今週の山頭火句

今週の山頭火句 重荷は二人でよいこらさ 山頭火

2012年3月21日水曜日

一草庵「今月の山頭火句」(3月)

ふるさとは遠くして木の芽

 其中庵時代の句、古里も妻子も捨てた山頭火には、古里は心の中にありつゝも
帰るには遠い存在であっただろう。
「雨ふるふるさとははだしであるく」の句も読む者にも沁みてくる。(ちとせ)

この句は、今から80年前の3月21日に作った山頭火の句。


 日記によると、昭和7年3月21日
 彼岸の中日。晴れて、風が吹いて、この孤独の旅人をさびしがらせた、行程八里、
早岐(※長崎県佐世保)の太田という木賃宿に泊まる。(30・中)
   ふるさとは遠くして木の芽  とある。

 芽吹く木々を見ても、ふるさとは遠い。
  ふるさとに帰りたいけれど、帰れないのである。
 3月14日から20日まで、嬉野温泉、筑前屋に滞在している。

日記に、こんなことを綴っている。
嬉野はうれしいところです、湯どころ茶どころ、孤独な旅人が草鞋をぬぐによいところです。
私も出来ることなら、こんなところに落ちつきたいと思います、云々。

こゝに落ちつくつもりで、緑(※木村緑平)、俊(※田代俊和尚)、元(※石原元寛)の三君へ手紙をだす、緑平老の返事は私を失望せしめたが、快くその意見に従ふ、俊和尚の返事は私を満足せしめて、そして反省と精進とを投げつけてくれた。
 とにもかくにも歩こう、歩かなければならない、ここですつかり洗濯した、法衣も身体も、或いは心までも。

 山頭火後援会なるものが出来て、旅に疲れた山頭火のために小さな庵をたててやろうという
動きもあり、嬉野結庵を申し出たのであったが、後援会の資金はそれほど集まっていなかった。
結庵は早いという返事であったのだろう、またひょうひょうとして、歩きはじめる山頭火であった。
 
嬉野温泉でのこと、井手酒造の「虎之児」を飲んで、こんな句を詠んでいる。
     湯壺から桜ふくらんだ
     ゆつくり湯に浸り沈丁花

「ふるさとは遠くして木の芽」の句碑が
昭和57年山頭火生誕百年を記念して、防府天満宮に建立されている。



 昭和6年12月、第二の故郷・熊本にも落ちつくことのできなかった
うしろ姿のしぐれていく山頭火は、旅に出て、昭和7年春、嬉野温泉へ滞在。
嬉野にも落ちつくことが出来ず、関門海峡を渡って川棚へ。
川棚結庵を腹にきめ、設計図まで自分でこしらえるのだが、ままならない。
行きつく処は、盟友・国森樹明の世話で小郡へ。
武波憲治の離れ座敷を借りて、「其中庵」庵主となる。

長い漂泊の旅に疲れて、ふるさとを恋うる日が多く、ふるさとの句は多い。
俳人山頭火は、「ふるさと」を象徴して表現しているので、
読み手は、人それぞれいろいろなふるさとを心に描く。

    ふるさと遠い雨の音がする            昭和7年4月3日 平戸
  ふるさとはみかんのはなのにほふとき    昭和7年5月24日 川棚
    ほうたるこいこいふるさとにきた        昭和7年6月1日 川棚
    雨ふるふるさとははだしであるく             昭和7年9月4日   防府
   ふるさとのこゝにも家が建ち                  昭和7年8月2日  防府

 次のような、ふるさとの句もある。

  年とれば故郷こひしつくつくぼうし               昭和5年
  故郷の人と話したのも夢か                    昭和5年
  ふる郷の言葉となつた街にきた                昭和5年
  あの汽車もふる郷の方へ音たかく              昭和5年
    冬空のふるさとへ近づいてひきかえす           昭和5年
   おもいでは汐みちてくるふるさとのわたし場     昭和8年
   ふるさとの水をのみ水をあび                        昭和9年
   彼岸花さくふるさとはお墓のあるばかり         昭和9年
   ふるさとはあの山なみの雪のかがやく             昭和11年
    ふつとふるさとのことが山椒の芽                    昭和13年
    ふるさとはちしやもみがうまいふるさとにゐる     昭和13年

