今週の山頭火句

今週の山頭火句 ひらくより蝶がはなのうへ 山頭火

2014年3月20日木曜日

「3月10日は、山頭火の日」=一草庵流おもてなし・国際バージョンです。

3月10日、「一草庵・山頭火の日」の報告です。

留学生達と日本の文化をつうじて、国際交流を行いました。

中国の人、韓国の人、インドの人、台湾の人、フランスの人が、一草庵へやって来てくれました。

 その一草庵風景を写真を紹介しておきます。
 当日は、愛媛朝日テレビの坂口アナが取材にきてくれ、放映してくれました。



2014年2月25日火曜日

「3月10日は、一草庵・山頭火の日」です。

お知らせです。
「3月10日(月)は、一草庵・山頭火の日」です。

 <この日は、一草庵を公開しています。>



11時間頃から、一草庵で「お餅つき」もおこないます!

13:00から、  ①妻サキノが、山頭火のお話をします。

          そして、
           ②着物姿の留学生との交流が始まります。

           ③一草庵は、「お茶室」に変身して、お茶会を開催しています。
        



           ご来庵をお待ちしています。


               ☆☆ 昨年の「山頭火の日」の様子です。 ☆☆









2014年2月20日木曜日

『第12回山頭火俳句ポスト賞』の掲載。

ずっとずっと、ホームページの更新ができていませんでした。


一草庵では、いま一枝の紅梅が満開です。


昨年の出来事ですが、掲載させていただきます。
『第12回山頭火俳句ポスト賞」の紹介です。
表彰式は25年11月23日に行いました。

 一草庵の「山頭火俳句ポスト」に全国からの訪問者

から俳句が124句、投句されていました。
(内、県外句の数は38句)
北海道札幌市、東京都杉並区・足立区・目黒区、
東京都八王子市、横浜市、埼玉県北本市、岡山県赤磐市・神戸市、高松市、長崎市など全国各地、台湾からの句の中より、各選者の先生に優秀句を選んでいただき
ました。



『第12回山頭火俳句ポスト賞』の報告です。
(投句期間 25月1日~1031日)
       
山頭火俳句ポスト賞

まっこと山頭火逝きし草庵柿赤し 松山市 安平賢三

(評)「まこと」ではなく、「まっこと」の切り口が、作者の思いを遺憾無く伝達。
もちろん山頭火が「逝きし」ことは作者自身にはわかっているのだが、終焉の地「一草庵」を訪れた時、「もう、山頭火はいないのだなあ」という気持ちを一層強くしたのである。そして、下五「柿赤し」がその印象を強烈なものとさせている。
(白石評)


山頭火柿しぐれ賞

柿したたる鳥のくちばし光る    松山市 太田和博

(評)熟した柿の実がぽたぽたとしたたるのである。鳥はその実をつついたのか、
くちばしが濡れて光っているのだろう。定型句でなく自由律である。
本来「滴り」は夏の季語であるが、この句は水滴でなく、柿の実のしたたりである
から異存はない。「したたりて」でなく、「したたる」と断定し、又「光る」と終結し、その<る>と<る>が快いリズムとなっている。初めての「柿しぐれ賞」にふさわしい秀句と思う。(本郷評)

 ※ 昨年の10月11日、山頭火の命日「一草忌」に、
 山頭火の句「しぐれて柿の葉のいよいようつくしく」に因んで、
 山頭火の和菓子「柿しぐれ」ができました。
 それを記念しての「山頭火柿しぐれ賞」です。
  
さて、銘菓「柿しぐれ」を持っているのは、誰でしょう

小西昭夫・選

【特選】まだまだと一草庵の青い柿  松山市 太田和博

(評)何かしているときに、「もういいか」と思うことはよくある。
しかし、それを諾えば物事はそこで終りである。「まだまだ」という
のは柿の熟れ具合でもあるし、自分へのエールでもある。
「一草庵」と「青い柿」の取り合わせが決まっている。


