今週の山頭火句

今週の山頭火句 重荷は二人でよいこらさ 山頭火

2013年8月27日火曜日

『一茶・山頭火俳句大会』 俳句募集中!

今年の10月12日~13日 『樗堂・一茶・山頭火の世界inまつやま」を開催します。
「一茶・山頭火俳句大会」を開催するため、事前俳句を募集しています。
皆さんも投句していただけませんか。





以下、俳句募集要項です。
ご連絡が遅くなって申訳ありません。9月1日(日)が締切りです。<当日消印有効>

申込先  〒116-0013
      東京都荒川区西日暮里3-1-3 本行寺 一茶・山頭火俳句大会係

作 品  四季雑詠2句一組(何組でも可) 有季定型・自由律どちらでも可。

応募料  1組につき1000円 現金書留または定期小為替を同封の上。
   


 選者の先生は、素晴らしい方々ですよ。
   有馬朗人「天為」主宰、大石悦子「鶴」所属、金子兜太「海程」主宰、
伊藤通明「白桃」主宰、神野紗希(俳人)、阪本謙二「檪」主宰、
佐藤文子「信濃通信」主宰、仁尾正文「白魚火」主宰、
冨士眞奈美(女優・俳人)、福谷俊子「花信」主宰、有光令子「花」主宰、
船越俊子「青海波」主宰、宮坂静生「岳」主宰、和久田登生「層雲」代表 

10月13日大会会場・子規記念博物館で
表彰式を行います。
俳句誌「俳壇」で優秀句を掲載します。
投句の方法は、左の内容を記載していただ
ければ OK です。

2013年8月23日金曜日

今年訪れるべきパワースポットはココ、一草庵。

今年おとずれるべき場所はココ!
47都道府県のパワスポ完全ガイドが、CREA 9月号(文藝春秋)に紹介されています。

愛媛県では、「一草庵」「秋山兄弟生誕地」『道後温泉本館 玉の石」でした。
ご覧あれ。

 種田山頭火終焉の地は、仕事の金運に効果あり。
 新規開拓や企画立案にも◎!
  (小林世征さんが、都道府県のベスト3をピックアップ)






  一草庵に取材に来た人の、スナップ写真を紹介しておきます。




一草庵でのパワースポット「山頭火物語」

山頭火は、妻も捨て子も捨て家も捨て、

    大正十五年四月、解くすべもない惑いを背負うて
    行乞流転の旅に出た、と前書きをし

  分け入っても分け入っても青い山

の句を詠んで放浪行乞の旅に出ます。途中、庵を結びますが、57歳までの15年間旅を繰り返し
終の住処、一草庵に辿り着きます。一草庵は、山頭火人生の終着駅なのです。

一草庵の入り口には、句碑があります。碑の下には、山頭火の”あごひげ”が入っているとのこと。

  鉄鉢の中へも霰

 ただの句碑ではなく、松山での山頭火墓碑のようです。
いつもは白いお米を入れてもらっている鉄鉢に、突如白い霰が入り音をたてるのです。
”鉄鉢の中には、白い米ばかりでなく霰もはいるのだ”と悟って、また放浪の旅にでるのです。
鉄鉢にも霰は入るんだ、これが人生、ああ無常!。

その山頭火の魂の入った句碑は、一草庵を象徴する柿の木を眺めています。
私には、山頭火が何かを話しかけているように感じるのです。

 一草庵の柿を愛した山頭火の句を紹介します。

 手にのせて柿のすがたのほれぼれ赤く
 しぐれて柿の葉のいよいようつくしく

母の自殺、父の放蕩、家業の破産、家庭の崩壊、弟の自殺等
波乱万丈の人生の終着駅・一草庵には、山頭火のパワーが潜んでいるはずです。
あなたには、それが見えませんか。

 一草庵を訪れた人に、こんな質問をしたことがあります。
硝子のコップに水が半分だけ入っています、あなたはどのように解釈しますか。
 その1. もう半分しかないのか。
 その2. まだ半分もある。

訪れた人に、柿の木にさわってもたって、今もっている悩みを山頭火さんに語ってもらい
ここにみなぎる山頭火さんのパワーを感じ取ってもらうのです。
そして心機一転、新しいパワーをもらって帰っていただきのです。


そして、帰りには、

 濁れる水のながれつつ澄む

の句碑に手をあわせていただくのです。

生きているといろいろな事がありますね。
山頭火さんは、人生を振り返って、亡くなる前、昭和15年9月8日にこの句を詠みました。
”濁れる水は、きっと流れながら澄んでいくと私は信じますが、あなたはどうですかと山頭火さんが
囁いているようです、というのが、パワースポット「山頭火物語」です。

2013年8月20日火曜日

『第3回一草庵夏の子どもまつり8/10』のスナップ・アルバムです。

愛媛新聞の武田記者が、「一草庵夏の子どもまつり」の記事を掲載してくれました。
紹介します。

 それでは、「夏の子どもまつり」のスナップ写真を紹介しておきます。
炎昼の中、子どもたちの元気玉がはじけました、そしてその元気をいただきました。

「クイズで俳句のお勉強」では、いっせいに手があがりました。
子どもたちは、暑さを忘れて、手づくりのそうめん流しに群がります。
カキ氷、もう一杯とお代りする子どもたち、美味しそうに食べてくれました。
スイカ割りも真剣です。長い列ができました。
スイカの割れる音よりも、お母さんの期待と声援のはしゃぎ声の方が大きかったようです。
そんな、みんな元気一杯の一草庵でした。100名以上の参加者がありました。
熱中症の人もです、安心しました。護国神社でのご祈祷がよかったのでしょうか。
皆さん、本当にご苦労さんでした。