 山頭火が慕った、ほかいびと~井月のふるさとを思う句があった。
<井上井月  文政5年(1822年)?~明治20年2月16日(1887年3月10日)>
 山頭火もまた、同じ気持でないだろうか。

  寝て起きてまた飲む酒や花心  井月

(田中泯の踊るような”ほかいびと~井月”観てみたい、映画「たそがれ清兵衛」を思い出す。)
             http://www.youtube.com/watch?v=3AE_usuOuC0

それでは、山頭火句の英訳を紹介しておきます。

 Oh! my old  home
           in   the   distance;
                Here, new   tree   buds.  西村秋羅

  <<追伸・一草庵の風景の紹介>>

枝に花が梅のしづけさ 山頭火
 <一草庵の近郊に、早咲きの桜が咲きはじめました。>
浄土宗・不退寺の椿寒桜が満開です。

 
十六日桜(吉平屋敷跡)が、やっと咲きました。
  松山、吉藤の三島神社の薄紅寒桜、隠れた桜の穴場です。
  今、3月20日松山で一番綺麗な桜のようです。書家・米山の石文がさりげなく迎えてくれます。
  神社拝殿には、左に日本たちばな、右に桜が配置。
  たちばなは、京都御所からの接ぎ木です。
右、上世神皇道 左、萬機先神事
吉藤・三島神社の薄紅寒桜

2012年3月11日日曜日

3月10日、一草庵・山頭火の日「水のような心」。

今日3月11日、東日本大震災から1年、祈りを捧げます。
昨日、3月10日は一草庵・山頭火の日として、「山頭火と大山澄太さん」の勉強会をしました。
「鬼怒鳴門(キーン・ドナルト」は、ドナルド・キーンさんの雅号。
3月8日に、日本の国籍を取得されています。
今、がれき処理は6.3%、がれき処理に協力したがらないに人々に、鬼は怒っているようです。
ドナルド・キーン先生は、2009年松山で開催された「全国山頭火フォーラム」に来ていただき、子規や山頭火の話をしてくださった。
キーン先生は、日本を終焉の地として選び、山頭火は終焉の地として、松山を選んだ。
山頭火は、平泉を訪ね、毛越寺で次のような句を詠んでいます。
   ここまでを来し水飲んで去る   山頭火 

 大山澄太先生と親交のあった廣田弘子さんから送られてきた「山頭火と大山澄太先生」の原稿をもとに、お話をした、少しだけ紹介。
 澄太先生の「水のような心」のお話。


書・澄太

 『落葉の底を、あるかなきかに、流れている水が、ひとたび崖にかかると、素晴らしい力で身を捨てて、岩上に落下する。
 また流れが浅瀬にかかると、さらさらと、淨(きよ)らな歌を、
歌いて流れるかと思うと、淵に溜まると、青く澄み切って、深い沈黙を守り大きな魚を遊ばせる。
 水はこのように、くよくよしない。そして後に戻らない。
 どんなことがあっても、前向きに流れ流れて、大海に入ってゆく』と。
 流れ流れて、青く澄んで溜まった、浄化された澄太先生の水の中に、山頭火さんは、大きな魚となり遊ばせてもらったのではと、想像を巡らす。

  濁れる水の流れつつ澄む    山頭火

 一草庵にて、石に刻まれている山頭火の晩年の作品である。
 この句は、晩年を迎えた現在の私の心境と重ね合わせた、心に沁みる一句である。
 澄太先生の「水のような心」と相通ずるものがあるのではないだろうか。
  
 流れつつ澄む、と詠う俗臭を離れた山頭火の穏やかで静逸な心境に安らぎを、覚える私である。奇しくも御縁ともいうべきか一草庵の近くに住んでいる私は、山頭火が歩いた川辺を、時々散歩する。
     「濁れる水の流れつつ澄む」
              澄みし川面に吾影映す    廣田弘子
  