【入選】山頭火居士の位牌の涼しさよ 岡山県赤磐市 杉生征之進

(評)山頭火の位牌は本当に小さい。小さな位牌のつつましさと「山頭火居士」のみ
のシンプルさが涼しさを運んでくれる。
位牌の山頭火には、もはや煩悩に苦しまなくてよい涼しさがある。

白石司子・選

【特選】流水に秋思のありて留まらず   松山市 西野周次

(評)人それぞれに物思いにふける秋であるが、この句では「流水」に「秋思」を抱いたのが発見。まさに人生は流れる水の如し。生きていればいろいろとあるが、「留まらず」にいるからこそ、それぞれに揺れ動くと考えれば、少しは気持ちが楽になる。

【入選】行く秋や形のきれいな耳をもち 松山市 浅海好美

(評)上五「行く秋や」で切れているが、終止形「もつ」ではなく、「もち」と連用形止としたことで上五へ遡行。立ち去ろうとしている「秋」と中七・下五が妙に響き合い、「形のきれいな耳」だけが取り残されたような印象深い句となっている。

本郷和子・選

【特選】ベッドまで届く名月掌に受ける 松山市 柳瀬文雄

(評)作者は窓際のベッドに寝ているのだろうか。
ガラス窓を通して、名月の光は部屋の中まで届いているのだ。なんと美しい月光、
それを掌に受けるという行為。それは、感動するほどの情景である。
独り静かに無音の時を過ごし、澄み切った秋の空の空気までも伝わってくる。

【入選】醤油屋の猫あくびする冬隣    松山市 太田和博

評)いよいよ冬がそこにきているという頃の吟行句であろうか。
古町の醤油屋の前の陽だまりで、猫がのんびりと通る人を眺めているのだろう。
少し眠たくなったのかあくびをしている猫の姿がおもしろい。
冬隣の季語が効果的。「パン屋の猫」「魚屋の猫」ではなく「醤油屋の猫」がよい。
一句からほのかに醤油の香りまで漂う。

熊野伸二・選

【特選】流鏑馬の秋天心を射抜きたる   松山市 西野周次

(評)流鏑馬(やぶさめ)は、馳せる馬上から矢継ぎ早に弓矢を射る練習として、平安・鎌倉時代の武士間で盛んに行われたという。現在も、祭りなどに行う所がある。古武士の衣装に身を包んだ馬上の射手が放った矢が、的の板に命中し、真っ二つに割れる瞬間は、晴れた秋空の真ん中を射抜いたような爽快感を催すという句意である。

【入選】麒麟行く後姿や天高し         松山市 中本静枝


(評)現存する動物の中で、最も首が長く、背の高いキリンが、ゆったりと歩いて行く。その上に広がる真っ青な秋空。悠揚迫らざる大型動物・キリンの動きを見ていると、あくせくする人間の所業が愚かしくさえ思えてくる。そこが、動物生態の観察場所であると同時に、癒しの空間たる動物園の存在価値でもあろう。


  一草庵の「山頭火俳句ポスト」 11月~2月分の投句の
 締切りは、2月28日です。
  一草庵へお立ち寄りの際は、是非一句投句を。

 第9回の俳句一草庵は、平成26年4月29日に開催しましす。


2013年12月13日金曜日

「樗堂・一茶・山頭火吟行バスツアー」 (一草庵の巻)   そして、俳句交流懇親会(吟行優秀句の発表)

報告が遅れました、吟行最後の終着駅は、一草庵です。
到着時間が、30分以上遅れています。
松井てるみさん率いる「テルミーズ」が、素敵なメロディーで迎えてくれました。
そして、田中安子さんが、松山凧で作ってくれた、樗堂と一茶と山頭火が凧の姿で迎えます。
スナップ写真で、一草庵を味わってください。

松山凧で描く、樗堂・一茶・山頭火さん

「鉄鉢の中へも霰」山頭火の句碑を取り囲む二人
「俳壇」編集長・田中利夫さん、神野紗希さん、中村敦夫さん、マブソン青眼さん



 急いで、俳句交流懇親会会場、松山全日空ホテルへ向います。
アトラクションとして、
 琵琶「俳人山頭火」 見立旭庸先生に
 「伊予節」を小唄田村派師範 田村咲富美(さきふみ)さんにお願いしました。
  ♪伊予の松山名物名所
   三津の朝市 道後の湯
   音に名高き五色素麺
   十六日の初桜 ……
   小林一茶は、十六日桜を見たいと松山へやってきたのでした。
 
突如、山頭火現れる!