  炎昼や一草庵の子ども祭  こんな句ができました。スナップ写真を紹介します。

あったかだった山頭火さんのお話です。
山頭火さんも登場です。

俳句のクイズでお勉強してます。
一草庵のそうめん流しです。



スイカ割りの長い列ができました。
スイカも たくさん、たくさん。

『第11回山頭火俳句ポスト賞』の作品紹介。

「第11回山頭火俳句ポスト賞」の表彰式を、さる8月10日(日)の「一草庵夏の子どもまつり」一草庵会場で行いました。

 一草庵にある山頭火俳句ポストに、25年3月1日~6月31日に投句された俳句です。   
 
 投句された俳句は125句。(内、県外句の数は25句) 東京都目黒区・あきる野市、愛知県碧南市・岡崎市、埼玉県三郷市、岡山市、松江市、広島県大竹市、福山市、山口県岩国市、徳島県三好郡、福岡市など全国各地からの投句から、俳句選者に優秀句を選んでいただきました。



山頭火俳句ポスト賞

 鮎食べて土佐の一夜を雑魚寝せり       松山市 酒井裕子

(評)「鮎」と「土佐」の豊かな自然の取り合せ。「土佐」と「雑魚寝」の豪快な言葉の取
り合せ。「鮎」「土佐」「雑魚寝」の言葉がお互いに響き合って野趣溢れる世界を作り出した。山頭火にもこんな日があったのではと思うが、何よりもこの句の骨太さが魅力である。(小西評)

小西昭夫・選

【特選】穏やかに生くはむつかし薔薇を剪る   松山市 玉井良子

 (評)穏やかに生きようと誰もが思うのだが、なかなかそうは行かない。世の中腹の立
つことも多い。また、頭にくることがあったのだが、じっと我慢。薔薇を剪って心を落ち着かせるのである。上五中七の感懐から下五への転換が見事。

【入選】訪れる人なし雨の音を聴く         松山市 堀口浩良

 (評)十七文字だが、無季のつぶやきの句である。自由律俳句らしい俳句である。定型俳句風にいえば句跨り。「訪れる人なし」「雨の音を聴く」のたたみかけが静かさを加速する。「聞く」のではなく「聴く」ところに単なる孤独や寂しさではないゆとりがあるか。

白石司子・選

【特選】晩節や風鈴風の意のままに        松山市 丹下恵美子

(評)晩年は、風の意のままの風鈴のように生きたいという万人に共通する思い。上五「や」の切れ字が効果的で、導入部の「晩節や」が、読者のそれぞれの境涯へと思いをめぐらせる。「風鈴風の意のままに」のような「自在」こそ、山頭火が最期に至った境地かもしれない。

【入選】星占いとばし読みして星涼し        松山市 村上邦子

(評)混沌とした世の中だからこそ、結構気になってしまう「星占い」。でも、自分自身に関係するものなどを「とばし読みして」しまえば、暑い一日の終わりに見上げる涼しさを誘う星のような涼しさ、いや、涼しい顔でいることができる、という諧謔味あふれる一句。

本郷和子・選

【特選】念ずるも薫風受くも戒むも         松山市 西野周次

(評)一句に三つの動詞が入りにぎやかであるが、念ずることも薫風を受けること
も、そして自分を戒めることも、すべて自分の生であるという大変に哲学的、宗
教的な深い内容である。
 自分を見つめ、自分を律し、そして、あるがまま自然の一部となり生きていこう
とする人生観は山頭火と共通するものがあり、感慨深いものがある。

【入選】鮎食べて土佐の一夜を雑魚寝せり  松山市 酒井裕子
(評)四万十川で鮎釣りをしたのか、その後、民宿のようなところで、塩焼きの鮎
をお酒も入り、みんなでにぎやかに食べたのか、ともかく、その夜は一部屋で何
人もが雑魚寝したのである。
 この一句を一読すれば、もうその情景がTVドラマのように浮かんでくる、
報告俳句の中にも楽しさや広がりがあれば結構なことだ。

熊野伸二・選

【特選】たんぽぽのほほけてからの自在かな   東京都町田市 佛渕健悟

(評)「ほほけ」は「惚け」と書き「知覚が鈍る」「ぼんやりする」「ぼける」(広辞苑)の意味。
タンポポを擬人化し、花が終わって種が綿毛になって飛び始めるころを指していると思われる。
その時、タンポポは風のまにまに飛んでいく自由を得る。人もまた、老いて「ほほけた」時、
人生の労苦から開放され、真の自由を得るといえるのかもしれないと思ってしまう。

【入選】脱ぎて振る暫し別れの夏帽子       松山市 谷美枝子

(評)恋人同士、あるいは里帰りしていた子や孫との別れだろうか。
駅や港、空港などで繰り広げられる別れのシーン。中七「暫しの別れ」なのに、
上五「脱ぎて降る」ところに、別れを惜しむ気持ちの強さがにじむ。
「夏帽子」の明るいイメージが、湿っぽくなりがちな「別れ」を爽やかなものにしてくれた。