       <補足> Tさんに借用した澄太書の軸を、一草庵の床の間に掛けました。
               まつたく雲がない笠をぬぎ  山頭火
              心の雲もなくなつた青い空  澄太

 今日の新聞には、(震災の思い)
 「時は流れない。雪のように降り積もる。」とあった。
 衣・食・住、そして仕事、早く早く対策が必要ですね。
 ふと、山頭火の句を思い浮かべました。

   生死の中の雪ふりしきる
   濁れる水の流れつつ澄む

 この山頭火の日、一草庵来庵者は、80人。
 山頭火の勉強をしたいと、小学三年生が来てくれた。
 「貴女と同じ年に、山頭火さんはお母さんを自殺で亡くしたのです。
放浪の旅をしながら、その御位牌を抱いてお寺に詣でて、成仏できるようにお祈りしていたんですよ。そして死ぬまで俳句を作り続けた人です。…」
仏壇には、いつものようにAさんが、手作りのおうどんを供えてくれている。
   うどん供えて、母よ、わたしもいただきまする  山頭火

 その他、松山三庵めぐりの御一行、相原左義長先生と俳句の仲間たち、
 東京、岡山その他県外人たちが、梅の花咲く、一草庵を訪れた。

2012年3月9日金曜日

3月10日(土)は一草庵・山頭火の日。

澄太さんの句
3月10日は、一草庵・山頭火の日です。
昨年は、山頭火が3度にわたって足を運んだ信州の俳人・井月について勉強しました。
井月の亡くなった日が、明治20年3月10日(旧暦2月16日)のこともあって。
http://www.youtube.com/watch?v=Ol5WKmCKYT0


今年は、山頭火を世に出した第一の功労者・大山澄太さんについて学びます。
年に1冊、経本仕立の山頭火の句集を出雲の安部栄四郎さんの手漉き和紙で作って上げた人。

澄太先生に指導を受けた廣田弘子さんから、講座原稿が届いています。
それをもとに皆さんと「山頭火と大山澄太」について、お話します。
澄太先生、ご存知の方は、是非ご参加しスピーチを。

日時  平成24年3月10日(土) 10時30分~11時30分
場所  一草庵(松山市御幸1丁目)

広島県・三原に臨済宗佛通寺派大本山佛通寺があります。
大山先生は佛通寺管長・山崎益洲に参禅。
山頭火を益洲老師に逢わせています。
あけはなつや満山のみどり
澄太の書による山頭火句碑が昭和19年に建立されています。

澄太先生の知られざる一面を紹介しておきます。
昭和16年12月8日(真珠湾攻撃の日)
大山澄太さん
益洲老師のお伴をして、宮内庁へ行く。宮内大臣からひそかに開戦の経緯を聞く。
東條首相は憲法に違反し、天皇陛下の御意にも反して戦争を始めたという。
その夜、大山先生はこのような不忠者の命を受けて働けないと決意して、
辞表を出し、退官する。
時43歳、高等官として、前途洋洋の時、月給なしの生活を送る。

澄太翁92歳の著作に「俳禅一味の山頭火」があるが、澄太さんこそ、俳禅一味の人だったのではないだろうか。


益洲書「雲晴心月幽」


益洲禅師の弟子双璧は、大山澄太さんと軍神といわれた杉本五郎中佐ではないだろうか。
杉本五郎のことはよく知らないが、あの弁慶のように、立ったまま弾丸を受けて絶命した人らしい。
妻に送った20通の手紙、私蔵すべきでないと出版された「大義」という本は戦争下の青少年のバイブルとなり、130万部も売れたそうだ。
山岡荘八「軍神杉本中佐」城山三郎「大義の末」の著作がある。
3月10日が楽しみだ。