       樗堂・一茶・山頭火吟行バスツアー優秀句は、次のとおりです。
 
 水内慶太先生選
特選 秋光のほか拒みたる庚申庵           田代夏緒
秀逸 露地の秋伊予仕立てなる醤(ひしほ)の香   鈴木恭子

 マブソンア青眼先生選
特選 護亡し一草庵の萩乱れ              鈴木恭子
秀逸 秋明菊咲き上座なし下座なし           毛利敦美

 福谷俊子先生選
特選 護亡し一草庵の萩乱れ               鈴木恭子
秀逸 日の燦燦と庚申庵のはぎすすき        井門敬之

 神野紗希先生選
特選 秋好きと言えばにわかに海の風         村上邦子
秀逸 秋明菊咲き上座なし下座なし           毛利敦美

 中村敦夫先生選
特選 味噌蔵のつばめの巣後主なし            田中利夫
秀逸 醤油樽叩けば伊豫の秋高し            祐森水香

 俳句一草庵賞(熊野選)
特選 蜷(にな)の道吾の信ずることひとつ         橘 信子
秀逸 秋のこゑ匿つてをりつし二階              東 麗子


内慶太先生


神野紗希さん

2013年11月3日日曜日

「樗堂・一茶・山頭火吟行バスツアー」 (三津の渡しの巻)

小林一茶ゆかりの地として、「三津」にやってきました。
春や昔、十五万石の城下だった松山、今は人口52万人の都市ですが、そこから車で約10分のところに、戦災をまぬがれた古い歴史の面影が残っているレトロな街、それが三津浜です。

 伊予鉄「三津駅」に到着です。

「明治21年(1888年)わが国最初の軽便鉄道が走る。
夏目漱石は、開通7年後の陸蒸気(おかじょうき)に乗った。
「坊つちゃん」騒動は、三津上陸より始まる。

“停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んで見るとマッチ箱の様な汽車だ。
ごろごろと5分許り動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。……“」


すっかりと、さびれてしまった三津浜商店街の入り口のお店「練や正雪」で、じゃこてんをご馳走。
八幡浜のじゃこてんに、負けていませんよ。1枚 100円。
マブソンさん、紗希さん お味いかがですか。

吟行は、説明はない方がいいというので、省略したのですが…ここで補足しておきます。

<辻井戸>という処へ、少し説明。

 寛永12年(1635年)桑名から松山藩主に松平定行が転ぜられたとき、
定行は三津の御船手(水軍)四百戸の水を確保するため、
この地に井戸を掘らせました。
これが辻井戸です、文字通り、四つの町の道が交差する場所であったため、
この名前がつきました。

<遠藤味噌醤油店>(特別に見学させていただきました。)

創業150年。古い町には、酒蔵と醤油屋が多い。
三津浜には、現在醤油屋さんが4軒残っています。
この遠藤さん辺りの路地風景が大変好きです、私はひとり、松山の倉敷と呼ぶことにしています。



マブソン青眼さん、早速お味噌のお買い上げ。

続いて、<荒瀬染物店>
 創業大正8年。松山で祭のパッピをつくる店はここしか残っていないそうです。
俳句できましたか、紗希さんと夏緒さん。バックは、荒瀬染物店。

 三津の鯛が味わえる俳諧ゆかりの家「森家」へちょっと訪問。

森家は、子規が唯一師事した俳諧の師・大原其戎の後援者。
其戎が発刊した月刊俳誌「真砂の志良辺」は全国で3番目の俳誌。
「虫の音を踏(み)わけ行(く)や野の小道
(真砂之志良辺に載る、子規の句として初めて活字になった。子規、数年21歳)