2013年8月9日金曜日

「第3回山頭火出前俳句ポスト子ども俳句賞」の発表。

『第3回山頭火俳句ポスト子ども俳句賞』を発表します。

 清水小学校、姫山小学校、湯築小学校の児童が、出前山頭火俳句ポストに投句してくれました。
投句数731句の中より、俳句選者に入賞句を選んでいただきましたので紹介します。

8月10日(土)の「一草庵・夏のこどもまつり」の会場で、表彰します。

 しきさんは はいくをつくって しんどいな  

         小学3年生、杉本君の俳句です、この俳句には、しびれました。               

小西昭夫・選                                                         

【特選】 プールすきだみずしぶきだいすきだ            湯築小2年   菊池翔貴

  (評)夏の楽しみのプール。もちろん、すきだ。プールがあげるみずしぶきがすきだ。
  「すきだ」「だいすきだ」の畳み掛けが見事であり生命力にあふれている。

【入選】 ひまわりが右と左でせいくらべ              姫山小2年   小島彩聖

  (評)何本かのひまわりがかたまって生えているのだろう。それはまるでみんなでせいくらべをし  ているようである。それが夏の力だ。

【入選】 風鈴でわたしの心もすずしいな      湯築小3年   寒川日花里

  (評)風鈴の音はぼくたちにすずしさをもたらしてくれるが、何よりも私の心をすずしくしてくれる   のだ。

【入選】 手のひらのホタルのにおいチョコレート 清水小5年   児玉顕信

  (評)大切に持った手のひらのホタルのにおい。その特別な感じは大好きなチョコレートに似て   いる。

【佳作】 夕やけが山にぶつかりとけちゃった    清水小2年   福石七海

  (評)消えてゆく夕やけが山にぶつかって溶けちゃったとはとてもおしゃれで
  詩的な表現。

【佳作】 かぶとむしはっけよいよいちからもち   湯築小1年 上田真太郎

  (評)かぶとむしのげんきさとかぶとむしにすもうをとらせるげんきさのふたつのげんきがきもち  いい。

【佳作】 泳いだら髪からしずく背をぬらす     姫山小3年   岡 愛奈

  (評)長い髪なのでしょうね。泳いだら髪のしずくは背中をぬらすのです。ちょっと、大人の世界を  覗いた感覚でしょうか。


白石司子・選


いい俳句が出来ましたね。


【特選】 春風と一年生がやってきた                 清水小3年   池田結来

 (評)大人が俳句を作ると技巧をこらし、「春風や」としてしまうのだが、「春風と」としたところが、
 うまい! のどかでおだやかな春風と共にやってきた一年生。そして、それを見ている作者の中  に も吹く春風のようなやさしい風。実景のみでなく、そんな内面風景もうかがわせる作品となって いる。

【入選】 新人戦間近にせまる夏日かな             清水小6年  高橋良汰

 (評)間近に迫っている新人戦の日を「夏日」、いや、「新人戦」にかける熱い思いそのものを「夏  日」と解釈した方がいいだろうか。この句の場合の切れ字「かな」は効果的で、作者の凝縮した思 いを伝える。

【入選】 せん風機前に集まるうちゅう人      湯築小6年  伊手美樹乃

 (評)暑い時や汗をかいた時は、即効性からしても扇風機が一番!それでみんなが「せん風機前 に集ま」ったんだね。「うちゅう人」としたことで、集まっている人のデフォルメされた顔や声などが  想像されて愉快だ。

【入選】 なつやすみ虫とりめいじんあらわれる   姫山小2年 内藤颯眞

 (評)この世の中にはいろいろな名人がいるけど、やっぱり「なつやすみ」は「虫とりめいじん」が一 番かっこいい?「虫」だけを漢字にしたことで、そこに視線が集まって効果的だし、下五「あらわれ る」が一句を臨場感あふれるものにしている。

【佳作】 おじさんと田植え機乗って風を切る  清水小6年  武田香蓮

 (評)田植えの時節。普通ならばそれを見学、あるいはちょっとしたお手伝いをするだけで終わる のだが、作者は、「おじさんと田植え機に乗って」いる。下五「風を切る」に、颯爽とした作者像がう かがえる。

【佳作】 しきさんははいくをつくってしんどいな   湯築小3年 杉本一太 

 (評)作者も俳句をつくるのが、億劫だったのだろうか。そこで、たくさん俳句をつくっている「しきさ ん」に思いを馳せ、「はいくをつくってしんどいな」というフレーズが生まれたのかもしれない。下五 「しんどいな」から、作者のため息までも聞こえてきそうだ。

【佳作】 家の外ふうりんの音でいっぱいだ     姫山小3年 井伊陽真

 (評)冷暖房完備の室内は快適だが、自然とは程遠い世界である。そこで、家の外に出てみると、 そこはまさに涼しげな「ふうりんの音」の世界。下五の口語「いっぱいだ」が、風鈴の音色を満喫し ている作者像を遺憾無く伝える。