2012年3月5日月曜日

開演近づく!「なにもいらない 山頭火と放哉」

劇団《俳小》から、リーフレットが届きました。
「なにもいらない 山頭火と放哉」の公演、もうすぐ開演します。
     日時:  平成24年3月21日(水)~25日(日)
    場所:  池袋シアターグリーン・ビックツリー
    入場料: 3500円 <03-3983-0644>

 大正時代から昭和初期、種田山頭火と尾崎放哉という二人の偉大な俳人に
よって、季語や五七五という定型句にとらわれない自由律俳句が大いに花開く。
制約がない句形だからこそ、俳人たちの技量、センス、感受性が問われる。

勿論、舞台は、松山・一草庵。楽しみですね。
今年の2月半ば、東京よりバスガイド役の鈴木藍実さんが、一草庵を訪れた。
山頭火と伊予弁の勉強で。
やる気満々。
朝ドラ「カーネーション」ではないが、その生々しい熱情こそが、画面からはみだす
リアリティーを生み、人の心を動かすのではないだろうか。
 東京、大阪で働いていた時のことを思い出す。(伊予弁のこと)
「大きな声で、おらぶな。」とか「その机のはたへ置いといて。」
というのが、わかってもらえなかった。
「おらぶ」とは大きな声で叫ぶことをいう。
「はた」とは、そばへということ。ふとそんなことを思い出しました。
宝塚出身の「旺なつき」さんと「山頭火」さんの絡み合いなど、楽しみですね。

 「なにもいならない 山頭火と放哉」
この言葉で、連想した俳句を紹介します。

  まつたく雲がない笠をぬぎ        山頭火
  いれものがない両手でうける   放哉

あなたなら、どんな句を思い浮かべますか。

また、「なにもいらない」という言葉より、こんな禅語を思い浮かべました。

  無一物処無尽蔵
  <なにもないところに、すべてのものが蔵(かく)されれいる>
 山頭火と面識のあった、佛通寺管長・山崎益洲老師の扇面を紹介して終わります。
益洲書「無一物処無尽蔵」

2012年3月3日土曜日

一草庵だより第22号

一草庵だより第22号をお届けします。
今回は「山頭火の日」や「第6回春の俳句一草庵」開催のお知らせがあります。また、全国から山頭火ファンの声をお届けする企画もはじめました。どうぞお楽しみください。

《内容》
第1ページ
・「山頭火の日」に学ぼう
       山頭火と大山澄太さんのこと
        *「山頭火の日」を紹介した別記事があります。
・今月の山頭火句
       「この道しかない春の雪ふる」
・一草庵で「ほろほろ句会」を開く  
       *「ほろほろ句会」を紹介した別記事があります。
第2ページ
・山頭火の俳句を読む
・建国記念日に寄せてー護国神社と山頭火と少年の頃
第3ページ
・信州の山頭火(1)
・松山そぞろ歩き
       石手川を歩く(第4ページに続く)
第4ページ
・案内人、徒然ばなし
・第6回春の俳句一草庵開催
・編集後記



2012年2月17日金曜日

新たな山頭火句碑を訪ねて、石手寺沿い句碑散策。

2月8日(句碑除幕)。
道後温泉から石手寺沿いに、子規・漱石・山頭火の句碑が設置された。
松山北ライオンズクラブ30周年記念事業によるもの、石は西条の青石。
   分け入つても分け入つても青い山                       山頭火
   送子規 御立ちやるか御立ちやれ新酒菊の花     漱石
     砂土手や西日をうけてそばの花                            子規
早速、句碑散策へ出かけました。