いよいよ、「三津の渡し」に到着です。

応仁の乱は、何年に起りましたか。1467年、正解です。
「人の世は虚しい」と覚えました。
京都の人は、いまでも戦争と言えば、「応仁の乱」です。
11年も続いたのですから…。第二次世界大戦でも、3年です。

さて、「三津の渡し」は、応仁の乱が始まった時にさかのぼります。
対岸にあった港山城主・河野道春が、兵士の食糧を農漁村から調達するために、舟の渡しをつくったのが起源とされています。

小林一茶は、今から200年以上前の寛政7年2月5日、松山から三津入りをする。
樗堂の妻・虎女(俳号・羅蝶)の実家、三津の豪商・森方十の邸宅を訪れて、
2月5日から11日まで三津に滞在するのです。

三津の渡しを渡ったところにあった「洗心庵」に行ったことが
西国紀行(寛政7年紀行)に記録されています。

「五日 松山を出て、二里、三津濱、方十亭を主とす、
九日 人々と共に、小深里の洗心庵に会す、
      前文略
   汲みて知るぬるみに昔なつかしや
   旧懐の俳諧して浦辺を逍遥して、

    にな蟹となりて女に嫌はれな
    山やく山火となりて日の暮る哉
    梅の月一枚のこす雨戸哉

十一日 三津を出で又八反地村に戻る 途中吟 遠望

    凧青葉を出つ入つかな            」


その舟は、昭和45年万博の年、手こぎ舟からポンポン舟に替り、
「三津の渡し」として、海の道、松山市道高浜2号線を行き通っています。
定員12名の小さな舟が、対岸を往復。距離80m、時間は2分。
松山市の職員が運転、乗車料は無料。






  春や昔十五万石の城下かな   子規

秋の潮風を受けて
一茶も乗った「三津の渡し」を往復しました。

  秋や昔一茶ののりし渡し舟   


参加者は、こんな句を詠まれまれていました。


  三津浜の指呼の渡しや天高し   井門敬之

  秋風やふらんす人の一茶ゐて   田代夏緒

  舟はひと波は日を乗せ天高し   鈴木恭子


フランス俳人・マブソン青眼さん、エンジンの音にあわせて歌います。

2013年11月2日土曜日

樗堂・一茶・山頭火の吟行バスツアー、楽しかったなぁー!(庚申庵の巻)

秋のイベントの整理がやっとできました。
山頭火検定の合格認定式=11月3日の準備もできました。

遅くなりましたが、
まずは「樗堂・一茶・山頭火吟行バスツアー」=10月12日
の報告です。

いろいろな人からの写真が集まりました。
本当に豪華なメンバーでの吟行句会でした。

 「歴史とは、現在と過去との対話である」 E・Hカーの言葉からはじまります。
 (これは、「BS歴史館」からのパクリの言葉です。)

樗堂との対話は、「庚申庵」。一茶との対話は、「三津の渡し」。山頭火との対話は、「一草庵」。―でというのが、吟行句会のコンセプトです。

吟行バスツアーは、道後の子規記念博物館からスタートです。

道後公園の一茶句碑を見てもらいました。

寝ころんで蝶泊らせる外湯かな  一茶(酒井黙禅筆)


<西国旅日記>

  寛政7年(1795年)2月1日小正月のところに、
「道後温泉の辺りにて」として、この句を読む。
この年の2月1日は、今の3月21日にあたるから
蝶も舞ううららかな陽気であったろう、一茶33歳なり。

バスで「庚申庵」に向います。            「庚申庵」ができたのは、
寛政12年、1800年の庚申の年です。伊能忠敬が蝦夷地の測量を始めた年です。

一茶が樗堂を訪ねたのは、寛政7年。一茶33歳、樗堂47歳です。
松山へは、1月15日~2月5日までの20日間。
そして、松山を気に入った一茶は、翌年寛政8年の秋から、翌年の春まで松山に滞在
するのです。8月には、松山城で観月会をしています。今から218年前のことです。

庚申庵での説明は、庚申庵倶楽部の松井理事長に説明していただきました。




松井さんは、こんなお話をされました。

「樗堂は庵に床の間を設けなかった。句会で誰もが平等に意見できるよう、
上座や下の概念をなくした」と。
早くも秋明菊が咲いている

そして、こんな句が参加者から生まれました。                


  秋明菊咲き上座なし下座なし  毛利敦美

(この句は、俳句交流会の式場で秀逸句として、二人の選者に選ばれました。)

句作風景を紹介しておきます。











バッタどな、もし?
