本郷和子・選



【特選】 バトン投げ初夏の空まで飛んでゆけ   清水小6年  亀井 葵

 (評)バトンを投げて演技しているのでしょう。思いきり高く投げるとそこは初夏の空、
 なんと気持ちのよい、はつらつとした動きのある素敵な俳句です。

【入選】 風ふけばプールのなみもおよいでる   姫山小2年  小島彩聖

 (評)風のある日、プールを見ていると表面に波ができていたのです。
 それがまるで、波が泳いでいるように見えたのでしょう、観察のよくできた句です。

【入選】 日がささしまちをのんびりお母さん    清水小4年  シュマスマン セリーナ

 (評)お母さんが日傘をさして、おしゃれして、ゆっくりのんびり街を歩いて
 いる姿が見えそうです。きっとやさしく、素敵なお母さんでしょうね。

【入選】 ひまわりはたいよういっぱい食べてるよ  姫山小2年  永田真悠

 (評)ひまわりは、いつも太陽の方を向いて元気に咲いています。それを太陽を
 いっぱい食べるという思いつきはすばらしい。

【佳作】 トマトがねあかくなったよ日やけかな    湯築小2年  松岡佑麿

 (評)トマトがうれて赤くなったことを、人間のように、日焼けしたのかもと思ったところが
 とても愉快です。

【佳作】 アリたちが巣から出てきて遠足へ    清水小3年 松原弘典

 (評)巣から出て来たアリは一列の長い行列を作って歩きだす。それをアリたちに
 遠足と見たところが楽しくておもしろい。

【佳作】 もみじはねはっぱじゃないよ森の手よ    姫山小5年 片山果林

 (評)もみじの葉をよく子どもが、赤ちゃんの手と表現することもあるが、葉っじゃないよ
 と言い切る強さが愉快。そして、葉っぱを「森の手」なんてもっと愉快。


熊野伸二・選


【特選】 
 ありたちがせえのせえのとがんばるよ                清水小1年  田村一朗 

 (評)「アリとキリギリス」の童話を持ち出すまでもなく、アリは働き者のイメージが定着している。
 六歳の作者は、そのアリたちの働きぶりを見て「せえの、せえの」と声掛けあって頑張っていると
 見た。これ以上ない小動物の動きを観察し「がんばる」と評価する心根がうれしい。

【入選】 昼下がり春さがしする日曜日                清水小4年  毛利美咲

 (評)日曜日の午後、作者は春らしさを探しに出かけています。木々の芽や蕾がふくらみ、
 スミレやホトケグサなどの小さな花がさいているのを発見したでしょう。
「春」の言葉の語源は、木の芽が「膨(はる)から来たといわれます。「春さがし」の表現はうまい。

【入選】 赤とんぼ赤いめがねをかけている    姫山小2年  内藤颯眞

 (評)赤トンボは、体が赤いトンボの総称。日本には21種類が記録されており、
 普通見かけるのは、アキアカネとナツアカネ。その赤とんぼが「赤いめがねをかけている」
 ーという俳句を見て、改めて昆虫図鑑で確認したら、その通りでした。よく観察した作者に
 感服でした。

【入選】 あじさいは四角を集めてまるくなる      湯築小6年  山下裕子


  (評)アジサイは「丸い花」と思っていた。しかし、作者は「四角を集めて丸く」
 なっているーという。梅雨に咲き、漢字で紫陽花と書き、七変化の別名もあるなど、
 よく知られている花のはずなのに、指摘されてなるほどと思う。装飾花で、
 やや菱形の咢(がく)が集まって大きな一つの花に見えるのだ。冷徹な観察眼と分析力に敬意。

【佳作】 ほたるはねぴかぴかひかるコンサート 清水小2年 渡部漱太

 (評)初夏の夜、たくさんのホタルが、光を点滅させながら飛ぶ様子は、日本人が大好きな
 風物詩。決して音は出ないのだが、作者は光の乱舞を「コンサート」のように感じたのだ。
 いわれてみると、なるほどワルツでも奏でているようでもありますね。

【佳作】 バッチグーぼくの作ったハンバーグ     姫山小2年  佐々木凱士

 (評)料理するお母さんを手伝ったのかな?ハンバーグを丸めたのでしょうか、
 とってもじょうずにできて「バッチグー」と鼻たかだかの様子。自分の作ったハンバーグの味は、
 また格別だったことでしょう。リズム感が快い作品。

【佳作】 真っ黒だ日焼けしたのかいかげさんよ   湯築小5年  木多凪沙

 (評)夏の強い太陽が作り出す影は、特別に黒く感じます。「真っ黒」。その黒い影に対して
 「日焼けか」と呼びかけるユーモア。字余りになりましたが、「―したのかい」と語りかけ「かげさん」 と尊称をつけての問いかけも楽しい。

2013年7月15日月曜日

一草庵・夏の祭典「夏の子どもまつり」のお知らせ。

「第3回一草庵夏の子どもまつり」開催します。


まつやま子どもの日=8月8日に協賛して、
昨年好評だった「一草庵で夏のこどもまつり」を開催します。

  ☆日 時  平成25年8月10日(土) 13:00~15:30
 ☆場 所  一草庵<松山市御幸1丁目 護国神社西隣>





  子ども俳句教室や、竹サオを流れるそうめん流し・すいか割り・カキ氷など準備してますよ。

 ご家族そろって、お越しください。
 入場は無料です。

  夏まつりの体験の思い出に、一句ひねってくださいね。
  
  
<支援:松山市市民活動推進補助事業>

   ■問い合せ先 NPO法人まつやま山頭火倶楽部 090-6882-0004

2013年7月6日土曜日

8月4日「徳さんのお遍路さん(BS-TBS)」ご覧あれ!