前は道後、後ろが石手寺
子規記念博物館で、子規遺稿「散策集」(200円)を買って。

正岡子規は、明治16年6月10日上京。
明治28年8月25日、松山へ帰省。9回目の帰省、これが最後の帰省となる。
「自分のうちへ行くのかと思つたら自分のうちへも行かず、親類のうちへも行かず此処にいるのだといふ」
(「ホトトギス」での漱石追憶記)
子規は「漱石の寓居の一間を借りてー桔梗活けてしばらく假の書斎哉」と詠ず。
この書斎とは2番町の愚陀佛庵、毎日のように句会が開かれる。
9月20日。
柳原極堂は、子規を訪問。「保養中の子規が石手寺まで散歩しよう。君も同行し給え」と、子規がいうので二人で吟行。その時の、松山近郊5回の散歩吟行集を子規は「散策集」と題した。
   草の花少しありけば道後なり      子規
   砂土手や西日をうけてそばの花  子規
この日、この句などを詠む。
  ※砂土手  現在の松山商業高校裏手あたりから松山東高校の西手をへて北へ約1キロ、
         南北に長く横たわる小高い砂丘、もと松山城防衛のために築かれたもの。

「散策集」は友人近藤我観が保管していたが、戦災で消失するのだが…。
昭和8年6月、極堂が病床の我観を見舞った時、その存在がわかり、
子規全集にも収録されていなかったものが、俳句誌「鶏頭」に公表される、はじめて世に出た。
散策集のことなどは、「友人子規」柳原極堂書(昭和18年)を参考にされたし、名著なり。

右「友人子規」、装丁・下村為山

漱石の句碑は、
子規が10月19日、松山を立ち帰京する時、
中ノ川・蓮福寺の送別会での句。
句の頭に「送子規」と題して
   御立ちやるか御立ちやれ新酒菊の花   
と詠む、子規は再び故郷松山の風景を見ることはなかった。

この山頭火の句は、一草庵に庵主がいたころ、いつも床の間に掛けられていた。
今、子規博に保存されている半切の書「分け入つても」を刻む。


山頭火は道後温泉の帰り、ちびた下駄を履いて、
この道を歩いて、石手寺地蔵院・水崎住職を訪ねている。
地蔵院には、平成2年10月11日建てられた
 うれしいこともかなしいことも草しげる  山頭火
の句碑がある。
 山頭火の句碑は、個人宅の句碑を入れると1000基を超えているであろう。
 松尾芭蕉の句碑約3300基についで多い。
 人気のバロメータのようだ。

※山頭火句碑の前に、歩く遍路の達人・中務茂兵衛の壱百十七度目の道標があった。茂兵衛という人は、四国八十八ヵ所を280回も回ったという超人。280回×88ヵ所=24640ヶ寺、総距離約40万キロ。
茂兵衛さんは、山口県周防大島の人で、寅さんの歌を作詞した星野哲郎の生まれた島として有名なみかんの島。
 山頭火も生野島の名ある陶芸家・迦洞無坪を度々訪ねている。

<石手に子規、漱石、山頭火句碑を訪ねて>
「俳句」という言葉を世に出し広めたのは、子規さん。
「俳諧の連歌(多行詩)」を「俳句(一行詩)」に集約した。
そして、「写生」という手法を取り入れる。
漱石は、子規の影響により俳句にのめり込む。そして俳句的小説「草枕」を発表する。
子規没後、「ホトトギス」は虚子、「日本及び日本人」の「日本俳句」を碧梧洞が引き継ぐ。
碧梧洞は「新傾向運動」を展開し、「新傾向に非ざれば俳句に非ず」といわれる最高潮までに盛り上げた。
明治44年新傾向の俳句雑誌として「層雲」を荻原井泉水が創刊する。
その中より「新しい俳句」を作る山頭火や放哉が産まれる。

「俳句研究」の編集長をしていた高柳重信によると、(昭和48年「俳句とエッセイ」創刊号)
定型派俳人は、山頭火に対しても、放哉に対しても、かなり冷淡で、積極的な関心をもたなかった。
俳句および俳壇の歴史として、
大正末期から昭和初頭にかけての四Sの登場、昭和6年から15年にかけての新興俳句運動の勃興と終焉、そして人間探求派の拓頭、以後の戦後俳句のさまざまな展開へと続いてゆく。
この歴史に自由律俳句の業績、それに先立つ新傾向の軌跡が脱落している。
保守的な定型派の俳人にとって、子規没後から、虚子の復活にいたるまでの歳月は、いかがわしい俳句が氾濫した、おぞましい時間の流れとして、触れたくない、知りたくない時代なのだろう。
それにしても、山頭火や放哉はその時代を生きぬいた自由律派の俳人だった。
…いま、しきりに読まれている山頭火は、もっぱら山頭火の放浪日記であり、その日記の内容によって読み方を強く限定されてしまった山頭火の俳句である。…
山頭火の俳句は、その異常な日常を誌した日記の中に置かれると、急に魅力を増してくるのだとも言い得るのである。そこに存在する山頭火は、多くの読者たちにとって何ごとかの身代わりを演じていることになる。極端に言えば、そうしたときに限って、山頭火の俳句は生々としてくるのである。


