に、普通に生きるということが、何より大切で価値がある。
作者はそれを生きがいと詠んだ。人間にとって、この世に生を受け、生きることに
努力し生を全うすることは、すなわち、それが立派な生きがいとなる。
終結部に「秋刀魚焼く」を入れて,この句が締まった。


熊野伸二選

【特選】
アンニュイな夜口中の青葡萄         松山市 岩崎美世


【評】倦怠、憂鬱、退屈などを意味する「アンニュイ」な夜、口の中には青葡萄がある。
「葡萄」は秋の季語だが「青葡萄」は夏の季語。
掲句の「青葡萄」がまだ未熟で酸っぱい夏の葡萄か、マスカットなど熟しても
青い秋の葡萄か不明だが、何とはなく物足りない「不定愁訴」的イライラを、
葡萄を口中にいれて紛らせている趣か。「アンニュイ」と「青葡萄」がフィットした。


【入選】母恋ひの歌は哀しや秋の蝉  松山市 丹下恵美子 


【評】幼時に母を失った山頭火は、日記や句帳に、母恋いの文字を多く残している。
句では「うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする」(四十七回忌)が有名だ。
掲句はそんな母恋い句への感興でもあろうか。「秋の蝉」は蜩や法師蝉で、
鳴き声に夏蝉の勢いはなくもの哀しい。哀しいと余計に母が恋しい。
伝統俳句では「かなしい」「さびしい」「うれしい」などを直截に出すのを避けるが、
この場合「哀しや」を認めたい。



※小西昭夫特選句
  「あの頃の私がいます石蕗の花」   
   横浜の渡辺千登世さんへ 
   住所が判明しません。 ご連絡をお願いします。

   〒799-2651
   愛媛県松山市堀江町甲1615-3
   NPO法人まつやま山頭火倶楽部 090-6882-0004へ。