さあ、歩け!遍路は続くどこまでも♪
8月4日のBS-TBSの放送している「徳さんのお遍路さん=日曜日午前9:00~30」に、一草庵が登場しますよ。
 52番札所・太山寺への巡礼途中に、徳光和夫さんが立ち寄ってくれたのです。
初対面でしたが、和やかにお話しできました。

徳さん、固い顔してますよ。

徳さん、やさしい言葉かけてくれました。
一句お願いしますとささやけば、すっと、川柳ができました。

 山頭火 俺の川柳三等か  徳光和夫 





6月30日放送の「徳さん」を見ていたら、45番札所・岩屋寺の参道にある古岩屋の洞窟に収められている不動明王が紹介されていました。
 この一木つくりの立像は、2メートル10センチ、台座が1メートル、日本でも最大級の仏像。作者は、佐竹英一さん。
2012年4月22日撮影
あの琵琶唄「俳人山頭火」を作曲してくれた佐竹(田村)旭都さんのご主人です。
テレビ画面に釘付けとなりました。
さて、さて8月4日の放送が楽しみです。

追加情報。今日7月6日、一草庵に素敵な女性ライターが、一草庵に取材に来られました。
CRERの記者です。クレアは、文藝春秋のこだわり女性雑誌。
8月4日発売のクレアの占い、パワー・スポットの特集号に、一草庵を紹介してくれるそうです。
これも楽しみ!


2013年6月18日火曜日

第8回俳句一草庵賞・入選句の選評です。

第8回の俳句一草庵の受章句の選評が紹介されていませんでしたので、報告します。
<俳句一草庵開催日:平成24年4月28日>
今回は、選者として宇和島は吉田より「加里場」主宰の井上論天さんが駆けつけてくれました。
※ 一草庵会場賞は、会場に参加した人たちによる賞です。





俳句一草庵大賞

蛇いちご小さき秘密の育ちつつ   岐阜市 若山千恵子

(評)草冠に母と書く「いちご(苺)」の語感は優しいが、「蛇」が付いた途端に怖い。 「毒苺」の別名もある。田圃の畦や藪陰で、初夏に黄色い花を咲かせ、赤い実を付ける。毒は無いが甘くないので人は食べないが、食べる小動物がいて、それを蛇が狙うから、その名がついたともいう。なにかしら謎めいた存在感。それは自らの中に、秘密の萌芽が兆すのを自覚した作者の心象と重なる。(熊野)

松山市文化協会会長

あの頃は天まで飛べたふらここよ  松山市 北村まさこ

(評)「あの頃」は「若いころ」と言い換えてもいい時代の事だ。怖いもの知らずで、ブランコを思いきり漕いで、天まで届くほどの高みへ揺する事が気軽にできた。しかし、いま、もうそんな冒険は出来ない。若き日々を懐かしみ、あるかなきかの揺れに身を任せるのがいい。黒沢明の映画「生きる」で、市民の願いに応えた老官吏がブランコに腰かけて揺れた姿が思い浮かぶ。(熊野)

一浴一杯賞 (水口酒造)

山笑う今日はなにして遊ぼうか   松山市 中本静枝

(評)「春山淡冶にして笑うが如く」(臥遊録)から「山笑う」が春の季語となった。全山の木々が芽吹き、賑わうさまは、まこと山が笑っているように見える。そんな穏やかな春の一日「さて今日は何をしようか」を「なにして遊ぼうか」と詠む余裕。年輪を重ねたからこそ、素直に出てくる言葉だ。(熊野)

一草庵若葉大賞

春だから大きな挨拶してみたり   飛騨神岡高3年 小山千晴

(評)草木が芽吹き、日差しも吹く風もやさしくなる春。これまで硬くなっていた体や心も柔らかくなる。学生や社会人にとっては年度代わり。解放された体やからは声や仕草の大きな挨拶が生まれる。美しい春。(小西)

小西昭夫・特選

春だから大きな挨拶してみたり   飛騨神岡高3年 小山千晴

(評)草木が芽吹き、日差しも吹く風もやさしくなる春。これまで硬くなっていた体や心も柔らかくなる。学生や社会人にとっては年度代わり。解放された体やからは声や仕草の大きな挨拶が生まれる。美しい春。
入選

陽炎の中をつきぬけオートバイ    松山市 米山千秋

(評)オートバイが陽炎に突っ込んでいく。いかにも春の若々しさが感じられる。オートバイは陽炎をつきぬけて走り去っていった。若さのもつ可能性と危うさがうまく書きとめられている。

白石司子・特選

水たまり走って飛んで夏がくる   川越市福原中学2年 内田里知

(評)梅雨の後が夏だから、もしかしたら上五の「水たまり」はあたりまえかもしれないが、中七・下五への飛躍がすばらしい。長雨で出来た「水たまり」なんか平ちゃら。   障害物の前でイジイジしていないで、飛び箱みたいに走って来て飛び越えてしまえば、いよいよキラキラ光る君の好きな夏の到来である。「走って飛んで」が、何とも元気・元気!
入選

惜春の靴跡残る芝生かな        松山東2年 大元寿馬

(評)芝生に残る靴跡、それは実景、いや、虚構だろうか。ともかくも作者は芝生に残っているもの、また、残したものに、立ち去って行こうとしている春、青春などへの思いを深くしたのである。「惜春」と言えば、甘ったるい句になりがちであるが、「靴跡残る」また、切れ字「かな」が、一句を句柄の大きなものにさせていると思う。