今、山頭火の句は、小学校、中学校、高校の教科書にも取りあげられ、教えられているという。
山頭火の生きざまは沢山の本によって、紹介され尽くしているようだが、
今こそ、俳句に生きた「山頭火俳句論」の発表が望まれる時期がきたのではないだろうか。!?

2012年2月12日日曜日

一草庵「ほろほろ句会」で、お勉強。

小林恭二の「俳句という遊び」、「俳句という愉しみ」という本を読んでいる。
当代一流の俳人、飯田龍太、三橋敏雄、安井浩司、高橋睦郎、坪内稔典、小澤實、田中裕明
岸本尚。第二弾のメンバーは、三橋敏雄、藤田湘子、有馬朗人、摂津幸彦、大木あまり、小澤實、岸本尚毅、岡井隆。流派を超えたメンバーが句会を開いた。
その句会録を説明し、"句会の空間”と”句会の醍醐味”を語る。

俳句の活字化にともなう結社誌の普及で、俳句という世にも真剣な遊びの世界が失われているという。
ただし、広義の句会は広くおこなわれている。
ある昼さがりの公民館。
出席者全員に俳句が回覧。出席者はその中からいいと思う俳句を六、七句選ぶ。
ここで人気の集中した句は高点句と呼ばれるが、重きをおかれることはまずない。
この手の句会で重要視されるのは、「先生」が選んだ句だけである。
先生は自分で選んだ句に対する評価を一方的に述べる。
それでおしまい。まっとうな句会とは言えない。
楽しみが欠如しているし、俳句を媒介にしたコニュニケーションがない。これでは「座」と言えない。
この本を読めば、「句会とは何か」が理解できるという。

「ユリイカ」(昨年10月号)では、「現代俳句の新しい波」を特集していた。
俳句ムーブメントの一つとして、公開句会「東京マッハ」が開催される。
参加者は、文筆家、俳人5名。一般向けに売り出されたチケットは完売。
伝統に縛られない若手が、独自の作風を模索し、語る。

道後温泉本館

とにかく2月10日、はじめて句会に参加。
皆さんに理解できるような句会録は紹介できないが、「ほろほろ句会」に参加しての感想を少し
綴ってみたい。
参加者は9名。道後温泉本館から一草庵までの吟行。
道後温泉は、入浴客の順番待ちの列が出来てごった返していた。
コスプレ山頭火が入浴して出てきた。さぁー出発だ。
「一浴一杯」を楽しんだ山頭火の真似して、山頭火・道後の酒「一浴一杯」を発売している
水口酒造を訪ねて、お酒の試飲を。

演劇ネットワークOffice59渡部和也さん

ずんぶり湯の中の顔と顔笑ふ
山頭火が”濁れる水の流れつつ澄む”の句を読んだ大川沿いを歩いて、一草庵へ向かう。

句会の開始。
俳句のできた人は、短冊の形をした細長い紙に3句書く、署名はしない。
書かれた短冊を集める、世話人はこれをシャッフルしてバラバラにする。
各人に清記してもらうため、何枚か短冊を渡す。清記句数は、29句、清記用紙は9枚。
清記用紙の右肩に番号を打つ。
参加者に清記用紙を次々と回し、それぞれ特選1句を含めて5句の選句をおこなう。
一草庵到着、しんじゅさんと朗善さん