あの木枯らし紋次郎で、一斉を風靡された、中村敦夫さんも参加されました。
樗堂紹介の俳句を見て、こんな質問がありました。

 一畳は浮世の欲や二畳庵  樗堂

この句にすごく魅かれたそうです。二畳でも狭いと思うけれど、一畳でも私の欲だと
いう樗堂さんの哲学に感心されたそうです。




その1、庚申庵の巻を終ります。この企画は、毎年秋に開催している「俳句一草庵」吟行句会を兼ねて実施しました。)


2013年10月10日木曜日

《俳句シンポジウム~樗堂・一茶・山頭火の世界~》

「樗堂・一茶・山頭火の世界 in まつやま」は
     平成25年10月12日(土)~13日(日)です。
 俳句シンポジウムは、14:00~15:30 となっています。

「一茶・山頭火俳句大会」の「俳句シンポジウム」を紹介します。

この企画は、山頭火研究者の第一人者だった故村上護先生の提案でした。
本棚には、村上先生の本がたくさん並んでいます。
本の扉を開くと、俳句を書いてくれていました。

      初旅やいのちの峠こして海  護

 大病(すい臓癌)後の句です。山頭火の顕彰に一生をかけられました。
世界が山頭火も認めています、これからますます評価されますよ。
句集というのは、なかなか売れないものですが、山頭火の「草木塔」は今でも世界で読まれています。松山の俳人は、山頭火を認めない人もいるようですが、来年は、松山で「一茶・山頭火俳句大会」をやりましょうよ。一茶を俳人と認めない人はいないでしょうと。

その村上先生の大学での卒業論文は、坂口安吾だったそうで、安吾忌には必ず参加し、裏方で支えていたそうです。
今私は、村上護編”俳句の達人30人が語る「私の極意」”を読んでいます、名著なり。
「俳句文庫」全30巻の巻頭対談「わが俳句を語る」をまとめたものです。聞き役の名手ですね。
 残された句集「其中つれづれ」に、その裏付けされた俳句の心がにじみ出ています。

さてさて、
樗堂は、旧暦8月21日(新暦10月4日)御手洗島の二条庵で没す、66歳、今年は没後200年です。

子規は、俳句の分類をし、「樗堂は松山第一寧ろ四国第一というべきもの」とし、次のような樗堂の俳句を選んでいます。

  涼しさのひとりにあまる庵かな
  我がしなバ庵を譲らんきりぎりす
  秋かせや鏡の翁我を見る

平明の中に含蓄のある句として賞讃します。
何故か、一茶の句を連想してしまう。
一茶は寛政7年正月15日。
観音寺・専念寺の五梅に紹介され、松山の十六日桜の見物にでかける。
そして樗堂を訪ねる、一茶33歳、樗堂47歳なり。

その一茶は、1763年5月5日長野県信濃町柏原の農家に生まれます。本年は生誕250年。
一茶は、江戸の文化文政の時代に全くの無名ではなかったが、葛飾派の一俳人でしかなかった。
子規は「信濃に一茶という畸人あり」と評するのみでした。

 一茶を世に出したのが、荻原井泉水です。大正14年に出版された「芭蕉と一茶」の本は、俳人のみならず、一般の人を驚かせたのです。


 一茶は、寛政時代に諸国行脚して「西国紀行」を残す。7年間の旅でした。寛政7年、伊予松山を訪れるのです。気に入って、翌寛政8年の秋から翌年の春まで、樗堂を訪ねて松山に滞在するのでした。