本郷和子・特選

あの頃は天まで飛べたふらここよ  松山市 北村まさこ

(評)ふらこことはブランコのこと。思い切って漕げば、まるで天へ届くと思うほど高く
なる。「あの頃」は、おそらく子供の頃あるいは青年期の頃かも知れない。今はもうそれもかなわないのである。懐かしいあの頃のことを、作者はブランコを見るたび、天まで飛べた昔の自分を回想しているのだろう。「天まで飛べた」と言い切った表現が素晴らしい。
入選

山寺のソーラパネル養花天     広島県福山市 佐藤道子

(評)町の寺ではなく山寺である。そこに最近、全国的に普及しているソーラーパネルが取りつけてあるのだ。緑の樹々と桜に囲まれた山寺の屋根のソーラパネルが目に入ってきたのだろう。時は花曇りの日。山寺とソーラパネルの新・旧のとり会わせが意表を突く新鮮さである。

井上論天・特選

山笑う今日はなにして遊ぼうか   松山市 中本静枝 

(評)木の芽や木の花に包まれる春の山を、朗らかに笑う人の姿になぞらえて「山笑う」という。=角川大歳時記(春)。その山裾で丁寧に生きておられる作者。今日一日を無駄なく使い切ろうとする作者の真摯な生き様が窺える。そう山頭火のようである。
入選

一生は束の間さくらさくらかな   岐阜市 若山千恵子

(評)「花の命は短くて…」と嘆いたのは林芙美子であったが、作者ならずとも人間誰もが抱く負の定めであろう。其れにつけても〈さくらさくら〉のリフレーンによる余韻が、殊更に無常の世界へと誘ってくれるかのようである。

熊野伸二・特選

蛇いちご小さき秘密の育ちつつ   岐阜市 若山千恵子

(評)身内に兆した小さな秘め事を、怪しい雰囲気を醸す蛇いちごに託している。秘密は誰に対して秘すべき事かが問題。場合によっては、自らも認めたくない感情がふと湧き上がり、その成長を拒絶したいような、育てたいような複雑な心境になることもあるけれど。
入選

東風吹けば笛の音おこる飛騨の町   飛騨神岡高1年 米澤妙希

(評)飛騨は雪深いところ。春の訪れが待ち遠しい。その春は、東風が吹いて知らされる。作者は、待望久しかった春を喜ぶ祭りの笛が、町に響くのを聞き逃さなかった。愛するわが町の春を、しみじみ喜ぶ気持ちが良く表現された。

一草庵若葉賞

ただいまと網戸の向こう側に言う 済美岡平成高1年 福本優衣

(評)〈網戸の向こう〉であるから長患いの、そう母上かと思いたい。作者は帰宅してからも家事や弟たちの世話に奔走されているのであろう。遠くなってしまった私の昭和が鮮やかに甦り,独り大粒の涙をながしている。(井上)

春風に吹かれてそよぐ体操服    松山東1年 渡部博美

(評)屋外のスポーツ時間。春の風に吹かれて、体操服がそよぐさわやかさ。青春ドラマのような景色が目に浮かぶ。それとも、汗と土にまみれた体操服が洗濯されて干された状況か、いずれにしても爽やかな景である。

小さい雑草 大きなおしゃべり   川越市福原中学2年 田所未都

(評)無季の句だが、小と大の対比が面白い。対句表現された雑草とおしゃべり。大きなおしゃべりをしているのは人間だろうが小さい雑草が花を咲かせた様を「大きなおしゃべり」と詠んだともとれて楽しい。(小西)

一草庵会場賞

独り居の軒に戻り来初つばめ    松山市 石丸クメコ

(評)「独り居」は、その時一人でいたのではなくて、独居の暮らしと見るべきだろう。連れ合いはすでになく、頻繁に訪れる人もない静かな暮らしの家に、今年もツバメが帰ってきた。去年、ここに巣をかけ、子育てして秋に飛び去ったツバメが、春と共に律儀に帰ってきたのだ。独居の孤独を慰めて余りあるツバメへの感謝の念がにじんだ句。(熊野)

子ら去りて温もり残す春障子    松山市 今岡美喜子

(評)春休みやゴールデンウイークなどの連休には、子や孫が帰郷して、ひと時賑わう。久しぶりの楽しい家族団らんも、子や孫が嫁ぎ先や勤務地へ帰っていくと、元の静けさが戻って来る。春の日に透ける障子に、家族そろった時の温かい雰囲気がわずかに残っているようだ。(熊野)

蕗のとう一二単衣のお姫様     飛騨神岡高2年 森田有紀

(評)蕗の薹は、土から顔を出すとき、薄い緑や黄色の皮で幾重にも包まれている。地表に出ると、やがて襟を広げるように皮を開いてゆく。あたかも、古の女性の正装・十二単衣を身にまとうお姫様のよう。はるの使者・蕗の薹への温かい賛辞である。(熊野)
新聞掲載:第8回俳句一草庵・入選句




2013年5月11日土曜日

山折哲雄さんの「山頭火の行乞」の話に刺激されて!