選句結果の発表。
最高得点の句
  人待ちの燭(ともしび)小さく浅き春        烏天狗
二位の句   
  竹筒の中ほろほろと春灯(はるともし)      朗善
三位の句
  かきもちの上辺(うわべ)を愛でてをりにけり  きとうじん

上の二つの句は、
一草庵であっと驚く出迎えをしたいと、スタッフが用意した竹筒のロウソクの灯りに感動した句。
一草庵に到着した時は、まだ明るくてロウソクの灯りの印象は弱いものだった。
この二人は運がよく、暗くなって外に出で小さい灯りに春の気配を感じたのだった。

”ほろほろ”は山頭火句の本歌どりとのことだったが、
ゆらゆらとゆれる炎は、まさに”ほろほろ”そのものだったとのこと。
竹筒の中は別天地で、ほろほろ酔っている山頭火がいるようでもある。
三位は、かき餅の句。
”かきもちの上辺”は、凹凸があり、ふくらんで黒くこげている、昔の懐かしい郷愁の味がする。
これも、スタッフがお接待として準備したもの。
カリカリと音をたてて、皆で愛でながら食べたのであった。
懐かしい味のかき餅

 さて、山頭火だったら、どの句を選ぶだろうか。
俳句は結晶、圧縮にあらずして単純なり。(山頭火)と言っている。
「人待ちの」「竹筒の中」の句は、「ローソクの灯」に注目、単純化して詠んだうまさに切れ味のよさを感じる。

また山頭火は、俳句の真髄は、印象の象徴化なり、とも言っている。
「かきもちの上辺」の句には、作者の気持が象徴化されているように解釈したい。
小さなかき餅という「個」をつうじて「全」を表現しているのでは…。
綺麗で上品なケーキよりも、人間の手づくりのよさをを忘れてないようにしよう、
そんな囁きが聞こえてくるようだ。だからこそ、親しみを感じて皆が愛でたのではないだろうか。

  まつすぐな道でさびしい  山頭火
目の前にある現実の道であると同時に、山頭火は、人生という道を象徴して表現している。
山頭火の句を考えてみる。
  ほろほろ酔うて木の葉ふる
  分け入つても分け入つても青い山
「ほろほろ酔うて」「分け入つても分け入つても」は山頭火の動作、
「木の葉ふる」「青い山」は目の前の情景。
このような作り方で、2音節でつくる句が多い。
ただ単に目の前に映る風景を詠んでいるだけのようだが、
山頭火の句は、むしろ人間の内面の姿を実感してしまう。
山や川や風や花が詠まれていても、象徴化された人間像がそこにある。

よって、山頭火は、次の句を選ぶのではないだろうか。
 かきもちの上辺を愛でてをりにけり 
読み手は、何故、何を、愛でているのだろうと考えるだろう。
人それぞれに。
「かきもちの上辺」に、何か忘れてはならない物があるように思えてきた。
象徴化された句には、羽ばたく力がある。 

私自身のこと。
はじめて句会に、”迷月”という名前をつけて参加。
 ブラサントウカ、サラサラ水音ザワザワ足音
ブラタモリにあやかって、ブラ・サントウカして、新しい発見を求めた。
音に注目した。水の音がサワサワと流れている。吟行者は、話しながらザワザワと音を
立てて歩いていく。吟行風景全体を何とか短い言葉で表現しようと努力した。
やっぱり、圧縮ではダメで、焦点をしぼって単純・平明に詠わなければならないと思う。
(刹那の印象にリズムをもたせ、刹那の出来事だけれども、永遠の命をうたいこみたい、
山頭火は、それを「刹那の永遠」といっている。)

それでも、この句をひとりの人が選んでくれた、嬉しかった。
とにかく、
山頭火さんが見てくれているような、一草庵での素晴らしい、楽しい句会だった。

<ちょっと発見!山頭火も見たであろう風景。>
ブラ歩きして見つけた百年以上経っているであろう、ヤシの木

古さ感じる、へんろ道の道標
昭和14年10月、山頭火が来た時にできた鳥居

2012年2月6日月曜日

一草庵「今月の山頭火句」(2月)