 それから145年後の昭和14年に、種田山頭火という放浪の俳人が

  秋晴れひよいと四国へ渡って来た 

と詠んで松山にやって来るのです。そして1年後昭和15年10月11日に「一草庵」でコロリ往生するのです。

今回の「俳句シンポジウム」は、俳都・松山を訪ねた一茶と山頭火を取り上げます。

二人とも俳句一筋に生きて、約1万句以上の俳句を世に残します。
そして、同じく約1年の月日を松山で過ごすのです。

 俳都・松山に残る江戸時代の俳句の庵が、樗堂の庚申庵です。
1800年、庚申の年に樗堂が芭蕉の幻住庵をイメージして造るのです。

  樗堂は、「庚申庵記」を、一茶は「七番日記」を、山頭火は「行乞記」等を残すのです。

その松山ゆかりの俳人を探る俳句シンポジウム」が、
10月13日(日)に子規記念博物館講堂で開催されるます。

 94歳の金子兜太さんは、体調悪く、ビデオで出演します。
長野に住み、一茶を研究する「海程」同人のフランス俳人マブソン青眼さんが来てくれます。
村上先生に代わって、あの木枯らし紋次郎こと、中村敦夫さんが登場します。
現在、朗読劇「山頭火物語」の公演をされています。
 樗堂の話は、庚申庵倶楽部理事長の松井忍さんが語ってくれます。

松山でしかできない、日本に誇れるイベントです、皆様のお越しをお待ちしています。
当日券1000円です。(当日投句料を含む)
 当日投句受付は、11:30~12:30となっています。


 ※ 愛媛銀行さんの協賛、水口酒造さん、土屋水産さん、大和屋別荘さん、かわさき眼科さん、愛麺さん、椿神社さんの支援をいただいています。

    主催は、一茶・山頭火俳句大会実行委員会です。
     委 員 長      一茶の寺・長久山本行寺山主 加茂一行
    副委員長    俳句誌「月の匣」主宰 水内慶太
   事務局長   「俳壇」編集長 田中利夫
     松山実行委員長  NPO法人まつやま山頭火倶楽部理事長 熊野伸二
     のメンバーが中心となって推進しています。

終りに、一茶のことなど。

 小林一茶の物語は、萩原井泉水の「創作・おらが春」
              田辺聖子の「ひねくれ一茶」
                             藤沢周平の「一茶」等があります。

 周平の「一茶」には、松山の場面も登場します。
 あとがきが名文でしたので、紹介しておきます。

 「一茶という人は、不思議な魅力を持つひとである。一度一茶の句を読むと、その中の何ほどかは、強く心をとらえてきて記憶に残る。しかもある親密な感情といったものと一緒に残る。これはいったいどこから来るのだろうかと考えることがたあった。

 われわれは、芭蕉の句や蕪村の句も記憶に残す。それは句がすぐれているからである。一茶にもすぐれた句はあるが、一茶の句の残り方は、そういう意味とは少し異なって、親近感のようもので残る。
  それはなぜかといえば、一茶はわれわれにもごくわかりやすい言葉で、句を作っているからだろうと思う。芭蕉や蕪村どころか、誤解を招く言い方かも知れないが、現代俳句よりもわかりやすい言葉で、一茶は句をつくっている。形も平明で、中味も平明でる。ちょっと啄木の短歌がわかりやすいように、一茶の句はわかりやすい。
 そしてそれは一茶が、当時流行の平談俗語を意識したというだけでは片付かない、もっと本質的な、生まれるべくして生まれた平明さのように思われる。」
            

 山頭火は、一茶の句を次のように観賞する。

「大の字に寝て涼しさよ淋しさよ―はさすがに一茶的である。いつもの一茶が出てゐるが、つづけて、淋しさよ―とうたつたところに、ひねくれてゐない正直な、すなほな一茶の涙が滲んでいるではないか。…」

 「いうまでもなく一茶は芭蕉的な深さはない。蕪村的な美しさもない。しかし彼には一茶の鋭さがあり、一茶的な飄逸味がある。」