道後館25周年・第2弾の山折哲雄さんのギャラリートークに参加した。

一草庵にて
 トークの始まる前に、一草庵に立ち寄ってくれた。いろいろとお話することはできたけれど、後でと思った質問は、チャンスを失ってしまった。
一草庵もすっかりとモダンになりましたねとのことでした。
 山折さんは、東北は花巻の出身で、実家は浄土真宗のお寺、宮沢賢治の家とも近く、妹トシさんは、賢治によく似ていたとも話をされた。

印象に残ったお話を紹介してみます。
放浪している山頭火の日記を読むと、
山頭火は、「行乞相」と「所得」という2つの側面を見つめている。
今日の自分の行乞姿はよかったが、あがりは悪い、また、所得はよかったが、行乞相はよくないとも書く。
これはタダものではない、名僧・高僧の域に立っていると思ったそうです。
乞食(こつじき)という修業は、誰にでもできるが、乞食(こじき)はできない。
乞食(こじき)を尊敬する人はいないでしょう。差別・軽べつ、まなざしが厳しい。
乞食(こじき)の境涯を生きるのは、誰にでもできないことです。


刺激を受けて、家に帰ってから山頭火の日記「行乞記」を読んでみようと思った。
本には、線が一杯ひかれていた。好きな俳句や言葉を見つけてはスペースに走り書きを沢山している。
山頭火が、井泉水著「旅人芭蕉」を読んでいたように、私の旅の友は山頭火行乞記「あの山越えて」だった。本の題名「あの山越えて」は、あの大山澄太さんが、行乞記に名付けた題名。
出版社から、行乞記では一般の人に通じないのでというので、
 ほととぎすあすはあの山越えて行こう の句から題名をとったそうだ。

 行乞相はよかった、風のやうだつた(所得はダメ)
省みて、供養をうける資格がない(応供に値するものは阿羅漢以上である)、
拒まれるのが当然である。これだけの諦観を持して行乞すれば、行乞が修行となる、忍辱は仏弟子たるものゝ守らなければならない道である、踏みつけられて土は固まるのだ、うたれたゝかれて人間はできあがる。(山頭火の日記)

そしてこんなことも、日記に書いている
『徒歩禅について』といふような小論が書けそうだが、徒歩禅か、徒労禅か、有か無か、是か非か。
今夜は水がのみたいのに、のみにゆくことが出来ないので、水をのんだ夢ばかりみた。

昭和五年十一月三日
…今日の行乞相はたしかに及第だ。乞食坊主としてのすなおさとほこりを持ちつゞけることが出来た。勿論、さういうものが残ってゐるほど第二義的であることは免れないけれど。

昭和五年十一月七日
今日の行乞相も及第はたしかだ、行乞相がいゝとかわるいとかといふのは行乞者が被行乞者に勝つか負けるかによる、いひかえれば、心が境にために動かされるか動かされないかによる、隋処為主の心境に近いか遠いかによる(その心境になきることは到底望めない。凡夫のあさましさだ、同時に凡夫によさだ、ともいへよう)。…

旅のエピソードが日記にのっている。

行乞漫談の材料が二つあつた。或るカフェーに立つ、女給二三人ふざけてゐてとりあはない、いつもなら直ぐに去るのだけれど、ここでひとつ根くらべやるつもりで、まあ、ユーモラスな気分で観音経を読誦しつゞけた、半分ばかり読誦したとき、彼女の一人が出て来て一銭銅貨を鉄鉢に入れやうとするのを、『ありがとう』といつて受けないで『もういたゞいたもおなじですから、それは君にチップとしてあげませう』といつたら、笑つてくれた、私も笑った。少々嫌味だけれど、ナンセンスの一シーンとしてはどうだらうか。
 もう一つの話は、お寺詣りのおばあさんが、行きずりに二銭下さつた。見るとその一つは黒つぽくなつた五銭の旧白銅貨である、呼びとめてお返しするとおばあさんは喜んで外の一銭銅貨を二つ下さつた、彼女も嬉しそうだつた。私も嬉しかつた。

昭和七年一月九日
「…今日の行乞相はよかったけれど、それでも時々よくなかった、隋流去!
その体現までいかなければ駄目だ。…」

山頭火のいう「隋流去(ずいりゅうこ)」とは?
正法眼蔵に出てくる言葉です。
道元が中国の僧・大梅禅師の得を讃えて、紹介している。
杖になる木を探しに、山に入って道に迷った修行僧が、禅師に聞く。
「山も抜けるには、どちらに行ったらよいでしょうか」
師いはく 隋流去。
<流れに随って去(ゆ)きなさい。
 川にそって行けば、山を抜けられる。
 流れに逆らわず歩いていきなさい。>

流れの中に、いかに生きるか。
鴨長明や吉田兼好は、「庵」に生き、山頭火は旅に出て「行乞行脚」した。
“水の流れるような自然さ、風の吹くような自由さ”を求めて放浪する
  風の中おのれを責めつつ歩く
  ホイトウと呼ばれる村のしぐれかな
  みんなかへる家はあるゆうべのゆきき
  どこでも死ねるからだで春風
山頭火をいとおしく思った。
山頭火の日記には、「禅語」が登場する。
山頭火はだゝの酒飲みの俳人ではなかった。

 バタバタしていたのに、嫌な顔ひとすせず、山折先生は色紙を書いてくれた。
あゝ忘れていた、お酒がとっても好きだとのこと、山頭火道後の酒「一浴一杯」を紹介しておいた。