この道しかない春の雪ふる
一草庵前・休憩室

「私は長い間さまよつてゐた、からだだけでなく心もさまよつていた」昭和九年の日記より。
やっと見出した『存在の世界』これが山頭火の求めた道ー。しかし、この道も雪に逢うのは厳しい。(ちとせ)

この句は、昭和9年3月14日の其中日記にある。
夕方、伊東敬治君一升さげて、国森樹明君牛肉をさげて、久しぶりに三人で飲む。
として、次の句も載っている。

 雪ふりかゝる二人のなかのよいことは  


書・梅岡ちとせ

この今月の山頭火句は、自選句集「草木塔」の”山行水行”篇に選抜されている。
其中庵の生活にも、落ちついてきたのであろうか。
「帰家穏座とでもいひたいここちがする。私は長い間さまようてゐた。
…ようやくにして、在るものにおちつくことができた。そこに私自身を見出したのである。
…私は詩として私自身を表現しなければならない。それこそ私のつとめであり同時に私のねがいである。」
(昭和九年の秋、其中庵にて、山頭火)

「この道」とは、其中庵を生活の場とした句作の道のことだろうか。その道に春の雪がふる。
春の雪がとける道に、あたたかい、新らしい道を感じる山頭火がいるようだ。「春の雪」に思いがこもる。

京都・哲学の道の西田幾多郎の歌碑
「人は人吾はわれ也 とにかく吾行く道を吾行くなり」
のような力強さよりも、山頭火の句に、何故か人間味を感じる。

大山澄太さんが涙した山頭火の句を思い出した。
 わかれてからの毎日雪ふる  山頭火

(NPO法人でDVD化した大山澄太先生(91歳)の講演「俳禅一味の山頭火」より)
一浴一杯、一人一室、一燈一机、あんたのところが一番いい宿だといって
うしろをふりかえらず行乞にでた
 振りかえらない道がまつすぐ
の山頭火から、10日たって届いた句なんです。
家内と涙しながら読みました。

山頭火自筆の句みつかる蓮田善明の長男所有
 へふへふとして水を味ふ
http://kumanichi.com/news/local/main/20120120001.shtml
の記事が、熊本日日新聞2012.1.20に発表された。
折りしも、昭和9年3月23日の山頭火の日記にその記載があった。
「…澄太居を訪ね、澄太居に落ちつく、夫妻の温情を今更のように感じる。
…夜は親しい集まり、黙壺、後藤、池田、蓮田君。
近来にない気持ちのよい酒だつた、ぐつすりと眠れた。」

(斉藤清衛の弟子の後藤貞夫君、その先輩である広島文理大の蓮田善明、池田勉さんも
一緒に来てくれて大いに語り合った日のことは、小高根二郎著『蓮田善明とその死』にも
詳しくでている。=大山澄太)

※<活躍中の評論家蓮田善明氏は、初めて「三島由紀夫」のペンネームを使った小説『花ざかりの森』を称賛する。
三島由紀夫は蓮田から思想的影響を受ける。>
皆さんなりに、勉強してみてください。

それでは、山頭火句の英訳を紹介しておきます。
this is the only path
spring snow falling      宮下恵美子

2012年2月1日水曜日

一草庵だより21号

新年をお迎えになり、いい日々をお送りのことと思います。一草庵だより第21号をお送りします。どうぞご覧ください。

《内容》
ー新春を迎えてー
 
  接待(おもてなし)の心で来庵者案内を
年のはじめに
今月の山頭火句
  鉄鉢の中へも霰
新春特別企画 俳句選者による座談会
年頭所感・・・年のはじめに
 
 ・ 友愛のちから
 ・ 山頭火の絆をひろげよう
 
 ・ 彼も人なり我も人なり
山頭火句との遭遇
案内人、徒然ばなし
山頭火と「松山はいく」
  一浴一杯「ほろほろ句会」のご案内