愛媛新聞の取材記事を紹介しておきます。
「第8回俳句一草庵」で選ばれた俳句も紹介してくれました。

2013年5月7日火曜日

「第8回俳句一草庵」水内慶太特別賞の紹介です。

水内慶太先生が、「第8回俳句一草庵」の選句をしてくれました。
その選評が届きましたので、皆さまに公表します。一緒に勉強してみましょう。

水内慶太特別賞(「月の匣」主宰)


 一般の部・特選

空せ貝遅日の砂のつまりをり     松山市  丹下恵美子

(評)「空せ貝」は貝の殻、すなわち空っぽの貝殻。それも二枚貝ではなく、巻貝などを「空せ貝」というようだ。しかし「空せ貝」と「砂」との取り合せは平凡だが、その平凡を非凡に変えたのは、季語「遅日」だろう。「遅日の砂」に予期しない発見があった。「遅日の砂」は中々いえない。

一般の部・入選

天蓋の蝉声明に右顧左眄        大垣市 杉本利明 

(評)「蝉」といえども惑いがあるのか、こともあろうに本堂の「天蓋」に飛んできてしまった。折しも僧の唱える「声明」に「右顧左眄」して狼狽える「蟬」が愉快だ。

空蝉の爪の先まで打球音               東京都武蔵野市 本田いづみ

 (評)この句も「蟬」の句だが、こちらは「空蝉」。「空蝉」は蝉の抜け殻だが、「爪の先」で幹や枝や草にしがみ付き、命を羽ばたかせた任務のままの状況が今も残っている。その「爪の先まで」高校球児の練習の「打球音」がとどく。辺りには蝉の鳴き声が夏の暑さを増幅する。取り合わせの「空蝉」と「打球音」には、ことを成し遂げたものと、これから途上にあるものの爽やかさが滲み出る。

高校の部・特選

 空缶の踞りをる春の川        松山中央高2年 丸本勝典

(評)「直観」intuition(英)の語源はラテン語のintuere(凝視する)にあるという。この句の「踞り」はまさに直観。「空缶の踞りをる」の中七はいえそうでいえない。「春の川」の中の「空缶」と言う景も非凡だ。

高校の部・入選

流れゆく空の碧さや風光る        飛騨神岡高2年 細田優花

(評)「空」が〈流れゆく〉と捉えた感性は素晴らしい。「風光る」こと限りなしだろう。春の希望にあふれた明るい句だ。

春疾風どんどん前へ足が向く     飛騨神岡高1年 石田琴美

(評)「春疾風」は一つの象徴としての言葉として斡旋されたのかも知れない。どんな強い力にも挫けることなく、一歩一歩「前へ足」を「向」ける姿勢が「春」らしい。高校生の実社会へ向かう強い意志が見える句だ。

中学生の部

朝早くそよそよなびく春の海     川越市福原中学2年 金子勇気

(評)この句「そよそよなびく春の海」の、新鮮な感性が良い。今までに「海」を「そよそよなびく」と捉えた作家はいただろうか。「春」だからこそ、風のように「そよそよなびく」のだろう。


慶太先生は、俳誌「月の匣」を主宰されています。
ある人が、昭和の俳諧師・上田五千石の一番弟子だったのよ、と言っていたのを思い出しました。
俳句を勉強しなさいと言われていわれているのでしょうか。
毎月「月の匣」を送ってくれます、俳句は沢山載っていて頭に残らないのですが、
巻頭の慶太先生のエレガンスな文章を読むのが、楽しみでたまりません。
それは、上田五千石先生の俳句信条「眼前直覚・いま・ここ・われ」のお話です。
5月号には、五千石の季語(季題)について
「<柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺 子規>という有名な句がある。こころみにこの<柿>を取り去って。<パン>なり<団子>なりを入れてみる。たちまち一句は精彩を失い、ひからびてしまう。<柿>という季題を失うとき、句中にみちみちていた秋の空気が消え去って、無味乾燥の世界となり、生気をなくしてしまうのだ。…」
これはとりも直さず、≪句中に漲らせる空気≫こそが季語であり詩的感受性(詩的空気感)だということだろう。
4月号には、こんなお話が…。
「いま・ここ・われ」は詩の発生装置として私たちは、俳句を勉強している。俳句には「切れ」は必要条件、…俳句は二句一章以外にあり得ないと思う。
この(俳句)装置は二つの異なったものとの取り合わせで、出会いを演出するのは作者で、斡旋は「われ」であり「いま」と「ここ」の一期一会がポエジーを生みだす。このシステム(俳句)は、世界最短詩の最短が創りだした先達たちの智恵だろう。それが「切れ」だ。
慶太先生の言葉に刺激を受けたので、紹介が長くなってしまいました。
最後はこのように締め括っていました。フランスの詩人ポール・ヴァレリーは
散文を「歩行」といい、詩を「舞踏」であると喩える。俳句という詩にするには、「われ」という感性を潜らせた言葉が必要だと。
 私は、「散文」を舞台にあげて、「舞踏」とするためには「切れ」の力が必要なのだと思ったりしました。
おーいお茶の新俳句の募集のように、季語はあってもなくても、リズムにのせて詠んでくれればいいという俳句というリングの中に拘らない俳句を募集しましたが、
慶太先生は、いい俳句を選んでくれました。

 上田五千石先生の色紙がありましたので、紹介しておきます。

山開きたる雲中にこころざす 五千石